日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

お知らせ~All Aboutさん拙連載更新されました

2013-10-31 | 経営
All Aboutさん拙執筆コーナー「組織マネジメントガイド」更新されました。阪急阪神ホテルズの事件とコンビニバイト暴走写真炎上事件、この二つの事件はマネジメントの観点からは実は同根であるというお話です。キーワードは「組織の7S」における「価値観」です。

こちらからどうぞ。
http://allabout.co.jp/gm/gc/432722/

お知らせ~J‐CAST拙連載「社長のお悩み相談室」が更新されました

2013-10-30 | 経営
一言にワンマン経営者と言っても実はすべて同じではない。本心の違いがそこには存在します。そして社長の本心は、社員には実は見抜かれていると言うお話です。社員は社長が思っている以上に、社長の言動をしっかり見ているのです。

こちらからどうぞ。
http://www.j-cast.com/kaisha/2013/10/30187627.html?ly=cm&p=1

「阪急阪神ホテルズ」恥の上塗り社長会見のお粗末

2013-10-29 | 経営
二回にわたった阪急阪神ホテルズの社長会見、まれに見るひどいものでした。あの“囁き女将”以来の快挙でしょうか。最初が「偽装ではなく誤表示」、ようやく辞任を決めた昨日もまだ「偽装と思われてもしかたない」とは、一流ホテルグループのトップの謝罪会見として底が浅すぎます。だいたい、何回にもわたって何時間も苦しい言い訳と人のせいにすることのマイナス・イメージにお気づきになられない時点で、完全アウトであると思います。

前回のエントリーでも指摘した顧客を舐め切ったとんでもない組織風土が、その後の対応でますます明確になったと思います。それにしてもひどい組織風土です。社内にはウソがまかり通り。そのウソをどこまでもツキとおそうとして“曲解”というウソの上塗りを繰り返す。場合によっては人のせいにして責任回避をする。ハッキリ申し上げて、救いようのない同社の風土実態が実にストレートに伝わってまいりました。
◆経営陣が甘く見る「阪急阪神ホテルズ」の抜き差しならぬ“病状”
http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/8b28a59f38d7b025c6a18d42671fd735

昨日の会見での“曲解”のおかしさをひとつあげるなら、「九条ネギ」のくだり。「メインは鶏肉であったので、添え物のネギが変わってもそのままで良いと調理サイドが思った」と社長が言っていましたが、何がメインであろうがメニュー名に「九条ネギ」と入っていて、そのネギが違うものに変わったのに「九条ネギ」の表記を残すっていう判断そのものが完全に「偽装」じゃないですか。「偽装」であるか否かの判断すらできなくなっている組織風土は完全に病気以外の何ものでもありません。社長が会見に登場して、しかも悪評を受けての二度目の会見でこれですから、病状は相当深刻であると思います。

今回の事件を受けて社長は辞任をしましたが、それだけで何が変わるのか全く見えてきません。社長の会見によれば、独自調査に頼った挙げ句、事件は現場の不手際や連携不足、納入業者のミスなど、人のせいにするばかりであり、トップが交代したところで何が変わるのでしょうか。「すべて私の指導力の問題」とでも言うのなら、あなたが交代すれば良くなるということねとなるかもしれませんが、そうではない以上平気でウソをつく組織風土の問題に気が付きそこに手をつけないことには問題の根本は何も解決しないと思います。

大体において、事態の検証や原因究明においてすら第三者の目を入れずに対応して、御手盛りで「誤表示が原因でした」と言い放つやり方でよしとしていること自体がおかしい。まずは第三者による徹底的な事実検証と客観的評価をもとにして、原因の究明をおこない再発防止に向けた対策を講じる、それが本来あるべきやり方ではないでしょうか。そして、単なるトップの交代にとどまることなく、経営陣にも外部の風を大々的に入れて組織内の空気を清浄化することが、今同社にもっとも求められる事なのではないかと思います。

みずほ銀行のコンプライアンス違反の問題もまた、昨日第三者機関の検証評価を経て業務改善計画が提出されました。阪急阪神ホテルズとの共通点として気がつかされるのは、合併、統合企業における融和せざる組織の相互けん制に対する無意識的な忌避が悪しき風土を生きながらえさせコンプライアンスに関わる自浄機能を損なっているということです。対処法はただ一つ、外部の風以外にはありません。みずほ銀行の現時点までの対応策がベストなものであるとは思いませんが、少なくとも第三者の検証を経た対応策の策定にはそれなりの意義があったとは思います。

第三者による検証すら受け入れぬまま繰り返されたお粗末極まりない阪急阪神ホテルズの社長会見を見るにつけ、同社の信頼回復ははるか遠いところにあると言わざるを得ないでしょう。

経営陣が甘く見る「阪急阪神ホテルズ」の抜き差しならぬ“病状”

2013-10-24 | 経営
またまた出ました、名門企業におけるコンプライアンス違反事例。今度は阪急阪神ホテルズです。実際は異なる食材を使っていながらの偽装メニュー表示を一流ホテルがおこなっていたと言うのですから、電話やらWEBやらで同社に対する非難は大炎上。現状収まる気配なしという状況のようです。

同ホテルが偽装していたメニューは、「レッドキャビア」「九条ネギ」「霧島ポーク」「信州そば」「手ごね」「鮮魚」など47種類にも上ると言います。しかも遡り調査が可能な06年からずっと続いていたというですから、実際にはいつから始まっていたのか皆目見当もつかない状況にあるようです。

この状況をどう見るかですが、謝罪会見に臨んだ総務人事部長は、「アピールポイントを強調しようとしてメニューを作り、誤った表示をした。意図的、明確な意思を持っていない」と話しています。「悪意」はなかったと言いたいのでしょうが、私は「悪意」があった方がよっぽど救われていると思いました。なぜなら、「悪意」なく「意図的、明確な意思を持たず」、長年にわたって複数の施設でごく自然な形で50にも及ぼうと言う多数の偽装メニューづくりがおこなわれていたことは、この偽装自体が同社の「文化」であるということを示す以外の何モノでもないからです。

誰かの指示や特定部署の思惑による「悪意」が原因なら、その「悪意」を除き「悪意」の再発防止をすれば問題の解決に向けた道筋は作ることが可能でしょう。しかし、「悪意」なく「意図的、明確な意思を持たず」に、同時多発的に偽装が起きたと言う原因不明状態にあるのだとするなら、解決策は途方もなく遠いところにあると言わざるを得ないのです。

組織における「文化」や「風土」というものは、それを変えようと試みるのなら、まずはいつから、なぜそれが根付いてしまったのかを検証する必要があります。歴史が長すぎてその検証が不可能であるとあるとするならば、外圧により風土を一変させるようなショック療法以外に打つ手はありません。最も分かりやすいやり方は、トップの外部招へいと社外役員登用を含めた全役員の刷新です。これは破綻処理に準ずるやり方と言っていいでしょう。

日航の再建に際して同社が稲盛和夫氏を会長として招へいし、氏のフィロソフィーの考え方を全幹部に刷り込むことで同社を破綻に導いた官僚的組織風土を葬り去ったことが、近年の組織風土改革の成功実例として挙げることができるでしょう。いずれにしまししても、同社が発表しているような「役員や社員の処分」といった甘い対応で粛清されるような簡単な問題ではないのです。

みずほ銀行の事件の際もそうでしたが、どうも名門企業や大手企業は組織風土に根ざしたコンプライアンス違反事例を軽く見過ぎる傾向があります。軽く見ればどうなるのかと言えば、組織風土は根本の部分で改まることなく、必ずやまた同じ根っこによる不祥事が再発するのです。みずほ銀行の場合には、統合前の第一勧業銀行で起きた総会屋利益供与事件の教訓が結局活かされることなく、同じ反社会的勢力に対する甘い対応が今回の事件に結びついたわけです。阪急阪神ホテルズにおいても、今回の件を組織の文化や風土に根差した問題として捉えないのなら、必ずやまた同じ根っこに起因する不祥事が起きると私は確信しています。

今回の問題でもまた、みずほ銀行の件と同じく事件発覚に際しての謝罪会見にトップが姿を見せていません。いかにコンプライアンスを舐めているのかがよく分かる同社の対応です。もっと言えばサービス業として多くのお客さまに迷惑をかけていながら、いかに顧客をなめて切っているのかを表すような愚行であるとも思います。これもまた、同社の文化、風土のなせる業に相違ないのです。

名門企業の文化、風土に起因する不祥事は、新進の企業が起こす不祥事以上にその傷が根深く完治しにくいのです。今回の不祥事でまたも名門故に思い切ったメスを入れることができずに、不祥事再発への道を歩んでしまうのか。私は企業のお手伝いをする立場の人間として、阪急阪神ホテルズが名門ではなく“迷門”になり下がってしまっていることに早く気が付き、目先の「処分」にとどまらない抜本的な風土改革に着手されんことを切に望みます。

アベノミクスを腰折れさせないカギは銀行にあるというお話

2013-10-22 | 経営
先週の事ですが、地元選出の国会議員と意見交換をしました。テーマは「アベノミクスを本物にする中小企業の活性化」。その場では、中小企業経営を知る立場からいろいろ要望を含めお話しさせていただきましたので、この場でも少しまとめておきたいと思います。

まず今なにより必要なことは中小企業のトップライン支援、すなわちいかにして彼らに売上の増加をもたらすか、です。昭和の大企業系列下の中小企業群は既になく、どこの企業も少数の大企業に頼り切った受注体制では生き残ることが難しく、自力で売り先を探すことが発展に向けた生命線を握っていると言っても過言ではありません。

しかし、豊富な情報や人脈を持つ企業はごくごく限られた存在であり、販路を拡大するための外的支援こそ中小企業が今本当に必要としているところなのです。そのために必要なものは、中小企業同志あるいは中小企業と大企業のマッチングを支援する組織の存在です。今までも公的機関が仲立ちをしているとお考えの向きもあるかもしれませんが、まだまだ質、量ともに全く足りていないのです。公的機関で足りないとするなら、どこがその仲介ふさわしいのでしょうか。

私は、その役割を担えるのは地域金融機関をおいて他にないと思っています。仲介者としての信用力と法人取引先を多数抱えるビジネスモデルは、まさしくビジネス・マッチングに仲介役に最もふさわしい存在です。彼らは現状でも、一部取引先の業務斡旋をおこなってはいますが、あくまで取引先へのサービスの一館程度。ではその拡大に向けて何がネックになっているのかと言えば、業務斡旋があくまでサービスであり彼ら自身の単純にビジネスになっていないと言うことではないのでしょうか。

ならば業法を変えて、業務斡旋で銀行が手数料をとれるようにすればいいのではないでしょうか。銀行自体も時代の流れと共に、ストックビジネス一辺倒を改め手数料稼ぎをメインとしたフロービジネスの比率を高めてきています。しかも、仲介ビジネスには、失敗をしても銀行の経営基盤を揺るがすようなリスクは存在しません。その意味においては、銀行の持つ情報とネットワークを活用して、トップライン支援を通じた中小企業活性化につなげる最良の策ではないかと思うのです。

この施策を本業務を当面は地域金融機関にのみ認可することで、経営環境の厳しい一部金融機関の収益増強策にもつながるでしょう。また、メガバンクのリテール戦略によって地域金融機関とメガバンクの色分けが分かりにくくなった昨今、地域金融機関の特性を利用者に対して明確にしていく意味においても大変意義のある施策なのではないかと思うのです。実現に向けて超えるべきハードルはたくさんあるとは思いますが、なんとか実現に向けて検討をしてはいただけないものか、私は先日の議員さんとの懇談会で力説しておきました。

アベノミクスで回復基調と言われる日本経済の腰が、伸びるか折れるかは産業の底辺を支える中小企業次第です。我が国には優秀な中小企業もたくさん存在します。そして、そのすぐれた技術やサービスを必要としている企業もまた、たくさん存在しているはずなのです。要はそれをつなげることができるなら、優秀な中小企業は大企業にぶら下がるだけでなく大きく発展できる可能性も秘めているのです。

中小企業を育てることは地域金融機関の責務であると政治も原点に立ち返って自覚をしていただき、地域金融機関の持てる情報力を最大限に活かしより現実的な中小企業支援につなげられるよう、政治的後押しにより実現して欲しいと願うところです。

※これとは別に、消費税増税対策につながる私的中小企業活性化策もお話しています。こちらはジャスト・アイデアレベルですが、改めて紹介します。

みずほ銀行事件に見る、いまだ護送船団文化から抜けきれない銀行界の闇

2013-10-09 | 経営
みずほ銀行の反社会的勢力に向けられた融資が2年以上放置されていた件が、新たな局面に入りました。前回の副頭取の会見で、「担当役員止まり」とされていていたコンプライアンス違反の事実認識が、頭取にまで及んでいたことが判明し、昨日佐藤頭取がようやく重たい腰をあげて会見に臨みました。

この事件の背景について私は先週のエントリで、「問題の根底にあるのは保身文化であり、その保身文化を育ててきたものは減点主義人事である」と書きましたが、昨日の会見でこの問題の全容が徐々に明らかになるにつけ、私の主張はまずます説得力を持ってきたと感じるところです。

みずほ銀行がオリコの反社会的勢力向け融資の存在を知ったのは、西堀利頭取時代の10年12月。その後、11年2月から12年1月にかけて、みずほ銀とみずほFGそれぞれの取締役会とコンプライアンス委員会で4回ずつ報告されており、トップを含めた役員クラスは全員、当然コンプライアンス違反の事実は知っていたと言うことになります。では、なぜその問題が昨年12月に金融庁検査で指摘されるまで、放置され続けたのか。

原因は確実に「保身」です。「自分が引き起こした問題ではない」という「保身」です。ヤバいものに手を突っ込むことで、自分も当事者に巻き込まれるからそれをしないという「保身」です。「保身」と「無責任」は表裏一体なのです。「保身」的発想から当事者になることを忌避し、臭いものにフタならぬ、臭いものに気づかぬフリを決め込んだのでしょう。トップが見て見ぬフリを続ければ、下は自らの身を危うくするようなことはしないわけで、「保身」の連鎖がそこには生まれ、組織の自浄作用は、完全に失われてしまうのです。

組織における役職は役割であり、自分が巻いたタネであろうとなかろうと、自己の役職に置いて管理すべき問題は何事も当事者意識をもって解決に望むのが役割の正しい遂行であります。しかしながら、銀行のような一度の失敗により挽回が難しくなる「減点主義人事」の組織風土においては、「保身」は役職と役割を分離させ役職を守らんがためにリスクの高い役割を放棄するという愚行に出させてしまうのです。

「減点主義人事」をはびこらせた最大の原因は、旧大蔵省による護送船団方式の金融行政でしょう。官僚の完全管理の下、信用第一を掲げ、ほめることなくむしろ出る杭を打ち続け、足並みをそろえさせてきた金融行政は、いつしか日本の銀行に“お上に怒られることが一番いけないこと”という、顧客二の次の保守的な体質を生みその流れが「減点主義人事」を生みだしたと捉えています。この「減点主義人事」こそが、銀行に「保身」体質を蔓延させ、今回のような無責任対応を生む元凶になったと思うのです。

みずほ銀行がこの問題での会見をしぶり続け、最初の段階で佐藤頭取が会見に登場しなかったのも、私は頭取の「保身」以外のなにものでもないと思っています。そして、みずほ銀行において他の銀行以上に「保身」分化を強くさせているのは「合併行気質」に他なりません。旧富士、第一勧業、日本興業の三行の合併により誕生したみずほ銀行は、表向き三行横並びをイメージさせながらも、裏を返せば主導権なき足の引っ張り合いがあったことは想像に難くなく、ひとつの失態が対二派閥に対する劣勢を生みかねないと言う「保身」が働き臭いものに見て見ぬフリがまかり通っていたのではないかと思うのです。

第三者委員会における原因究明に着手するとの報道ですが、再発防止は「保身」体質にメスを入れないことにはなしえないであろうと思っています。そのために必要なことは、「減点主義人事」から失敗を恐れずチャレンジしその姿勢と実績を評価する「加点主義人事」への転換です。その実現に向けては、金融庁の銀行への指導方針の転換も不可欠であろうと思うことろです。