日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

東電の値上げは、他社の値上げとは意味が違うと認識した対応が必要

2013-03-29 | 経営
昨日夕刻、新橋駅前を通がかりに某テレビ局の取材クルーに呼び止められ、コメントを求められました。テーマは「電気料金の値上げについてどう思われますか?」。私は持論展開でこれにお答えしました。先方は恐らく単に「困りますねぇ、まだ収入が増える前の支出増先行は苦しいです」的な答えを期待されていたようなので、使われることはなかったのでしょうが、せっかくですから昨日コメントした私が思うこの問題のポイントについて少し書いておきます。

今回の電気料金の値上げは、円安で液化天然ガス(LNG)の輸入価格が急上昇したためのもの。東京電力の標準家庭では前月比180円超となるなど、大幅な値上げと言っていいレベルであります。電気料金やガス料金は、政府の認可が必要な料金改定とは別に、制度上、直近3か月の燃料輸入価格の変動に応じて毎月見直されるシステムになっており、この値上げはその類のものです。今回の値上げ対象は電力10社と都市ガス4社でありますが、東電だけに関しては、公的資金注入企業かつ昨年福島の事故処理関連コストの利用者負担を料金値上げの形で既におこなっているのであり、「円安ですからね、しかたないですね。はい、分かりました」と易々と受け入れていいものではないと思っています。

原則論で言うなら、公的管理下かつ利用者負担を実行済みの企業であるのなら、原料価格増を理由の値上げするにしても、再建計画にある削減計画に対してどこまで努力をしているのかを明示し最低限でも計画の進捗においてそれが順調に達成されているか否かを政府がしっかりと確認した上で、国民に開示して世論に可否を問うという従来とは別の手続きをとる必要があるはずです。理由のひとつには、今回の値上げの一部に目標未達分の埋め合わせ分が紛れ込んでいる可能性も完全には否定できないわけですから。

読売新聞によれば、一般的な家庭をモデルにした今回の値上げ幅を見るに、14社中なんと東電が値上げ幅では前月比183円増でトップです。これはLNGの使用比率にかかわる問題なので、他社に比べた東電の怠慢が原因であるとは申し上げませんが、値上げに次ぐ値上げで東電が自社の至らなさを利用者に対し本当に申し訳ないと考えるのなら、183円のうちの幾ばくかでも抑えて「企業努力で吸収します」という姿勢を見せるのが筋なのではないかと思うのです。いささか穿った見方にはなりますが、公的管理移行後も一向に改まらない横柄で嘘つきな同社の企業姿勢を見るにつけ、どうしても原材料費増加理由だけではない値上げ分がもぐりこんでいるのではないかと思えてしまうのです。

いずれにしても、昨年あれだけ公的管理、値上げ等々で大騒ぎした話も、のど元過ぎればでその後の進捗がどうなったのかを忘れてしまったかのような、メディア、世論の動きもこれではいかんと思います。このような再度の値上げ局面においては、あのとき話題になった施設の売却はどこまで進んだのかとか、給与の削減は予定通りに行われているのかとか、年金カットは実行できたのかとか、そう言った具体的な部分の進捗を正していく必要があるのです。

これは一般企業におけるリストラ策の進捗管理においても全く同じこと。企業におけるリストラ計画の進行中の部門に新たな出費が発生する事態になるのなら、その段階でリストラ策の進捗を確認しその進み具合が思わしくない場合には、新たな出費の前に計画の抜本的な見直しも検討する必要が出てくるわけですから。東電に関していうなら、再建計画が計画通りに進んでいないのなら、破たん処理による抜本的な再建方針の見直しを検討する必要があるのです。

健全な公共的企業がおこなう値上げと、破たんの淵に立つ公共的企業がおこなう値上げとは、それに対するチェックの厳しさに大きな差をつけることは当たり前のこと。政府は早急に現状の東電の再建計画進捗状況を調査・開示し、値上げ時期を遅らせてでもメディアを通じて東電再建方針見直しの要否について、世論の判断を仰ぐべきであると考えます。東電を健全企業と同様に扱っての平時と同じ自動的料金値上げには、大きな疑問を感じる次第です。

郵政の“大家業”進出は、官僚改革の足かせにならないか

2013-03-28 | その他あれこれ
先週オープンで話題を集めた、日本郵政(以下JP)が初めて手がける商業施設「KITTE=キッテ」の話を少ししておきましょう。

旧東京中央郵便局局舎を一部保存、再生し建設されたこと(いつぞや、旧建物の解体時に鳩山弟が大騒ぎして余計なカネのかかる一部保存建築に変更させたなんていう話もありましたっけ)、地下1階地上6階に98の店舗から成る豪華絢爛な商業施設がオープンしたこと、フロアごとに木材や瓦、織物、和紙 など日本古来の素材を使用してコンセプトである「Feel JAPAN」が表現されていること、等々話題に事欠かない新施設に関する報道が先週末にかけて展開されておりました。

施設の良し悪しはまだ見ておりませんのでなんとも申し上げようがないのですが、実は私はこのJPの商業施設運営事業に関してはちょっと嫌な懸念を抱いているのです。

商業施設運営事業と聞くと、似たようなケースですぐに思いあたるのがJRの駅ビル、駅ナカ事業です。JRの駅ビル、駅ナカ事業は確かに交通機関利用者にとっては大変便利なものであり、その部分だけを見るならありがたくかつJRも潤って良いことづくめであるかのように思えています。しかし、先月件の雪予報前日間引運転決行事件の時にもそのあまりに自己中な対応の杜撰さを指摘させていただきましたが、JRの施策の目線の高さは相変わらずで顧客目線には程遠いというのが現実なのです。

原因の一端は、企業としての競争意識のなさということが広く指摘されてはいるのですが、私はもう一つの原因として不動産テナント事業がJRの利益の大きな部分を担うようになったことも少なからず影響があるように思えています。不動産テナント事業とは言ってみれば“大家業”です。モノを売るのはテナントであり大家は直接消費者とは相対しない。かつ、日本の大家というものは古くから根付いている地主文化を踏襲して、偉そうにするわけです。「貸してやっているんだ」と。

実際、JR駅ナカに出店しているお店のお話を聞くと、「売上が落ちれば撤退命令が出る」とか、売り上げが下降線に入ろうものなら「何にやってるんだ」ぐらいのことは平気で言われてしまうとか。もちろん、これは他のショッピングモールでもよく聞かれる話で、JRだけがテナントに対して横柄であるということではないのですが、JRにおけるこの点をあえて問題視するのは、以下のような理由があるからです。

モールはイオンでもヨーカドーでも、そもそもが消費者目線のビジネスを生業として発展してきた企業ですから、多少テナントに厳しく当たろうとも、それが顧客目線への変化を及ぼすと言ったことにはならないだけのしっかりとした顧客目線風土が出来上がっているわけです。ところが、JRはもともとが親方日の丸の国家事業三公社の一角である国鉄なわけで、根本の文化そのものに顧客目線がないのです。ただでさえ、競争相手のいない顧客目線欠如文化がいつまでも抜けきらない彼らに、“大家業”を新たな事業の柱としてやらせたことで、ますます顧客目線は遠くなるばかりであると実感することしきりなのです。

JPはどうか。こちらは三公社どころではなく国家直営事業として、長らく運営されてきた超親方日の丸事業です。「郵便局は庶民的で十分、顧客目線だよ」とおっしゃられる方がいるかもしれませんが、それはあくまで現場末端の話。JRのケースにしても問題の焦点は、現場の行動ではなく本社の意識と行動です。雪予報の間引き運転にしても、一向に改まらないスイカによる新幹線利用の不便にしても(駅ナカ改装に次々投資をするなら、先にやるべき利便性向上は山ほどあるはず)、全て本社の顧客目線の欠如が原因であるのです。私の懸念は、同じことがJPにおいても、今回の“大家業”への進出で起きうるのではないのかということです。

「KITTE=キッテ」に味をしめてJP本社が“大家業”の楽さ加減と横柄の心地よさに安住するなら、次々と大所JP施設のテナント化の流れは容易に想像できる展開であり、そうなれば本業における施策の顧客目線欠如も目に見えて表れることは確実な気がするのです。それを阻止するためにも必要なことは、民営化郵政の民間競合他社、すなわち銀行、保険会社、宅配便会社とのイコール・フィッティングによる健全な競争環境の確保であったはずなのですが、郵政法案の“改悪”にそれすらも実現はほど遠くなってしまったという現実があるわけです。

官僚制度改革に向けた官業的なるものの改革は、まず何より消費者との接点を多く持つJRやJPの顧客目線の基準化によるサービス姿勢の改善にこそあるはずです。今回の「KITTE=キッテ」オープンによるJP“大家業”進出は、最終的には官僚改革をまたしても遅らせる要因になるのではないかとの懸念の色を濃くさせられて、なんとはなしに気分が悪いというわけなのです。そんな懸念が杞憂に終わることを心より祈ります。

WBC山本監督に学ぶ、チームリーダーの体型的弊害

2013-03-21 | 経営
最初に断わっておりますが、これから書く事例は“後だしジャンケン”的なことではなく、ましてや結果論的責任追及でもありません。あくまで、スタッフと日常的な接点を持っている組織リーダーの心得として、私が見てきた多くの企業での実例を踏まえ会得した教訓を伝えるために書き記すものです。

その事例とは、プロ野球WBC日本代表チーム監督山本浩二氏です。私は、彼が日本代表監督に就任した際にこう書き記しています。
「山本氏には引き受けてのない“大役”を快く受けてくれたことを、一スポーツ観戦愛好家として敬意を表しながらも、残念ながら今のままの彼では日本の三連覇は難しいと言わざるを得ないと思っています。問題は何か。それは歌手の沢田研二氏とも共通する、顔までが大きく肥大化するなど精悍な現役時代とは比べるべくもない氏の緊張感のない体型であります」

そして結論として私が申し上げたことは、「怠惰な生活習慣が原因と感じさせられる肥満体型は、必ずやその人間がリーダー役を務める組織の緊張感を緩めることになり、重要な局面を迎える段階においてはそのことが足をひっぱり目的未達成に終わるということを、多くの企業組織において目の当たりにしてきました」「本番までに、現役時代の体型に戻せとは申し上げません。ダイエットに取り組みその減量努力が大会に向けた緊張感と言うメッセージに変ってメンバーに伝わるところまでがんばってもらいたい」ということでした。

しかしながら私のそんな願いもむなしく、山本監督は就任時と変わらぬ体型で大会本番に臨みました。「あー、今回は終わったな」と私は思いました。これは断定ではないものの経験則からそう思ったまでです。それを責める気など毛頭ありませんが、日本チームの三連覇を期待していた一ファンの立場からすれば、大変残念ではありました。もちろん監督の体型が今回の日本敗退のすべての原因とまでは申しませんが、チームの判断や行動や勢いに大きな影響を与えたであろうことは確実であると思っています。

経営者やチームリーダーの皆さん、特に現場スタッフとの日常的な接点をもっているリーダーの皆さんには、今回の山本監督の例をよく覚えておいて欲しいと思います。たかだか体型ごときの話でバカらしいと思われるかもしれませんが、スタッフも人間ですからリーダーの意気込みや緊張感の有無が、そのチームの勢いや成果に意外なほど大きく影響するのです。そしてまた、人間であるからこそ、その意気込みや緊張感というものは見てくれ見かけの印象によって大きく左右されるものであるということもまた、動かし難い事実なのです。

もちろん、単に太っていること、肥満体形を問題視しているのではありません。生まれつきの体質や体形、病気による体型の変化等々を問題視しているわけではありません。問題になるのは、「怠惰」な生活習慣が原因と感じさせる体型の変化です。

どんなに偉そうなことを言おうが、どんなに力強いエールを送ろうが、「怠惰」を感じさせる体型がその意気込みや緊張感をすべて奪い去ってしまうことも間々あるのです。以前が精悍な風貌であったならあっただけ、その確率は高くなるでしょう。「偉そうなこと言っても、社長は楽してうまいもん食ってブクブク太っているばかりじゃないか」などと少しでも感じさせてしまったら、リーダーとして組織に緊張感を与えることはできなくなってしまうのです。

WBC日本チームの監督も企業におけるリーダーも、おカネをもらって引き受けるリーダーの「プロ」です。例えそれがオーナー会社のトップであってもです。報酬をもらってリーダーを引き受けた以上、その役割の全うに向けて最善を尽くすのが「プロ」たるものであります。もし「怠惰」が原因で太ってしまったのなら、改善努力をメンバーに見せることで緊張感を与えるということもまた、リーダーの立場にある「プロ」として求められる当然の対応なのです。

前向き後ろ向きを問わず組織が重要な局面に立たされているとしたなら、リーダーが醸し出す緊張感の有無は確実に結果に影響を及ぼすものです。もちろん緊張感を失わせる見てくれは、怠惰を感じさせる体型に限ったものではありません。組織リーダーは、たかが見てくれと言えども自分のそれが組織やチームにおいて緊張感を低下させるものになっていないかどうかという点にも常に気を配ることがその責任上求められているのだということを、今回のWBC山本監督から学ぶものとして、心に刻んでしてほしいと思います。

この話が組織運営のすべてと申し上げるつもりはありませんが、リーダーとは常に組織の構成メンバーから注目される存在であり、その立ち振る舞いは見てくれから含めて常に気を遣うべき立場にある、とのご理解をいただければ幸いです。

「ソニーに春は来ない」を感じさせる平井CEOの“ストリンガー礼賛コメント”

2013-03-19 | 経営
ソニーの前CEOで取締役会議長のハワード・ストリンガー氏が、今年の株主総会で同社の経営から退く意向を表明し、それを受けて現CEOの平井一夫氏が「ソニーにおける多大な貢献に心から感謝する」とのコメントを発表し各方面で波紋を呼んでいます。

そりゃそうでしょう。下降線にあった同社を出井伸之氏から経営のバトンを受けたストリンガー氏は、“ダメソニー”に一直線のかじ取りをした“超A級戦犯”なわけですから。「何をバカなことを言っているのだ」と一般人の冷ややかな目線は当然のこと、特に株主は腸(はらわた)が煮えたぎるような思いで、このコメントを聞いたのではないでしょうか。

古くから近江商人の商売精神をして、売り手、買い手、世間、このすべてが満足のいくような状況を「三方よし」と言って、これができる商売こそが我が国古来のあるべき商売であると言われてきたものです。今の時代の企業経営においてもこの考え方は有効であり、その「活動における直接・間接の利害関係者=ステークホルダー」の中からそれぞれの企業の立場からみて大切な「三方」を選択して、その全てに気を回し満足度を高める経営こそが現代版「三方よし」の精神ではないのかと考えられるところであるでしょう。

では現代における上場企業経営にとっての「三方」とは何か。まずは「外」。「外」とは顧客をはじめとして、協力業者関係、さらにはマスコミ、投資家に対し正しい理解を得ることを通じて醸成される風評などがこれにあたります。次に「内」。「内」とは社内関係、ESをはじめとした社内の満足度を高めることです。そしてもうひとつ、資本主義における企業経営、特に上場企業、株式公開企業において決して外すことのできないものが、「株主」であります。

言わずもがなのお話ですが、株式会社は「株主」の出資があってはじめてその企業活動が成り立つものです。と言うことはすなわち、「株主」を軽視する株式公開企業の経営者は、マネジメントの何たるかを全く理解していないということになるわけです。「外」「内」「株主」の3つにあえて優先順位をつけるなら、そもそもの企業の存在にかかわる「株主」が最上位にきて、その後に企業の存続にかかわる「外」が続き、より円滑な企業活動にかかわる「内」はさらにその下につくことになるかと思います。

いささか回りくどい言い方をしてまいりましたが、要するに平井CEOのストリンガー氏辞意に対する敬意のコメントは、「内」に対する気遣いを優先させることで、より上位にあるはずの「株主」の心象を顧みず、結果として風評を悪化させるという「外」の評価をも下げしめるものであった、と申し上げたいわけです。実はこのトップの「内」に偏る気遣いは、「既得権擁護」→「私物化」の実態を表すものであると、多くの企業マネジメント分析で実証されているところでもあるのです。

思えばストリンガー氏は主力事業であるエレキ部門の立て直し、黒字化を最大のミッションとして経営を引き継いでおきながら、ついぞ黒字化の道筋すら全く示せぬまま7年と言う無駄な時間を過ごし、企業決算としても4年連続の赤字決算、昨年は4500億円を超える巨額の赤字を計上してきました。時価総額で見るなら就任時の約6割減という悲惨な状況です。それでありながら、その間の公表されている限りの情報ではありますが、11年度が約8億円、12年度が約5億円の巨額の報酬を臆面もなく受け取ってきたわけです。

トップの居座りと巨額報酬は出井氏が作り上げた「ソニー私物化路線」の踏襲による「既得権化した経営の悪弊」でありますが、ストリンガー時代の経営実態を世間の誰もが知っている中で、平井氏が「ソニーにおける多大な貢献に心から感謝する」とのコメントを出すことは正気の沙汰ではないという判断すらできなくなっていることに、彼の病の重さを感じずにはいられません。百歩譲って先の「三方」における「内」向け限定でひそかに謝意を囁く程度ならまだしも、企業のトップとしてこのようなナンセンスなコメントを公にするというのは、経営者としての手腕を著しく疑わせる事実以外のなにものでもなくなってしまっているのです。

平井氏の先人崇拝的謝意は、自分をトップに引き上げて私物化の仲間に加えてもらったことへの感謝なのでしょうか。地位と巨額報酬に目がくらんでいるのだとすれば、目を覚まさなくてはいけません。今彼がやるべきは、まず何よりも出井氏が築き上げた、お手盛り役員人事、お手盛り役員報酬し放題の委員会設置会社取締役会の白紙化を手始めにした、「私物化文化」の一掃であるはすです。しかしそのような状況下にありながら、「私も私物化路線をありがたく続けさせてもらいます」と言っているかのようなコメントを聞かされては、桜便りが聞かれるこの季節にありながら、「ソニーに春は来ない」を実感せざるを得ないのです。

お知らせ~拙連載更新について

2013-03-18 | 経営
J-CASTさんの拙連載「社長のお悩み相談室」
All Aboutさんの拙連載「組織マネジメント」ガイド
それぞれ更新になっております。以下のURLよりお入りください。

◆「社長のお悩み相談室」~二代目社長がウンザリ!「何かと口をはさむ創業会長」の意図は何なのか
http://www.j-cast.com/kaisha/2013/03/18169921.html

◆「組織マネジメント」ガイド~組織の7S「組織(Structue)」(後編)~アップルとパナソニックの組織
http://allabout.co.jp/gm/gc/412858/


★好評発売中!「できる人だけが知っている仕事のコツと法則51」(エレファント・ブックス刊 450円)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00AA6CJYE/

使いたくないe-Taxから漏れる官僚文化の匂い

2013-03-15 | その他あれこれ
個人的なお話で恐縮ですが、昨日無事24年度の確定申告書書類の提出を完了したしました。ここ数年、この作業中に毎年出くわす事象。「今年こそはe-Taxに移行するか」と思いつつも、「やっぱり、やーめた」になるという流れです。

一番のネックは何と言っても、自宅あるいは事務所のPCとネット接続環境だけではe-Taxの手続きが完結しないとい言う点です。電子証明書の取得とICカードリーダライタなるものが必要になるんだとか。私は毎年毎年「今年は、やり方が変わったかな」と思いつつ動き出しとともに、e-Taxの説明を読んで「なーんだ、まだ変ってないのか、じゃ今年も見送り」を繰り返しているわけです。

電子証明書は、住民票のある市役所等の窓口で住民基本台帳カードを入手し、「電子証明書発行申請書」等を提出して電子証明書(公的個人認証サービスに基づく電子証明書)の発行を受けるそうです。その際に手数料が、市町村によって若干の上下はあるようですが500円程度はかかるそうです。しかも、有効期限があって3年ごとに作成のしなおしをしないといけないんだとか。ICカードリーダライタは、この入手した電子証明書で本人確認をして、納税義務者本人として納税データの送付をおこなうために使うものだそうです。市販で2~3千円程度。

なんでこんなめんどくさいやり方にしたのでしょう。念には念を入れた本人確認の徹底がその理由なんでしょうか。本人確認の重要性はよく分かりますが、でも入口の本人確認さえできればIDとパスワードの発行をするなりなんなりで、あとはそちらのシステム内でうまく対応するなりなんなり、もっと簡便にできないものなんでしょうかね。だいたいが納税を「なりすまし」で赤の他人にやられるリスクってそんなに大きいのかと、ちょっと疑問に感じなくもないです。素人考えではありますが、やり方が非常に悪いような気がしています。

それと心象の問題。要するに納税の電子化は、国税庁、税務署関連の納税事務の効率化が目的なわけじゃないですか。それを納税者本人の負担を経てすすめようという態度が見えて心象悪いわけです。電子申告者への税金軽減措置もあるようですが、なぜ軽減措置であって奨励金による一律配布にしないのか。それも疑問です。納税額の有無によって恩恵の有無が違うのって、電子申告を奨励するという趣旨から考えて非常におかしな感覚でもあり、この点もまた心象を悪くしているわけです。

そもそも、自己のメリットのために何か物事をすすめるのであれば、利用者サイドの金銭的、労力的負担を前提とするやり方はおかしいと、やる前に気がつくべきじゃないのでしょうか。電子証明書とICカードリーダライタを使ったやり方では、利用者の立場に立って考えられていないとなぜ導入前に気がつかないのかです。そういうところが、日本の官僚文化のもっとも正さなくてはいけない部分であり、この辺りの考え方に「これではまずい」と気がつかない限りは、官僚制度改革などというものは結局、永遠に実現することはないのではないかとすら思わされてしまうのです。

昨年はe-Taxによる申告の比率が、個人納税者の所得税申告で4割を超えたという話ですが、この利用率には税務署で申告相談に訪れた人をPC申告に誘導して、スタッフのヘルプの下、その場でe-Taxを使って手続きをとらせた人の数がカウントされているそうで、これが利用者数の大半を占めているのが実態のようです(税務署の相談窓口に行くと、手書き申告書持参でも即PCコーナーに誘導されます)。つまり、個人ベースでの本当の普及は、悲惨な状態であるのは想像に難くないところです。

国税庁としては、普及率が低いままだと「多額の開発費をかけてこの普及率はなんだ。この税金泥棒!」と言われることが怖くて、数字だけをカクフラージュで作っているというのが実情なのでしょう。このままで良いわけがないです。いつまで、確定申告時期に多くのヘルプ作業員の膨大な人件費をかけて、カムフラージュを続けるのでしょうか。

こんな状況下で常識的にまずやるべきことは、なぜ「利用率が上がらないのか」を正直に自覚し、「その原因となっている問題の解決のためにやるべき改善策」に動き出すべきなのです。すなわち、先の電子証明書とICカードリードライタを使用するやり方の見直しに、早期に着手すべきなのではないでしょうか。

毎年確定申告のたびに、官僚文化の嫌なにおいを感じされるのはなんとも不快です。日本の行政をあるべき姿に変えていくためには、生活者に近いこの辺りからしっかり変えていく意識を持ってほしいと思います。

資生堂を悩ます忌まわしき「名門」体質

2013-03-12 | 経営
資生堂のトップ交代人事が発表されました。現社長の末川氏が退任し、前社長で現会長の前田氏が社長を兼務する異例の“返り咲き”人事のようです。

末川氏は2年前に、リーマンショックの影響とドラッグストアの台頭等による化粧品業界の大激変に翻弄される業界首位企業の復権に向けて、52歳の若さでトップに抜擢された期待の若手エリートでした。しかし業績の回復は思うに任せず、今期は四半期ごとに業績予想の下方修正を余儀なくされる状況下におかれ、非常に厳しい立場に立たされていたようです。

資生堂と言えば、日本においては超のつく「名門」企業であり、その傑出したブランド力がこれまで同社の発展を支えても来ました。しかし、長期化した景気低迷を受けての市場の構造変革には、「名門」企業ゆえ思い切った販売戦略の転換には至らず、復権の決定打が打ち出せぬままにジリ貧状態が続いていました。

本来であれば、前田氏からひとまわり近くも若返った末川氏へのバトンタッチは、世代交代による思い切った改革策の展開が期待されていたハズなのですが、末川氏がどうもそれが組織の力学によって思うに任せなかったようだというムードが外にも伝わってきています。

今回の異例のトップ人事を伝える日経新聞紙上に、それを示唆する気になる文面がありました。末川氏辞任の意向を受けて、社外取締役らで構成する役員指名諮問委員会が前田氏を推挙、「社長経験者の福原義春、弦間明、池田守男の3相談役に報告し了承された」と。非常に違和感を覚える書きざまであります。

経済記者と言うのは、新聞紙面において、表向きズバリは書きにくい企業の問題点指摘を、時として本来書かなくてもよいような事実関係を羅列することにより、暗に読者に対して問題点を示唆するやり方をするというケースが間々あります。同社の前田氏返り咲き人事の決定経緯を記したこのくだりはまさしくその例であると言っていいでしょう。

同社の役員指名諮問委員会というものは、会社法に則ったものではなく、委員会設置会社の取締役で構成される指名委員会を模してガバナンス公正性を外に印象付けるために作られたものであると思われます。しかしながら、「ソニー失われた20年(原田節雄著)」でも指摘されている出井ソニーの例からも分かるように、トップの意向次第で委員会設置会社の指名委員会でさえ我が国においては、社外取締役を中心に据えることでむしろトップの思惑を通しやすくし役員人事権の私物化を伸展させるものであり、法的拘束力のない資生堂の役員指名諮問委員会などは推して知るべしの感を強くします。

そして新聞記事でその後に語られる「社長経験者である三相談役の了承」の文言。私の商売柄の経験則からこの文脈を読みとるならば、三相談役の意向で末川氏は更迭され、その任命責任を負うべく前田氏が復帰したという異常な流れが想像に難くないないところです。「名門」にありがちな「旧態然」が脈々と生きている、そんな印象を強くさせられます。恐らく末川氏の悲劇は、こういった古びた“おうかがい体質”が改革の大ナタを鈍らせ、資生堂のジリ貧状態を甘受せざるを得なかったことにあるのではないかと思うのです。

資生堂の復権に向けて今やるべきは、旧態然とした「名門」体質との決別が第一であり、その最優先施策が相談役への“おうかがい体質”の一掃であると思われます。三相談役の傀儡としての前田体制が続く限り、市場激変に翻弄される「名門」資生堂の復権は難しいと言わざるを得ないでしょう。