日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№24 ~ 全米が涙した追悼盤

2008-05-31 | 洋楽
70年代の音楽番組ラジオ関東「全米TOP40」とともに、今は亡きそしてとても忘れ難いアーティストがいます。その人の名は、ジム・クロウチ。

№24 「フォトグラフス&メモリーズ/ジム・クロウチ」

私はジムを知ったのは73年の秋、聞き始めたばかりの番組「全米TOP40」で、その年の春「ルロイ・ブラウンは悪い奴」という変わったタイトルのシングルが№1に輝いたという紹介の彼の新曲で、映画のテーマ曲「アイ・ガッタ・ネーム」がチャートを上昇しているときでした。そしてその曲と彼の優しい歌声に“ピン”ときた私は、「コイツは注目だぞ」と思ったのです。

その1~2週間後のこと、同じ番組中でパーソナリティの湯川れい子女史から衝撃の事実が告げられます。それは、9月20日に起きた飛行機事故による突然の彼の死でした。彼の写真すら見たことのない私でしたが、ファンになったばかりのアーティストの死が、突然告げられた衝撃。驚きとショックでラジオの前で固まってしまったことを、今もよく覚えています。

ブルーカラーの生活を続けながら60年代の後半にやっとの思いでデビューにこぎつけたジム。なかなかヒットに恵まれなかった下積み時代を経て、ようやく努力が実を結んで72年の「ジムに手を出すな」のスマッシュ・ヒットが生まれ、「ルロイ・ブラウンは悪い奴」の№1ヒットで、いよいよこれからという矢先のあまりに残酷な運命でした。

「アイ・ガッタ・ネーム」が使用された映画のタイトルは、皮肉なことにも「ラスト・アメリカンヒーロー」。歌詞の一節「♪変化の波が押し寄せるなら、私自身も変わってみせるさ、私にはいつも夢があるのだから…」。すでに彼にはかなわぬこの歌詞の虚しさ…。哀しすぎる彼への葬送曲です。

10月には追悼シングル「タイム・イン・ア・ボトル」がリリースされ、全米№1ヒットに。「もし時間をガラス瓶の中にためることができるなら、僕は君と過ごすための時間を貯めておきたい」という歌詞に、「君」=「ジム」とだぶらせてアメリカ中が涙したのです。その後12月に、生前レコーディングを終えていた遺作アルバム「アイ・ガッタ・ネーム」がリリースされました。そして、デビュー作、セカンド、そして遺作の全3作が同時に、ビルボード・アルバム・チャートのTOP10にランクされるという“異変”まで起きたのです。

こうして巻き起こった73年の秋~冬にかけての「ジム・クロウチ・ブーム」は、続くシングル「歌にたくして」のチャート・アウトとともに静かに幕を下ろしました。そして、翌74年追悼盤としてのベスト盤「フォトグラフス&メモリーズ」がリリースされました。個人的にはセカンドアルバム「ライフ&タイムス」が好きですが、最高傑作をリリースする前に他界してしまったジムを代表する1枚は、ここにあげたすべての曲を収録したこの「フォトグラフス&メモリーズ」をおいて他にはないと思います。

その後、ジム・クロウチの名を聞くことはめっきり少なくなりました。でもきっと、70年代「全米TOP40」世代の方々の中に、今でも彼のことを忘れられないアーティストとして心に刻み込んでいる人も少なくないのではないでしょうか。本当に優しい歌声と心あたたまるメロディ。私は、時々自分の心のボトルキャップをあけて、彼の歌声を聴きながら過去にため込んだ70年代を想う時間を小出しに使っています。

続「ゼロベース思考」とは ~ JRの「ゼロベース」

2008-05-30 | 経営
最近コンサルティング手法を、ビジネスに活かすというやり方が脚光を浴びているようで、コンサルタント的「フレームワーク」の考え方に興味をもたれる人が多いようです。

先だって紹介した「ゼロベース思考」のお話。複数の方から、「具体例としてのケーススタディをもっと聞きたい」と続編希望がございました。少々それにお応えします。

JRと言えば元国鉄。企業のあり方の良し悪しは別として、「ゼロベース思考」の戦略では複数の成功事例を持つ企業であります。「えっ、そうだっけ?」とお思いの方、当初は「ゼロベース」で考えられた事業も当たり前の存在になってしまうと、「ゼロベース思考」がその立ち上がりの発想時点にあったなんてことは、意外に分からなくなってしまうんですね…。

JRの有名な「ゼロベース改革」その1として、湘南新宿ラインをあげましょう。では、ここで問題です。「湘南新宿ラインのどこの部分がゼロベーススタート」なんでしょう?路線のツギハギで斬新な線をつくったこと?首都圏を横断する路線という発想?ちょっと違いますね。湘南新宿ラインを可能にした大きな要因があるんです。それは、「ゼロベース」によって可能になったんです。さて、何でしょう?

答えは、貨物線路の旅客輸送経常使用です。首都圏を横断する路線は過去からニーズは多かったものの、山手線内を通る場合にひっきりなしに走る山手線ダイヤへの割り込み運行は不可能に近く、まず無理と考えられた路線でした。ところが、その部分をすいている貨物線路を使うことで、問題は解決してしまった訳です。すなわち、「貨物線路で旅客を運ぶのは失礼」「駅のない旅客路線はありえない」という、社内常識を打ち破る「ゼロベース思考」が生んだ大きな成果であったと言えるでしょう。今や、JRのドル箱路線です。

もうひとつ、JR「ゼロベース改革」その2。エキナカを生んだ「ゼロベース」です。ここには実は2つの「ゼロベース」がありました。ひとつは「顧客目線」での「ゼロベース」、もうひとつは「売り手目線」での「ゼロベース」です。

ではまず簡単な方、顧客目線での「ゼロベース」から。少し前まで、駅でモノを買う場所と言えば売店(=KIOSK)ぐらい。少なくとも売店では車内や駅構内で必要なもの(=車内や駅構内で使うもの)、新聞、雑誌、ガム、飲料以外は売れないものと長年考えられていました。なぜでしょう?

恐らく「先入観」と「業界常識」によるものです。その代表的なものは、「駅はモノを買う場所ではない」「売り場面積が限られ品揃えの点で魅力的な売り場は作無理」というものでしょう。しかし、「ゼロベース」はこう考えます。「場所に関係なく、通りすがりのついで買いニーズがあるはず」「こだわりを伝えれば、品揃えは関係ない」。

次に「売り手目線」での「ゼロベース」。ヒント、「出店業者にエキナカが魅力的か?」という議論における「ゼロベース」です。「先入観」や「業界常識」では、「限られた人しか利用できないエキナカは、出店業者に魅力的ではない」「駅は通過点であって、買い物目的の客は集まらず魅力薄」と考えるでしょう。しかし「ゼロベース」なら、「アンテナショップ的位置づけや、広告塔的出店は効果が大きいハズ」「エキナカに魅力的な店がないから通過点になっているだけ」と考える訳です。

このような「ゼロベース思考」に後押しされて、「湘南新宿ライン」や「エキナカ」はブレイクした訳です。

結局のところ、「先入観」や「業界常識」は古い時代の結果の積み重ねでしかありません。要は「帰納法的論理展開」から脱しきれないのです。「ゼロベース思考」は何もないところから、「仮説」を立ててPDCAサイクルを回す「演繹法的論理展開」なのです。

JRで「ゼロベース思考」の成功例が相次いだのは、もともとの「半官企業」の官僚体質からくる「先入観」「業界常識」優先風土で、「ゼロベース思考」活躍の余地が多くあったからに他なりません。そう考えると、次なる「ゼロベース」成功の宝庫候補はと考えると、銀行界?銀行業界は私も在籍しておりましたが、「先入観」や「業界常識」がいまだに幅を利かしているかなり古い体質の世界です。旧勢力はともかく、先日取り上げたようにこの業界に飛び込んだ流通業界などが既に、「ゼロベース思考」で新たなATMビジネスを仕掛けたり、既存行が思いもつかなかった収益モデルを作り上げるなど一部で「ゼロベース改革」が始まっています。

旧勢力の既存行が「先入観」や「業界常識」からなかなか抜け出せない理由はといえば、自由化後も依然として続く金融行政の強い縛りの影響以外の何物でもありません。そうやって考えると、民営化JRがなぜ「ゼロベース」での成功例を作れたのか、官僚配下の銀行がなぜ「ゼロベース」に踏み出せないのか、結局民間の「ゼロベース思考」の邪魔をしているのは、「先入観」や「常識」大好きの官僚だったりするのです。

そこら辺の話はまたの機会に…。

The End ~ “偽りの囁き”で老舗をつぶした女社長

2008-05-28 | ニュース雑感
3日連続で不祥事関連ネタです。

やはりと言うのか、とうとうと言うのか、“囁(ささや)き女将”の船場吉兆が廃業を決めました。何度となく取り上げてきたこの問題、当ブログとしても一応の結末をつけておきたいと思います。

私はこの問題をはじめは厳しく糾弾し、次に女将の心の入れ替えと前向き姿勢に好感し再建の可能性に言及、それが偽りであったと分かったGWには、「もはや打つ手なし」と再糾弾しました。そして今回の廃業、結局女将のひとり相撲、その例えで言うなら墨で書いたマワシが汗で流れて消えて「なんだやっぱりマワシしてないじゃないの!」で“失格”になったって感じでしょうか。

終わってみれば、会社を生かすのも潰すのも社長次第ということを明確に見せつけられる結果になりました。改めて「反面教師」として学ぶべき点を整理してみましょう。

1.責任転嫁
今回この点が一番の問題点であったと思います。「従業員が勝手にやったこと」「業者にだまされた」「前社長の指示だった」「料理長の判断で」等々、何度となく「責任転嫁」発言が繰り返されました。取材のマスコミ関係者もテレビや新聞でこれを聞いた視聴者も、「経営者の責任はどうなんだ」「あんたは関係ないと開き直るのか」とその都度怒りを覚えたハズです。結局最後までこの点が改まらなかった“囁き女将”は、経営者の器ではなかったということに尽きるでしょう。

2.逃げ・押し付け
これもまた幾度となく繰り返し言ってきました。問題が起きた時に、なぜ真っ先にトップが矢面に立たないのか、です。ある時は弁護士に、ある時は料理長に、釈明をさせてトップは陰で様子をうかがう。「自分の出番が来ないといいな」と内心思っていたに違いありません。問題の大小に関わらず「嫌なことほどトップが率先してやれ」、これは経営者の鉄則です。外部から見た不信感はもちろん、「押し付けられた」という感覚は内部の求心力をも急速に弱めることになり、経営者の孤立が起きるのです。

3.ゴマカシ、隠蔽
結局この問題が、息の根を止めた形です。最初の会見の段階で既に分かっていた「食べ残し使い回し」の一件を、公にせず隠し続けていたことが今回表になりThe End。同情的に暖かく支援していた常連さんたちも、これには怒ってしまいました。最初の段階ですべて正直に話していたなら…。「食べ残しの使い回し」はひどい話ではありますが、世間の対応は今回とは違っていたように思います。「悪」は隠すと「極悪」に変化することを世間に教えてくれました。

4.言い訳
「不祥事」に言い訳は御法度です。今回も「箸をつけていないものと食べ残しとは違う」という女将の言い訳は、まさに“火に油”でした。

5.経営責任
そして結局、すべてはここに行き着くのでしょう。結局誰が責任をとってどう変わったのか。世間一般がおかしいと感じた“ささやき女将”の社長就任が、問題の大きさから判断して本当に正しかったのか、その点に尽きるのかもしれません。“囁き女将”が社長に就任することに、「おいおい、それって反省している会社の行動じゃないだろ」と言う、一般感情が最後まで尾を引いたと言えると思います。

老舗料亭隠蔽・偽装事件を象徴する“囁き女将”船場吉兆湯木佐知子社長、“囁き”で老舗を潰した女社長として後世に語り継がれることでしょう。

内部告発防止ビジネスのゆくえ

2008-05-27 | ビジネス
昨日記載の石原産業の事件をはじめ、船場吉兆、赤福、不二家、ミートホープ、白い恋人…、一連の不祥事はみな何らかの内部告発に端を発し明るみに出たものです。

以前当ブログでも、組織の自浄機能を目的として外部機関を有効に使った内部通報システム「コンプライアンス窓口」の有効性を記しましたが、欧米ではもう一歩進んだ内部告発防止ビジネスが形になっているとの話を聞きましたので、少し紹介します。

米国では内部通報の受け皿システムを提供する企業を「外部ヘルプライン業者」と呼び、最近かなりもてはやされているようで、いくつもの業者がサービスにしのぎを削っています。最大手のエシックスポイント社という業者では、1500社以上のクライアントを持っていると聞きます。

弁護士などの有資格者が窓口を務める場合、あくまで彼らは中立的な立場の象徴であり、通報受付時も「こんな通報がありましたよ」「後はよろしく」という程度の対応であり、どちらかと言えば通報する側が信頼感を持って通報できる窓口イメージづくりが目的である場合が大半です。

一方の民間「外部ヘルプライン業者」はサービス業として「ヘルプライン」を運営しています。すなわち、単に通報の内容を経営に伝えるだけでなく、通報の傾向や原因を分析して定期的なレポートをしたり、傾向から通報を減少させるアドバイスなども実施している例もあるとか。まさに、内部通報対策コンサルと言っていい内容です。

弁護士などが窓口を務めるのとは違って、社会的信頼感を前面に出せないデメリット対策では、投稿に使われたネット回線の経路やパソコン端末なども一切特定されないようシステム的な先進性を前面に出して、匿名性をあくまで守れるとの印象付けを社員にしてもいるのです。また、通報者に対してはパスワード付のレポートキーというものが発行されて、数日後にそのレポートキーでヘルプラインに再度アクセスすると、通報に対する対応の進捗状況が確認できる他、通報者が新に入手した職場内の情報を追加投稿することもできるようにもなっていると言います。

彼ら「外部ヘルプライン業者」は、内部通報がたくさんあってこそ初めて商売繁盛な訳で、「通報者さん、ぜひどうぞ」とでも言うようなアプローチを従業員に対してしているという感じは、やや違和感がなくもないです。ただ、企業にとっては、どんな小さな通報でも、“芽”のうちにつんで置くことこそ大切なリスク管理であり、望ましい結果であるわけで経営、従業員、業者の利害関係が見事に一致したビジネスモデルでもあると言えそうです。

英国のセルフコール社では、一般的なヘルプラインデスクに加えて、退職者に対する面接代行サービスを行っています。本当に不満を抱えている者は無言のまま辞めていくものです。つまり退職者ほど「通常明かされない職場内の真実を知っている」という真実の究明と、「いつ何時その重い口を世間に向けて開くことになるかもしれない」というリスク管理をウリとして、企業に代わって退職者ヒアリングをしているのです。セルフコール社が退職者リストの中から独自にピックアップした人物に匿名インタビューを行い、職場にあった問題や不正を告白してもらい、依頼企業にとってもかなり大きな成果を上げていると聞きます。

米国、英国でこのようなビジネスが盛んな理由は、内部通報者を保護する法律がそれぞれ89年、98年に施行され時間の経過とともに、内部通報者に対する世間の受け止め方も変わり、内部告発のリスクの大きさを企業が十分に認識するに至ってきたという背景があります。日本での同様の法律「公益通報者保護法」は06年4月施行。まだ2年ちょっとという月日しか経っていませんから、今後、米英のように、徐々に内部通報を扱ったビジネスが日本で脚光を浴びるようになるのではないかと思えます。

どのような、内部通報取扱ビジネスがもてはやされる時代になろうとも、それらを単に自己防衛的「内部告発防止」を目的とするのではなく、「顧客サービスの向上」や「社会的責任を果たす健全経営の実現」にこそ役立てるものであって欲しいと思います。

大問題3たびの“失格企業”石原産業に退場命令を!

2008-05-26 | ニュース雑感
コンプライアンス違反企業石原産業の社長が、25日ようやく近隣住民へのおわび説明会をおこない、袋叩きにあったようです。

これまで静観してまいりましたこの事件。何よりも3度目の再犯とあまりに遅すぎる近隣住民への対応。当社がいかに問題企業であり、この時代に許し難い「コンプライアンス違反企業」であるのか、とえりあえずは概要を。

事の発端は、今月17日に石原産業の四日市工場(三重県四日市市)が化学兵器の原料にもなる有毒ガス「ホスゲン」を無届けで製造していた設備から、製造過程で出たガスを大気中に放出しながら、大気汚染防止法で義務づけられた県への届け出をしていなかったことが分かったというもの。ホスゲンというのは、1994年9月には、当時のオウム真理教の信者らがジャーナリスト江川紹子さん宅に噴霧する事件も起きたという、まさしく“毒ガス”です。

この事件が根深いのは、同社が“初犯”ではない点です。昨年11月、フェロシルト製造時に産業廃液を混入し環境基準を上回る「六価クロム」が検出され、虚偽申請により「県リサイクル製品」の認定を受けたことが発覚(後に、別の化学メーカーから処理を請け負った廃液をも混入していたことが判明)。今回の一件は、その重大事件の社内調査過程において事実が分かり、3月に同社から報告を受けた県が4月に立ち入り検査して発覚したものです。 同時に約40年にわたるアンモニアガスの伊勢湾への放出という“悪事”も分かったのです。

さらに重大なことは、石原産業という会社の歴史です。同社は67年に「四日市公害訴訟」の被告企業として訴えられ、69年には同社の工場汚水で硫酸廃液を海に垂れ流すという「石原産業事件」を引き起こして、大きな社会問題化したという大変な“前科”を持っていたのです。

人間でも同じ、たとえ前科があっても反省をし、更生を誓って努力をしている者は世間も温かいまなざしで迎え入れてくれるでしょうし、また社会もそうでなくてはいけません。しかしながら、重大な前科のある者が再びならぬ3たびも“犯罪”を重ねることは、社会も世間も決して許さないでしょうし、社会秩序の維持の観点からも決して許してはならないと思うのです。

しかも今回、一番先に謝罪をしなくてはならないはずの近隣住民に対してのお詫び説明会が、事件発覚から一週間以上もたってからの開催と、自社が犯した問題の重大さに対する「責任」のかけらさえ感じられません。

こんな不祥事が半世紀近くにもわたって起こり続けている裏には、必ずやいかんともしがたい「組織風土」の問題があるのです。自分たちだけ良ければそれでいい、地域環境や住民のことなどこれっぽちも考えない、バレなければ何をしてもいい、そんな社会性ゼロの組織風土が何度も何度も、世に悪を垂れ流す重大な事件を引き起こし続けているのでしょう。

今回のお詫び説明会で、織田健造社長は「こういう会社にしたのは歴代の経営者。私は絶対に変えたい」と言ったそうですが、織田社長は住民説明会後に会見し現在は稼働を停止しているホスゲン製造設備について「今後、地元の理解が得られれば再開したいと思っている」との意向を示したと言います。現時点で、再び住民感情を逆なでするようなこの発言、まさに「問題組織風土」のなせるものに他ならず、社長がこんな状況である以上過去の経営者と何ら変わりなく、会社の体質を変えることなど無理であると断言できます。

このようなニュースが世界に配信されることを考えると、こんな“反社会的”問題企業が東証1部上場の企業として存続をしていること自体が日本の恥であり、東証上場管理室をはじめ市場関係者は、「上場廃止」を含め厳格な態度をもって臨むべきであると思います。本件に厳格な姿勢で臨み、“失格企業”としてマーケットからの退場を命じることで、まだまだ存在するやもしれぬ隠れた問題企業たちへの警鐘を鳴らす必要があるのではないでしょうか。

今回の事件の問題点を思うにつけ、いよいよ本格スタートしたJ-SOX法は会計面からの「内部統制」強化に過ぎず、上場企業の真のガバナンス強化はJ-SOX法では及ばない部分に多くの課題を残しているのだということ痛切に感じました。この機会に企業経営者は、会計面ばかりに捉われない正しいガバナンス経営のあり方に関し真摯に対応する必要があるということを、改めて肝に銘じなくてはいけないのだと思います。

優駿牝馬

2008-05-25 | 競馬
優駿牝馬=オークス、春の3歳女王決定戦です。

大荒れの桜花賞を受けて、有力馬が巻き返すのか、道悪と2400の距離適性がポイントになる混戦模様です。

⑮トールポピー、桜花賞は馬体減で力を出し切れず8着惨敗。父ジャングルポケット(父トニービン)はダービー、ジャパンカップ勝ちの東京巧者血統です。距離はベストで道悪もOK。馬体が戻ることを条件に一番手にあげます。

2番手は、桜花賞で強い競馬で3着した印象の⑫ソーマジック。父シンボリクリスエスも距離歓迎、道悪OKでしょう。

あとは、東京での重賞・オープン勝ち組の⑱リトルアマポーラ、④レッドアゲート、③アロマキャンドル、距離適性で⑦ブラックエンブレム、⑤ムードインディゴ。④は切れ味勝負なのでこの馬場ではどうか。⑦⑤はやや小粒な印象です。

⑫-⑮のワイドを買って、あとは馬を見てから考えます。⑫⑮⑱の3連複は買いたいですね。

大穴は道悪の「逃げ」「先行」。⑭カレイジャスミン、⑯エアパスカルは他の騎手が甘く見ると、怖いです。複勝でもけっこうおいしいですね。


〈70年代の100枚〉№23 ~ “脱アイドル”志向が生んだ最高傑作

2008-05-24 | 洋楽
〈70年代の100枚〉のコーナーは、このところビッグ・ネームが続いたので、今回は少々「あの人は今?」的な感じで…。

№23 「サンライズ/エリック・カルメン」

以前、「音楽夜話」でラズベリーズというアメリカの“パワーポップ”バンドを取り上げました。そのリードボーカルで、ほとんどのシングル曲を書いていたのが、この人エリック・カルメンです。そもそも三田明(知らないよねぇ?)似の、彼の甘いルックスと声が災いして、実力派ながらアイドル的に売られてきた不幸が、バンドを大成させることなく解散へと向かわせたのでした。

そして、満を持してのソロデビュー作がこの75年発表の「サンライズ」なのです。アイドル“パワーポップ”バンドの印象を執拗に振り払うかのような、落ち着いた雰囲気のアルバムに仕上がりました。その“脱アイドル”の的落ち着いたムードを代表するナンバーが、ファーストシングルで全米第2位という彼最大のヒットでもあるA4「オール・バイ・マイセルフ」です。

ピアノの弾き語りで聴かせる珠玉のマイナーバラードは、中間部にラフマニノフの「ピアノ協奏曲第二番第二楽章」を挟んで、美しい旋律を際立たせながら大仰ともいえる盛り上がりをみせてくれます。まさに「美しい」曲です。ちなみにこの曲、96年にはセリーヌ・ディオンのカバーで再び全米チャートをにぎわしてくれました。名曲はいつの世にも名曲として受け入れられるわけです。

他には、まるでバリー・マニロウのように歌う全米11位のA3「恋にノータッチ」、明るいソロデビューを夜明けに例えたかのようなA1「サンライズ」、次世代アイドルのショーン・キャシディに取り上げられヒットしたA2「すてきなロックンロール」、美しい小曲B3「エブリシング」、唯一ラズベリーズ臭が漂う自伝的ナンバーB4「ノー・ハード・フィーリングス」などなど、どれもシングルヒットしそうな曲ばかり。改めて、彼のコンポーザーとしての能力の高さには感心させられます。

間違いなく彼の全キャリア中の最高傑作であり、「全米TOP40世代」は決して忘れてはいけない1枚であると思います。

次作「雄々しき翼」あたりまでは、けっこう調子よくいっていたように思われたのですが、その後は単発のヒットはあったもののどうも影が薄くなってしまいました。以前も書いたように、2年ほど前にはラズベリーの再結成ライブで元気な姿をアメリカのファンには見せてくれたようですが、その後はどうしているのでしょうか?

そろそろ久々に、エリックらしいメロディアスな作品を届けて欲しいですね。

経営のトリセツ30 ~ ふたつの「見える化」

2008-05-23 | 経営
最近よく私がセミナーでするお話をひとつ。

「カイゼン」や「内部統制の文書化」などがクローズアップされる機会が増えた昨今、「見える化」という言葉が随分ひんぱんにキーワード的に使われるようになりました。当ブログでも以前「見える化」を取り上げたことがありますが、今日は「見える化」をキーワードにした社内改革におけるふたつのポイントについてお話します。

「見える化」を一般社員向けに説明するとき私は、同じ広告チラシをひとつは事務封筒にもうひとつは透明なクリアファイルに入れます。そのふたつを比較して、同じチラシが入っていても片方は何を訴えたいのか外から全く分からない状態、もう片方は表も裏も全部読めて何を訴えたいのかすべて分かる状態であることを示します。

そしてこう話します。「中身が見えなければ何も考えようがないけど、中身が見えれば様々な考えや行動がうまれますね」。「「見える化」とは、「様々な経営資源を有効・有益に活用するために、どこに何があるか、誰が何をしているか、何を思っているかを、中身が見えない封筒に入った状態から透明なクリアファイルに移す作業なのです」。その上で、「封筒の中身は“モノ”である場合と、“ヒト”である場合があります」と続けます。すなわち、「見える化」の大きなふたつのポイントとして、「モノの見える化」と「ヒトの見える化」をあげる訳です。

「モノの見える化」とは…。「何がどこにあるのか」、「経営資源たる「モノ」はどのように扱うのか」、「「モノ」に関して何をしてよく何をしてはいけないのか」、等々について全社員から「見える」状態にすることです。すなわち、「ルール化」や「制度化」「マニュアル化」「プロセスの標準化」と言われる改善策はすべてこの「モノの見える化」に他ならないのです。

しかしながら、今あげた「ルール化」や「制度化」や「マニュアル化」や「プロセスの標準化」を、高いコストをかけてプロのコンサルタントを雇って一生懸命やってもうまく機能しないことが間々あります。これはなぜか?これは、もうひとつの重要な「見える化」である「ヒトの見える化」が抜け落ちている場合がほとんどであると言っていいでしょう。

では、「ヒトの見える化」とは…?「ヒトの見える化」とは、「誰が何を考えているのか」、「誰が何のために何をしているのか」、「誰がどこに向かって動いているのか」、等々について「見える化」することです。すなわち、「ヒトの見える化」は「コミュニケーションの活性化」に他ならないのです。

「コミュニケーションの活性化」を、もっと具体的施策に落とし込むとどうなるでしょう。“ホウ・レン・ソウ”の徹底目的での「日報制度」の見直し、「会議の改廃・運営の見直し」、「提案制度の制定」、「評価制度の見直しと明確化」、「管理者教育による部下とのコミュニケーション能力の向上」、あるいは「社長に対するパーソナル・コーチングの実施」などがそれにあたります。

すなわち、ふたつの「見える化」になぞらえてお話することは、「社内標準化」と「コミュニケーション活性化」の重要性を言っている訳です。このふたつはどちらが欠けても、改善はうまく進みません。先に話したように、「社内標準化」だけでは形が整っても魂が入らないままでしょうし、「コミュニケーションの活性化」だけが進んだのでは、整備が進まない社内状況に対して言いたい放題の不平不満ばかりが噴出して、社内秩序や組織運営を危うくするでしょう。

手前味噌的に聞こえてしまうかもしれませんが、このふたつの「見える化」をバランスよくリードし具体的にどのような施策をどのような手順で進めるのがよいかを、オーダーメイドでコーディネートするのが、組織経験豊富なコンサルタントということになる訳です。

ちなみに、このふたつの「見える化」は、社内改革だけでなく、対顧客戦略においても有効なソリューションです。もっと言えば、家庭内の問題改善にも応用可能な“万能薬”であります。その辺はセミナーではお話してます。ブログでは、またの機会にでもお話いたします。

竹下景子の英断に拍手~役人よ「広報大使辞退」の“真意”を汲め!

2008-05-22 | ニュース雑感
製品事故の防止を目的に経済産業省が19日に任命した初代「製品安全広報大使」の女優竹下景子さんが、21日に同省に辞退を申し出たそうです。

理由は、竹下さんが21人が犠牲となった一酸化炭素(CO)中毒事故を起こしたパロマ工業製ガス瞬間湯沸かし器のCMに、事故発覚前の2005年7月まで19年間にわたり出演していたことで、「任命されたその日に遺族が福田康夫首相と面会したのを竹下さんが見て、当事者の心情に配慮して考えた結果」と説明してるそうです。

新聞報道によれば、19日の遺族と福田康夫首相との面会では、事故で息子を亡くした上嶋幸子さん(54)から首相に「欠陥湯沸かし器が家族のだんらんを奪った。国民の生命を真剣に考える消費者のための役所ができることを希望します」と訴えかけたと言います。

遺族にとって本当に政府や行政に求めていることは、芸能人を「製品安全広報大使」に任命することではないはずで、それよりももっともっと先にしなくてはならない対策や再発防止策があるのではないでしょうか。竹下さんとしても、ただ単に「以前パロマのCMに出演していた」ということだけでなく、まさに『製品安全広報大使 』の存在意義そのものへの疑問符からの辞退申し出であったと思われます。

「芸能人は存在そのものが「商品」なのだから、つべこべ理屈を言わずに黙ってキャラクターをやっていればいい」という意見もあるのかもしれません。ただ、有名人であるがゆえの影響の大きさも無視できない問題です。インチキ投資団体のキャラクターをやって、会員を前にして歌なんかを歌っていたものだから被害者団体から訴えられた、どこぞの演歌歌手もいる昨今。このような「自分は商品なんだから、カネになるならなんでもOK」というバカも多い中で、竹下景子さんの英断は称賛されてしかるべきかと思います。

政府ならびに経済産業省は、竹下さんの申し出を重く受け止め、被害者遺族ならびに一般消費者のために、「最優先で何をすべきか」を真剣に考えて欲しいと思います。間違っても「竹下さんの後任選び」などすることなどないとは思いますが…。なにせ“世間知らずのお役人さん”方ですから、いささか心配ではあります。

コンビニATM→「マネー自販機ビジネス」の今後に注目!

2008-05-20 | ビジネス
昨日のコンビニ話で思い出したビジネスのミニ知識をひとつ。

最近ではコンビニで銀行カードでお金が引き出せる、というのは常識のお話。引き出しの際には手数料が、銀行や時間帯によってかかったりかからなかったり。この手数料、かかる場合通常は105~210円程度。でも実際には、セブンイレブンの場合、ATM所有者であるセブン銀行には他の金融機関から1回あたり160円の手数料が入るのだとか。手数料を全額利用者持ちであるか、銀行が一部持ち出しとしているかは別として、セブン銀行には確実に1回160円ずつ手数料が入るのです。

もう何年も前、私が銀行員だった頃にセブン銀行設立時の「ATM特化ビジネスモデル」には、どこか「成功するのかなぁ?」的な疑問符を投げかけたりしてたものです。でも、どうしてどうして、セブンの狙いはバッチリだったようで、コンビニATM利用者の増加は予想外の伸びで、手数料ビジネスとして今やドル箱状態のようです。

よくよく考えると、このビジネス、ある種の「自販機ビジネス」なんですね。ちなみに弊社が扱っている自販機は各社混合タイプの飲料自販機ですが、当然メーカーごと多数の商品を持っているわけで、各社入れられる銘柄には限界があります。すなわち、好みの商品がそこになければ、お客さんは利用しない訳です。しかも、肝心の販売手数料は1本あたり30円のみ(これでも、うちはちょっと優遇してもらってます)。電気代の負担を考えると、そんなにいい商売じゃありません。

一方の、セブンのATM。「お金」は銀行による商品の違いはないですよね。すなわち、どの銀行のカードでも“自販機”から出てくるお札は同じものですから、提携さえすればどこの銀行のお客さんでも好み不問で利用OKな訳です。しかも一件あたりの販売手数料は160円。飲料自販機の5倍以上です。

問題は利用者の数です。飲料自販機自販機1台あたりの1日平均の販売本数は22本。一方のコンビニATMの1日あたりの平均利用者数はなんと110人。手数料収入ベースで単純に比較しても、「30円×22=660円」に対して「160円×110=17,600円」ですから、いかに初期投資に差があると言っても全く比較になりません。新たな「自販機ビジネス」として目をつけたセブンには、またもや脱帽ですね。

この「コンビニATMビジネス」、聞くところによればアメリカでの成功に学んだものであるとか。もともとコンビニそのものもアメリカからの輸入ビジネスでありますが、アメリカには学ぶべき先進ビジネスがいつの世もあるものですね。

そしてそして、今のアメリカの「マネー自販機=ATM」ビジネス事情ですが、日本の自販機よろしくATM管理会社が建物や敷地のオーナーの許諾を得てATMを設置し、金融機関からの手数料収入を管理会社とオーナーで分配するモデルが主流になっているとか。日本のATM設置は基本的に家賃式ですが、「自販機」としての販売パフォーマンスの向上にオーナーも共に努力をするであろうアメリカ方式の方が、ビジネスの発展を考える上ではより正しい手数料ビジネスのあり方であると思います。さすがは、ビジネス先進国アメリカ。日本でもこのモデルが近い将来主流になるのかもしれません。

海外のビジネスには、一見するとおよそ日本では商売にならないだろうと思われるものも少なくないのですが、コンビニエンスストアのように、その時点その時点での常識では想像もできない成功の種が潜んでいたりする訳です。海外のニュービジネスを目にした時には「生活習慣が違うからなぁ…」で片付けずに、「日本でも、将来“アリ”かも」と、まずは関心を持ってみることですね。

ちなみに弊社のオリジナルビジネスモデル(と勝手に言い放っている)「複合ランドリー」も、アメリカやドイツでは比較的ポピュラーなビジネスモデルとして存在しているようです。早い者勝ち?かも。関心のある方はお声掛けください。相談にのります。