日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

<音楽夜話>ライブ盤に市民権を与えた1枚

2008-03-02 | 洋楽
70年代洋楽を語る時、前回のフリート・ウッドマック「噂」と並んで、全米TOP40世代には忘れられないアルバムがあります。

ピーター・フランプトン76年の「フランプトン・カムズ・アライブ」。今回のMM誌「消えた名盤100」特集で、表紙のイラストを飾ったのもこのアルバム。ライブ・アルバムとして、全米で破格の売上を記録したのでした。

このアルバムの功績は、それまでどうもベスト盤と同じように“企画モノ”“つなぎモノ”“契約消化モノ”的印象の強かった「ライブ盤」を、確固たる作品として認知させたという点にあります。それと、2枚組というフル・コンサートに近いボリュームにすることで、スタジオ盤では伝えきれないライブ・アーティストの魅力をあますとこなく伝えることに成功。この後、ライブ盤は2枚組という常識を作ったのも、このアルバムの隠れた功績と言えるのではないでしょうか。

ピーター・フランプトンという人自体は、元ハンブル・パイというロック・バンドで、リーダーのスティーブ・マリオットと人気を二分したギタリスト兼ボーカリストです。ソロに転じてからは、良質なスタジオ盤を何枚も出していながら、鳴かず飛ばず。米国全土にわたる精力的なライブツアーが全米でジワジワと話題になり、「ステージが断然いいアーティスト」という評判を得たところで、満を持してこのライブ盤をリリースし決定打とした訳です。不屈の地道な努力と、タイムリーな2枚組ライブ盤リリースという戦略の勝利と言えます。

それまでライブ盤というと、確固たる地位を築いたアーティストが出すものというイメージのものでした。しかし、このアルバムを機に、キッスの「アライブ」やチープ・トリックの「ライブ・アット武道館」など、スタジオ盤では魅力を伝え切れなかったアーティストたちに、ライブ盤でブレイクする道を開いたとも言えます。

こうして突如全米でブレイクしたフランプトンですが、短命に終わった彼の悲劇はそのルックスの良さにありました。このアルバムからのシングルカットで大ヒットした「ショー・ミー・ザ・ウェイ」に代表される、ポップな曲づくりと金髪のロングヘアをなびかせるルックスは、まさにアイドルのイメージそのもの。

アメリカでの売られ方もアイドル的戦略で進められ、日本でもそれを踏襲してクイーンやベイ・シティ・ローラーズ的女子中高生人気で盛り上がり、アルバムで分かる「本物感」にどうも違うようだと気が付かれた途端下火になるという戦略的ツメの甘さ。一方の本物志向の男性ロック・ファンからは、アイドル的売られ方に嫌気され敬遠されるという、まさに自滅のシナリオに陥ってしまったのです。

実は彼、このアルバムでも素晴らしいギターソロを随所で聞かせているように、なかなかどうしてギターの腕も確かなのです。もう少し無骨なルックスで、“本物”的売られ方をしていたら、その後の彼には違った展開が待っていたような気がして、少々残念な気がします。

数年前にハードロック・カフェで、偶然見た彼の復活ライブのフィルム。相変わらず素晴らしいギターと歌声を聞かせていましたが、驚いたのはそのルックス!なんと薄毛の“ハゲ親父”状態(確かに「カムズ・アライブ」のジャケット写真からも分かる、危険なネコっ毛。パーマは大敵です)!昔のアイドル扱いに抗議するかのような、全くルックスにこだわらない今の潔さに、こちらが“脱帽(毛?)”の思いでした。

「ショー・ミー・ザ・ウェイ」と「アイム・イン・ユー」は、彼が残した70年代を象徴する名曲です。


★“アイドル時代”のフランプトン「ショー・ミー・ザ・ウェイ」(動画)
http://jp.youtube.com/watch?v=-uQwMTnmo_k
★フランプトン2008「ショー・ミー・ザ・ウェイ」他(動画)
http://jp.youtube.com/watch?v=aeUSxSgvp00&feature=related