日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「素人は手を出すな!」 ~ “金貸し”をなめたらあかんで

2008-03-10 | ニュース雑感
新銀行東京が多額の焦げ付き融資発生を原因とする、大幅赤字状態で経営難に陥ったことが社会問題化しています。

融資先のうち中小企業を中心に約2300社が破たんし、焦げ付きは285億円。2005年の開業からわずか3年でこのありさまです。しかも、この間景気が悪かったのかといえば、そうではなく、どちらかと言えばデフレからの脱却による景気安定状況下での、大量不良債権発生であり問題は大きいと言わざるを得ません。

東京都に400億円の追加出資を要請している新銀行東京の津島隆一代表執行役は記者会見で、不良債権増加は開業当初の仁司泰正代表執行役指揮下での「常識を逸脱した業務運営が要因」とする調査報告書を正式に公表しました。具体的には、融資後6ヶ月経過後の倒産等は融資契約時の担当者の責任を問わない制度があったり、融資実績に応じて社員に対し最大200万円の成果手当を支給するなど、いわば“イケイケドンドン”姿勢で、融資残高を増やしていったことを大きく問題視しているようです。

発足時には、審査が厳しく“貸し渋る”民間金融機関を補完する中小企業の味方的新銀行として、鳴り物入りでスタート。ところが、発足6ヶ月で既に24億円もの焦げ付きを発生させていながら、“イケイケ”姿勢を崩さずどんどん泥沼にはまっていったとのことです。“イケイケ”体質と同時にキズを深くした原因と言われているのが、審査面での財務データなどをもとにしたコンピューターによる「スコアリング」依存と、貸出先企業の実地調査の過怠。このような杜撰な管理下で、過剰な融資を繰り返していたようです。

開業時のトップ仁司泰正氏は元豊田工機専務、トーメン副社長、豊田通商常勤監査役という輝かしいご経歴の持ち主です。しかし言ってみれが、“金貸し”は素人だったわけで、「まずリスク管理ありき」の金融業と、「まず売上ありき」の実業界とは大きな違いがあったようです。

ただ私個人としては、仁司氏の素人“金貸し”経営もさることながら、やはり組織的に「民」ではないことからくる“金貸し”魂の乏しさが、一番の原因であるように思います。すなわち、「貸せるところに貸す」という“魂”の入っていない“金貸し”姿勢であり、「スコアリング」依存と、貸出先企業の実地調査の過怠は如実にそれを物語っています。旧北東公庫をはじめとした、過去の公的金融の杜撰な融資姿勢と何ら変わらない「素人融資」が、またもや東京都の公的金融に同じテツを踏ませることになったと言えるでしょう。

では、“魂”の入った“金貸し”の基本とは何か?ですが、一言で言って「返ってくる金かどうかという視点で融資判断ができるかどうか」ということです。昔から、支店長をはじめとする銀行マンは、中小企業を審査するとき決算数字よりも何よりもまず、社長はじめ経営陣をじっくり審査します。とりわけ社長は、その人柄、計画性、情熱、社員への愛情等々、総合的に判断して「この社長なら、この融資は返ってくる」と思えばGO、そうでなければ融資はNOです。これがプロの“金貸し”たるものなのです。

それは、ある意味民間銀行の一員として「焦げ付かせれば、自分の進退にもかかわる」という立場で、いかにお客さまのお手伝いをするか、大げさに言えば“命を張って”審査をしているのです。それこそが本当のプロの“金貸し”であるのです。

新銀行東京発足の時に、「民間が貸せないような先にこそ、貸し出しをしていく」と言っていた仁司氏の意気込みは素晴らしいものだったのかもしれません。しかしながら、素人の“金貸し経営”と素人の“金貸し魂”で作られた、公的金融機関は結局またも、大きな痛手を被ることになったのです。こんな事件を耳にして、元金融マンとして“金貸し業”の奥深さ、カネさえあればできるという訳ではない“俄か金貸し組織”の危うさをつくづく実感させられます。