日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

NEWS雑感~ディベート的勝利(?)亀田興毅の“大人のボクサー”への変貌ぶり

2009-11-30 | ニュース雑感
“因縁の対決”“世紀の一戦”と騒がれ昨日さいたまスーパーアリーナで行われた、プロボクシング世界フライ級タイトルマッチは、挑戦者亀田興毅がチャンピオン内藤大介を3-0の判定で下し、新チャンピオンの座につきました。ボクシング一家の亀田家と内藤の因縁は、亀田家側の言いたい放題の“ビッグマウス”な内藤批判に始まり、2年前の内藤-弟亀田大毅世界戦での家族ぐるみと言われた大毅の反則試合の末、内藤は国民的英雄に祭り上げられ、亀田家は対照的に国民的悪役としての汚名を被り屈辱的な日々を送りつつ、待望久しい雪辱戦に臨んだのでした。

私は、勝敗はともかく今回も亀田のラフファイトに近い挑戦的なボクシングと、内藤の大人のボクシングの闘いになるに違いないと思っていたのですが、ふたを開けてびっくり全く予想に反した試合となりました。一言で言えば、意外なほどに冷静沈着な“大人の”亀田といつになく熱っして空回りした内藤の好対照な闘い、と言ったところでしょうか。双方とも“因縁の対決”にかける想いはただならぬものがあったでしょうし、互いに冷静さを保つことなど無理に等しいほどの高ぶりがあったのもまちがいありません。2年前の内藤と弟大毅の一戦も同じようなテンションの状況下で、頭に血が上って暴れまわった大毅を、内藤が回を追うごとに冷静に対処し勝利したという印象の試合でした(テクニックの差も明白ではありましたが…)。この手の試合は、「冷静さを失った方が負け」の勝負なのです。

ところが今回は、内藤はリングに上がる前から異常にテンションが高く、“怒りモード”に入っているのかと思うほど高ぶっているのが手に取るように分かりました。対する亀田興毅は試合前から意外なほどに冷静な表情。試合が始まっても、挑発や挑戦的なポーズはほとんどなく、相手のテンションを見て、まるで悟ったかのような落ち着きぶりでした。内藤はといえば、「前に出る」というよりは「打ち急ぐ」といった感が強く、手数の割にはヒットが少なく逆に効果的なパンチを確実にもらう形になってしまいました。例えてみれば、ちょうどディベート勝負を見ているかのような試合で、感情的にガリガリ対応する側は空回りばかりして、冷静に対処する側は論理的展開で相手を一歩一歩追い詰めていく、まさにそんな試合だったのです。

過去には感情面や言動面で問題の多かった亀田興毅ですが、昨日の試合を見るに弟大毅の“不祥事”で“冷や飯”を食わされたこの2年間での成長ぶりに正直感心させられました。ビジネスにおける折衝や議論のあり方すら示唆するかのような見事な試合運びでの快心の勝利に、心から賞賛の拍手を贈りたいと思います。

〈70年代の100枚〉№95~「(プログレ+ポップ)×ロック=STYX」

2009-11-29 | 洋楽
70年代から80年代の架け橋的存在であるのがスティックス。一介のアメリカン・ロック・バンドからアメリカン・プログレッシブ・ロック的展開を経て、80年代初頭の産業ロック的大ブレイクに至る変遷は、まさしく70年代から80年代へのアメリカン・ロックのひとつの系譜を象徴しているかのようであります。

№95   「コーナーストーン/スティックス」

スティックスの名が初めて一般に知れ渡ったのは、75年にセカンドアルバム収録の「レイディ」が全米で6位を記録したタイミングでした。この時新進気鋭のアメリカン・ロックバンドとして注目を集めながら、彼らは聞き手の興味とは裏腹にマニアックなコンセプト・アルバムを中心とした創作活動を展開。カンサスなどとともに、アメリカン・プログレッシブロック・バンドとして一部での根強い人気を得ますが、商業的な大成功は逃してしまいます。そんな中、76年にギターのトミー・ショウが加入し、バンドは大きく方向転換をします。オリジナルメンバーのデニス・デ・ヤング(Key)の大仰な作風に、トミーのポップ感覚あふれるロック・スピリットが加味され、バンドはブレイク向けて走り出す訳です。

77年のデニスの大仰さとトミーのロック・スピリットがいい形で結実した「カム・セルアウェイ」(全米8位)の大ヒットにより、スティックスの快進撃はスタートします。「カム・セルアウェイ」を収録したアルバム「グランド・イリュージョン」(77年6位)、続く「ピーシーズ・オブ・エイト」(78年6位)が連続ヒット。シングルも「ピーシーズ…」からはトミー色の濃い「ブルー・カラー・マン」「レネゲイド」がリリースされ、それまでのマニアックなバンドのイメージを払しょく。このブレイク・ポイントでリリースされたアルバムが、79年の本作「コーナーストーン」なのです。

本作ではアルバム・ジャケットこそ、どこかコンセプチュアルな香りがするデザインと特殊な作りでしたが、中身は全9曲過去にないほどポップ感覚あふれる佳曲揃いで、どの1曲がシングル・カットされてもおかしくないほどの出来栄えに仕上がっています。特にA1「ライツ」B1「虚飾の時」はデニスとトミーの共作であり、両者の個性が微妙に入り混じった、スティックスの新たな展開を示唆するにふさわしいナンバーとなっています。さらに特筆すべきは、アルバムに収められたデニス作の2曲の珠玉の正統派バラードです。A3「ベイブ」B2「ファースト・タイム」がそれですが、「ベイブ」はアルバムに先駆けてシングル・カットされ、バンド初でその後も含め唯一の全米№1ヒットとなります。一方の「ファースト・タイム」も「ベイブ」に負けず劣らずの佳曲で、トミーはこの曲のシングル・カットを切望していたそうですが、レコード会社の方針で実現せず、知る人ぞ知る彼らの隠れた名曲になっています。2曲ともにデニスの曲作りの才能と、トミーのバンド・アレンジメントが融合してこそなし得たまさに頂点を極めた素晴らしい仕事であったと思わせられます。

アルバムは過去最高位である2位を記録、遂に大ブレイクを果たしたのでした。その後81年リリースの「パラダイス・シアター」では、「コーナーストーン」で確立したポップ路線を、従来のコンセプチュアル路線にかぶせる形で昇華させ全米№1を獲得しますが、やや華美に流れ行き過ぎた傾向も出始めます。そんな彼らは、次第に「産業ロック」のくくりで語られることも多くなり、83年の「ミスター・ロボット」では「♪ドモ・アリガト・ミスター・ロボット・ドモ・ドモ…」と日本語でサビを歌うなど、遂に堕落した“産業化”の流れにどっぷりと浸かってしまうのです。こうして“80年代的金満バンド化”したスティックスは、デニスとトミーの覇権争い等バンド内の抗争を産み、バンドは崩壊に向かってしまいます。

その後90年代に再結成されたものの、再びデニス、トミーの軋轢が生じ、現在ではトミーを中心として“片肺飛行”を続けているという状況のようです。やはり、中心メンバー2人の調和と融合があってこその70年代的魅力「(プログレ+ポップ)×ロック=STYX」のスティックスになりうるのであり、今のバンドには残念ながら魅力は感じられないのです。

ジャパンカップ

2009-11-28 | 競馬
明日は、国際GⅠレースのジャパンカップです。すでに回数を重ねて29回。メアジードーツが勝った第1回を見て、日本勢の惨敗に世界の壁の厚さを実感したのがまるで昨日のことのようであります(メジロマックイーンが、(米)ゴールデンフェザントと(仏)マジックナイトに並ぶ間もなくかわされた第11回もショックでしたね)。しかしながら、近年の日本馬のレベル・アップは著しく、ここ10年は圧倒的に日本馬上位となっています。

今年は父に東京2400メートルの“鬼”ジャングル・ポケットを持つ⑩オウケンブルースリに期待します。前走天皇賞秋では直線で前が詰まって目一杯終えたのは最後の100メートル。3着ウォッカから離された4着は仕方のないところです。今回は距離も伸びて、前走の不完全燃焼を吹き飛ばす矢のような末脚を見せてくれるでしょう。

相手は、昨年のジャパンカップ馬⑱スクリーンヒーロー。と言う訳で今回馬券的には、⑩⑱2頭固定の3連複で遊んでみたいです。3連複のもう一頭は武からルメールに乗り代わって怖い⑤ウォッカ、日本の馬場が合いそうな⑯(英)コンデュイット、3歳馬は武リーチザクラウンよりもむしろ53キロならおもしろい牝馬⑥レッドデザイア。大穴は、忘れちゃいけない東京2400GⅠに実績があり先行できればしぶといGⅠ馬①アサクサキングスです。

※「アサクサの映画街でスクリーンヒーローのブルース・リー主演の映画を見た」というストーリーで、約250倍!

経営のトリセツ74~「教訓」穴吹工務店社長の3つの“驕り” その2

2009-11-27 | 経営
昨日の続きです。穴吹英隆社長から学ぶ経営者が気をつけるべき「教訓」として3つの「驕り(おごり)」、すなわち「自身の成功に対する驕り」「社長の地位誤認による驕り」「同族経営者の会社所有意識の驕り」があるのではないか、というお話をしました。今日はまず2番目「社長の地位誤認による驕り」のお話から。

昔から日本の社長は、社長は全権を握る絶対的トップであり、一方的に他の取締役を評価し処遇を決定することはあっても、自身が他の取締役から評価および処遇を決定されることはない、という誤った認識を持ちがちです。これは古くからの日本の絶対君主としての天皇制や江戸時代の将軍制支配により培われた国民性のなせる業であるのかもしれませんが、そもそも民主原則の株式会社という組織形態における社長は絶対的な存在ではなく、取締役の互選によって代表権を与えられる存在なのです。他の取締役は代表取締役の執務を監視する義務があり、その行動が企業経営の指揮者としてふさわしくないと判断される場合には、取締役会から「更迭」を言い渡させることもあるのです。

私が管理者の研修をおこなうときに話をする内容として、「役職は役柄であり、それを演じるものと認識せよ」ということがあります。これはすなわち、自分の今の立場は仕事上一過性で与えられた「役」であり、「役」を全力で勤め上げる努力は大切だがその「役に驕るな」と言っているのです。これは、社長とて同じこと。仮に社長が大株主であったとしても、社長は取締役会で選出され当面代表を任された身であると言うことを決して忘れるな、ということなのです(実態はともかく、謙虚であれということ)。これを忘れるとトップとしての「驕り」が生まれ、「私が全役員の任免権を握っている」という一方的な支配権だけを意識する誤った経営認識を醸成してしまうのです。

今回、穴吹工務店を倒産へ導いた信用収縮の原因たる、「英隆社長による他の全役員解任騒動」はそんな社長の「驕り」から生まれたものに他ならないと思えるのです。結局英隆社長は24日、今後の会社の運営を議論する重要会議への欠席を理由に、取締役会で「解任」されました。これこそ、正しい株式会社経営のあり方であり、もう少し早くこうしたあるべき動きがとれたなら、結果は違ったものになったのかもしれません。誠に残念なことです。日本では、今だに「社長=絶対権力者」という認識が強いのですが、健全な会社経営は社長も含めた全取締役間の相互けん制があってはじめて成り立つものであり、経営トップは常に「驕らず」他の取締役から選任された立場であるとの認識の下、取締役はじめ周囲の意見に耳を傾ける姿勢を持つ必要があるのです。

最後に「同族経営者の会社所有意識の驕り」です。これは同族企業、オーナー企業のみに対する警鐘ですが、日本の大半の中小企業はこのスタイルですから、一般論として重要な視点であると思います。この「驕り」を一言で正すなら、「会社は誰のものか、正しく認識せよ」ということです。もちろん会社が株主のものであるという回答が一番正論ではあるのですが、こと経営に関して言えば、例え自身あるいは自身の親が立ち上げ100%の株式を握る経営者であっても、会社組織として他人を雇用し社会的存在として運営をしているのなら(つまり同族だけでやっている企業なら話は別ですが…ということです)、物理的な所有権はともかく会社を経営者個人の所有物と考えるな、ということです。これもまた経営者の陥りやすい「驕り」のひとつであるのです。

経営者が会社を自身の所有物として認識し行動するなら、他の取締役を含めた他人である従業員のモラール・ダウンは免れ得ず、健全な企業運営はあり得ないと認識すべきでしょう。よくある「社長自身の所有物化」の代表例としては、社長のプライベート企業(ペーパーカンパニー)への売上還流、同族幽霊役員への報酬支払などがあります。これらは、「同族経営者の会社所有意識の驕り」から生まれる好ましからざる行動であると言えるのです。「会社は当たり前のようにオーナー社長のもの」であった昭和の時代にはこういったことは、ほぼ日常的に存在していました。しかし今の時代、「会社はオーナー社長のもの」という考えは通用しなくなっているのです(上場企業では今さらの話ですが…)。穴吹工務店の実態がどうであったかは存じ上げませんが、100年企業という歴史の裏に経営者の“古い経営体質”があったであろうことは想像に難くないところです。「社長自身の所有物化」行動の積み重ねが、他の取締役や社員との溝を深めていくことになると言う点は、企業経営者「教訓」として胸に刻んでおきたいところです。

以上、今回の穴吹工務店の一件から3つの「教訓」をあげさせていただきました。いずれにしましても、経営者は「企業は生身の人間が集う生き物である」という点を忘れて「驕った独裁者」になることのないよう常日頃から身を律しなくてはならない、ということに尽きると思います。

経営のトリセツ73~「教訓」穴吹工務店社長の3つの“驕り” その1

2009-11-26 | 経営
マンション・デベロッパー大手の穴吹工務店が24日、会社更生法を申請し実質倒産しました。穴吹工務店と言えば愛媛県の地方都市の一建設業が全国区にのしあがり、マンション供給ナンバーワンにまで上り詰めたいわば“地方の星”的企業でした。1905創業の100年企業でもあったものがなぜ倒産の憂き目にあったのか、その経営者からは学ぶべき教訓が大いにあるように思います。

その前に、穴吹工務店の発展と今回の倒産劇に至った経緯です。穴吹工務店が成長軌道に乗ったのは、先代がマンション施工・販売に本格参入した80年代後半。後を継いだ創業家の穴吹英隆社長は、若い発想を存分に活かしてブランド化を進めました。マンション・ブランド「サーパス」の立ち上げと野球、バスケットボールなどスポーツ支援によるイメージ戦略が功を奏し知名度は一躍全国区になり、安価でありながらそのブランド力にものを言わせて売上は右肩上がりに上昇しました。ところが、昨年のリーマン・ショック以降の不景気と不動産価格の下落が状況を一変させました。そして、再建方針を巡っての社長と他の役員との対立。10月には社長以外の全取締役を全員解任するための株主総会が召集される動きにまで至りました。結局、総会開催は見送られ解任は撤回。事態は収拾に向かいますが、この一件が及ぼした信用失墜のダメージはことの他大きく、結局信用収縮が今回の倒産を招いたと言えます。

問題は、倒産の引き金となった、社長はなぜ役員全員を解任すると公表するような事態を招いたかです。私が思うところを一言で言えば、こんな異常事態に陥った原因は「経営者の驕り(おごり)」以外にないと考えます。しかも想像するに英隆社長の「驕り」には、経営者が最も注意すべき3つの「驕り」が勢揃いしてたように思うのです。3つ「驕り」とは、「自身の成功に対する驕り」「社長の地位誤認による驕り」「同族経営者の会社所有意識の驕り」です。この点の再認識こそ、企業経営に対する今回一番の教訓であると思いました。3つを順を追ってご説明いたします。

まずは「自身の成功に対する驕り」です。英隆社長は自身が描いた新事業プラン、「サーパス」ブランドによる低価格マンション供給全国展開の大成功によって、会社を一段と飛躍させました。そして遂には、マンション供給数全国一位にまで上り詰めます。結果として、社長は自身の経営手腕に自信過剰気味になってしまったではないでしょうか。すなわち、「私は役員の中でも別格」「結局は私の判断が正しい」という自信です(この自信のベースとして、若い時代に上場企業で修行を積んだ後継経営者は、その後自社に入って人材のレベルの差に愕然として、妙な自信を持ちやすいこともあります)。そして、周囲の言葉に耳を貸さなくなる…。昨年のリーマン・ショック以降の急激な経営環境の変化に対し、その対応を巡って役員間で議論となった時に他の役員を全員解任するという異常事態に至るほどにまで他の取締役たちと相容れない状況が生じていた背景には、間違いなくそんな“驕り”があったのでしょう。

では、この手の「驕り」を事前回避するためにはどうするかですが、まずは経営者が「どんな成功にも偶然の後押しがある」と言うことを知ることです。そして「成功」こそその要因分析をしっかりおこなうことなのです。こと「失敗」には口うるさく「原因分析」を求める経営者も、「成功」は手放しで受け入れるのみというケースが多いのではないでしょうか。「成功」の要因分析をすることで、景気の後押しやトレンドの後押しなど、計画時には想定していなかった偶然の要因が必ずや出てくるものです。すなわち、どこまでが実力でどこからが「運」だったのかが明確になります。さらに、偶然の要因が分かれば、この先どのようなリスク管理をしなくてはいけないのか、最悪のケースも想定しながらどうコンティンジェンシー・プランを立てるべきなのか等を冷静に検討することができるのです。穴吹工務店も、「成功分析」をしてそこができていれば、こんな悲劇には至らなかったのではないかと思われるのです。

残り2つは明日説明します。
「つづく」ということで…。

経営のトリセツ72~高円寺死亡火災に見る「5S欠如」の教訓

2009-11-24 | 経営
久しぶりに「5S」の話です。3連休の週末の早朝の高円寺で起きた飲食店での4人が死亡した火災事故。原因が明らかになるにつれ、「5S」の徹底がされていれば事故は防げた、と思われる部分が明らかになってきました。

「5S」とは、「整理」「整頓」「清掃」「清潔」「躾(しつけ)」の頭文字をとってそう呼ばれています。この考え方、もともとは生産現場における「見える化」管理の手段として、トヨタ自動車をはじめ優良製造業の間で古くから日常的に使われてきた手法です。最近では、管理部門はじめあらゆる分野において「見える化」による効率化やリスク回避策の有効な手立てとして活用されています。今回の火災の一件は原因が分かるにつれ、典型的な「5S」欠如による“人災”との印象が強く、『もし「5S」が出来ていれば…』という視点で検証してみたいと思います。

まず、火災発生原因。新聞報道によれば、厨房で焼き鳥を焼いていた時に肉の脂に点火して周囲に飛び散ったものが壁に付着していた油に引火し燃え広がったとのことです。最大の問題は壁に付着していた油という話。現場の火災前の写真を私もテレビで見ましたが確かに厨房内の金属フードだけでなく周囲の壁にも黒い付着物がかなり広範囲にわたってハッキリと見てとれました。まさしく「清掃」「清潔」の欠如でしょう。「清掃」とはきれいにすること、「清潔」とはその「清掃」した状態を保つことです。たかが「清掃」、されど「清掃」なのです。

もうひとつ報道から明らかになった4人もの方々が犠牲になった原因として、非常口の機能不全が指摘されています。店内には出入口以外にももう一か所、座敷付近に非常口があったようです。しかしながら、この非常口の扉の前には座布団がうず高く積まれ使える状態ではなく、来店客はその存在すら知らなかったと言います。これは明らかな「整理」「整頓」の欠如です。ものの置き場所について全く考えられていない、流れのままにいい加減なモノの保管をしている。そんな状況が非常口前にモノを積み上げて、出口をふさいでしまっていたと言えるのです。「整理」は使いやすく整えること、「整頓」はその状態を保って効率的なものの置き場を維持することです。「整理」「整頓」の欠如が、人命を救えたであろう「命の出口」をふさいでしまったのです。

これらのそもそもの原因は、「清掃」「清潔」管理不在、希薄な「整理」「整頓」意識をもたらした「躾(しつけ)」の欠如にあるのです。恐らくこの店の経営者自身が自己の「躾」ができてなく、結果として店員もみな「清潔でなくていい」「整理されていなくていい」という意識が蔓延していたのではないのでしょうか。そう考えると偶然の事故ではなく、まさに欠陥管理によるいつ起きてもおかしくない必然的事故=人災であったと言っていいのではないかと思えるのです。

以上今回の火災事故の原因を「5S」的に検証したものですが、一般の中小企業経営においても同じようなことが起こりうると思います。もちろん火事で死者が出るかどうかではなく、「整理」「整頓」「清掃」「清潔」の意識が社内になくいい加減な管理が横行していると、経営資源のムダ遣いやリスクの埋没が企業経営に多大なダメージを及ぼすということです。そしてそれらを引き起こしている大元の原因は「躾」の欠如。経営者自身の「躾」がなっていない場合はそこから正す必要がありますが(世襲の2代目、3代目経営者に多いパターンです)、経営者は分かっていても社員の「躾」ができていないケースでは、とにかく積極的に経営者自身が言い続けること指導し続けることで意識づけをしていく以外に近道はありません。「5S」が経営者の主体的関与なしでは成功しないと言われる所以はそこにあります。

飲食店における死亡火災事故の発生は、企業に置き換えるなら「倒産」に相当します。企業が生き物である以上、「整理」「整頓」「清掃」「清潔」「躾」の精神は不可欠な要素と言っていいでしょう。景気が好調な時代ならまだしも、今のような不況下では「5S」欠如による“事故”の発生や非効率の積み重ねは、いつ大きな“死亡火災”を招くとも限りません。危機回避に向けた「5S意識」の欠如解消は、まずトップが先頭に立って自ら進めることが肝要です。今回の高円寺死亡火災事故は、「5S」の重要性の観点から不況下の中小経営に警鐘を鳴らしていると思えた次第でした。

〈70年代の100枚〉№94~70年代ディスコ・ブーム、ブラック系の立役者

2009-11-23 | 洋楽
R&B、ソウル、ファンク…、ブラック・ミュージックのジャンルに関する呼び名はいろいろあれど、ディスコと言えばこのバンド。KC&ザ・サンシャイン・バンドです。

№94   「KC&ザ・サンシャイン・バンド/同」

日本では、♪「ザッツ・ザ・ウェイ!アハー、アハー、アイ・ライク・イット!アハー、アハー…」でおなじみKC&ザ・サンシャイン・バンド。まぁ何と言ってもこのノリは、日本のディスコ黎明期における最大のヒット・チューンではなかったでしょうか。一方、この曲が流行った75年当時すでに半端じゃない“洋楽中坊”だった私は、ディスコねーちゃんたちが、当時新宿界隈の安ディスコで「ソウル・ドラキュラ」とか「怪僧ラスプーチン」とかとこの曲を同レベルで愛でていたことを、本当に腹立たしく思ったものです。こちとらはいかがわしい企画モノではなく正真正銘の全米№1ヒットですからね。「ドラキュラ」で踊り狂うロクに洋楽も知らないねーちゃん達に、♪「ザッツ・ザ・ウェイ、アーハー」とか言われるのが歯がゆかった訳です。

そんなおかしな売れ方をした日本では、「ザッツ・ザ・ウェイ」がバカ売れしたがために一発屋的印象が強いKC&ザ・サンシャイン・バンドですが、本国アメリカでの70年代の活躍ぶりには目を見張るものがあります。「ザッツ・ザ・ウェイ」以外にも「ゲット・ダウン・トゥナイト」「シェイク・ユア・ブーティ」など全部で5曲もの№1ヒットを持つ一大ヒット・メーカーなのですから。それと、ブラック系のバンドと言うと、スライ&ファミリー・ストーンをはじめ、アース・ウインド&ファイアーやオハイオ・プレイヤーズなど、ファンクに分類されるバンドが多い中、黒人、白人混成チームの彼らは純然たるディスコ・バンド(いわゆる踊るための音楽を演奏するバンド)としてトップ・ポジションに上り詰めた最初のグループであったように思います。

グループは、73年にボーカルでリーダーのハリー・ウェイン・ケーシーを中心としてセッション・ミュージシャンを集めた5人組で結成され、74年のデビューアルバム「ドゥ・イット・グッド」が英国でヒット。追っかけアメリカでは、75年リリースの本アルバムからのシングル「ゲット・ダウン・トゥナイト」「ザッツ・ザ・ウェイ」が連続№1ヒットとなり、一躍人気グループにのし上がります。アルバムも最高位4位を記録し彼ら最大のヒットとなっています。ジャケットのロゴはその後も、彼らの編集盤が出されるたびに使用されていますから、このロゴに見覚えのある方も多いのではないでしょうか。

バンドはディスコ人気の衰退とともに84年に一度空中分解しますが、90年に復活。リーダーのケーシー以外は度重なるメンバーチェンジがあった模様ですが、現在ではバック・コーラスやダンサーを含めて15人の大所帯バンドとして活躍中です。70年代のディスコ・ブームを語る時、白人バンドの立役者であるビージーズに対するブラック系の代表格として決して忘れてはならない存在であると思います。

〈70年代の100枚〉№93~70年代の隠れたヒット・メーカー

2009-11-22 | 洋楽
「70年代の100枚」に入れたいものの、アルバム単位でのセレクションと言う観点では悩ましいアーティストもいます。シェール、ギルバート・オサリバンなど、けっこうなヒット曲を持ちながらアルバムはイマイチ注目されなかった人たちをどうするかは難しいところです。トニー・オーランド&ドーンはそんなアーティストのひとつですが、彼らには時代を代表する記録的大ヒット曲があります。思案の結果、70年代にリリースされたベスト・アルバムを取り上げることにします。

№93    「グレイテスト・ヒッツ/トニー・オーランド&ドーン」

トニー・オーランドは70年、自身のデモテープが認められドーン名義でレコード化されたB1「恋するキャンディダ」が全米第3位を記録。その後ドーンは、なぜかトニーが女性バック・シンガー2人を従えたグループとして活動し、71年のB2「ノックは3回」が見事全米№1に輝き、73年にはA1「幸せの黄色いリボン」が4週連続全米№1かつ73年の年間チャートでも№1を記録するメガ・ヒットとなり、その人気を決定付けました。

その「幸せの黄色いリボン」は、実話に基づいた心温まるラブ・ストーリーを見事に歌に落とし込んだ名曲で、日本でも大ヒットしました。刑期を終えて出所した男が、妻に「待ってくれていたなら庭の木に黄色いリボンを結んでくれ」との手紙を出して家に帰ろうとする。結果は遠くからも分かる数え切れないほどの数のリボンが木に結ばれていたというものです。日本ではこの歌を元ネタとして山田洋二監督による「幸せの黄色いハンカチ」が映画化され、日本アカデミー賞を受賞し日本映画史に残る名作にもなっています。

「幸せの黄色いリボン」は、ちょうど私が洋楽にはまり始めた頃のヒット曲で、文化放送の深夜放送「セイヤング」の「今日のベスト10」コーナーでは、長期間連日1位を続けて、私の大好きなTレックスの「20センチュリー・ボーイ」が結局1位になれず悔しい思いをしたことが思い出されます。ラジオ関東の「全米トップ40」では、司会の湯川れい子さんが毎週その週の1位の曲の訳詞を読むのが通例で、この曲が1位になった時には訳詞とともに歌の元ネタエピソードを話していたと記憶しております。いずれにしましても、日米両国で大ヒットした訳で、その後の映画の大ヒットもあわせて70年代を語る時欠かすことのできない曲であることはまちがいありません。

ドーンと言えば何をおいてもこの曲なのですが、この後も実はけっこうヒットを飛ばしていまして、A2「嘆きのジプシーローズ」A4「イチゴ畑のサリーちゃん」などは日本でもスマッシュ・ヒットを記録しています。このベスト盤「グレイテスト・ヒッツ」は、75年にそれまでのヒット曲を一同に集めた集大成的アルバムとしてリリースされています。それまでもコンスタントにアルバムはリリースしてはいたものの、どちらかというとアルバム単位で聞かせるアーティストではなく、次々リリースされるシングル盤こそかれらの命とも言える訳で、その意味では全盛期にシングル・ヒットを集め編集されたこのベスト・アルバムこそが、彼らの真骨頂であると言っていいのではないでしょうか。

しかしこのアルバムジャケット、トニーのスケベ髭と言い女性の風貌と言いコスチュームと言いお立ち台と言い、どこか場末の飲み屋のマスターと店員の女性って感じが実にバタ臭くて70年代していますね。現在のトニーのオフィシャル・サイトをのぞいてみると、さすがに今はドーンでの活動はないようですが、ソロシンガー、トニー・オーランドとしてライブを中心に精力的にご活躍の様子がうかがわれ嬉しい限りであります。

マイル・チャンピオンシップGⅠ(修正)

2009-11-21 | 競馬
明日のGⅠマイル・チャンピオンシップ前日予想です。

前走で天皇賞を征した④カンパニーの充実ぶりには目を見張るものがあります。今年8歳のロートル馬大活躍は、相撲会でその昔“万年大関”のレッテルを貼られていたベテラン琴桜関が突如狂ったように強くなり、遂には横綱に登り詰めた勇姿を思い起こさせます。このレースで引退の同馬、ここ2走の強さを見る限り今の勢いに一点の曇りもなく下手に逆らっても何の得もなさそうで、勝ち切れるかどうかは別として軸はこの馬でいいでしょう。

問題は相手です。どれも“帯に短しタスキに長し”の印象で、こんな時は実績重視で人気の盲点馬を狙います。まずは昨年このレース3着の⑥ファイングレン。GⅠ馬の底力に期待です。2歳時ながらマイルGⅠ2着実績のある⑧フィフスペトル。鞍上も名手ルーメルで大駆も。中人気ですが、関屋記念勝ち⑤スマイルジャックのマイル適正にも要注意です。もう一頭、春には大物の予感を感じさせた⑩スズカコーズウェイ。この秋叩き3走目で一変を期待したいです。

カンパニー以外は混戦状態。混戦は騎手の腕がモノをいいます。ってことは日本をよく知る海外の名手が乗るペリエの⑮、ムンロの①に警戒?私は買いませんが…。

あまりに愚かな社民党の「普天間の移転先に硫黄島」発言

2009-11-19 | ニュース雑感
社民党の重野安正幹事長が19日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題に関し「グアムや硫黄島への移設を具体的に検証するべきだ」と述べ、近く党として正式に岡田克也外相、北沢俊美防衛相にグアム、硫黄島の移設が可能か検討するよう申し入れる考えを示したと言います。ちょっと待って下さいよ。米国の地グアムはともかく、我が国の国土の中でも最も悲惨な戦争の記憶を残す硫黄島を軍事飛行場の移転先候補としてその名をあげることには、日本の平和主義の観点からいかがなものなのでしょう。私はこの発言には強く違和感を覚えます。

今年の8月の終戦記念日前後のブログで、TVで見た第二次大戦激戦の地硫黄島を舞台とした平和な日米交流ドキュメンタリーの話を記しました。そこでも報じられていた事実、硫黄島はマスメディア等でその現状を語られるケースは少ないのですが、戦後日米の軍事事情に翻弄され戦没者の遺骨の収集もいまだままならず、本当の意味で平和を回復してない島なのです。冷戦時代の軍事体制を引きずり現在も自衛隊が基地として占領。戦没者の遺族や以前の島民でさえ自由に出入りが出来ないその地に、今度はアメリカ軍の飛行場を移設することを日本の与党の一角をなす政党の幹事長が堂々と口にするとは、全く持って非常識極まりないと言わざるを得ません。

唯一の被爆国であり平和憲法を掲げる日本は、戦争の悲惨さと愚かさを世界に伝え二度と同じ過ちを起こさせぬよう、今以上に世界に「平和主義の国日本」を訴える立場にあると思います。硫黄島はいまだに戦争時の地下壕がそのまま残され、戦争にまつわる様々なものが多く眠り続けている、戦争の悲惨さをそのまま今に伝える数少ない貴重な場所であります。しかも、現自衛隊の飛行場の敷地の下には約1万5千体と言われる戦没者の方々の遺骨が、いまだ未回収のまま眠っているのです。「自衛隊の撤退→遺骨の回収→島の反戦モニュメント化」による島の平和利用は、米オバマ政権の「核廃絶宣言」に呼応して今こそ日本国政府がとるべき道であると思うのです。

社民党は「護憲=平和憲法の擁護」を旗頭とする政党でありながら、単に現在一般人が住んでいないあるいは自衛隊の基地があるという理由だけから、米国の軍事飛行場を戦争の被害者である多くの戦没者が眠る硫黄島に移せないかなどと、浅はかな考えを党を代表する幹事長が口にするとは本当に信じられない愚行であると思います。世界平和を真剣に考えているのならば、このような愚かな発言が軽々しく口をつくこと自体あり得ないと思うのです。社民党福島党首は普天間基地の移転先候補に硫黄島をあげたことに関して、党としての見解であるのか重野幹事長個人の考えであるのかを明確にした上で、すべての日本国民と戦没者に対して謝罪をするとともに発言の撤回を早急にするべきであると思います。

最後に、本見解は沖縄県民の皆さまの一日も早い米軍基地完全撤退を望む気持ちに異論を投げかけるつもりは全くないことを付け加えさせていただきます。