日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

見るに堪えない三井住友VS旭化成の責任なすり合い

2015-12-07 | 経営
個人間にしろ企業間にしろ、お互いのコミュニケーションの悪さというものが表に晒される時、それがどれほど当事者双方にとってマイナス・イメージになるものなのか、当事者が実感を持って考える機会というのはあまりないのかもしれません。

個人間でコミュニケーションの欠如が原因で訴訟になり、時間をかけて問題が繰り返し報道され、どちらが正しいのかはともかく双方にとってボディーブロー的に悪い印象が定着してしまうということはこれまでもよくありました。最近の例をあげれば、某女優兼歌手と演劇プロデューサーの、舞台ドタキャンを巡る泥沼訴訟。長引けば長引くほど、どちらにもマイナスに働くのは当然。爆弾抱えた人と仕事なんかしたくないのが世の常ですから。

世間知らずお山の大将を気取る芸能関係者同士が、面と向かってコミュニケーションをとらず、お互いにメディアという濁った伝言役を通じて口論を続け、泥沼状態にはまってしまうと言うのはまだ分かります。しかし、れっきとした日本を代表するような大手企業同士が、同じようにメディアを通じて「お前が悪い!」「いや悪いのはお前だ!」と言い合っていると言うのはあまりにも見てくれの悪い光景です。

御存じ、横浜市の傾斜マンションの問題を巡る、建設元請け三井住友建設と杭打ち下請けである旭化成建材のお話です。当初の会見の段階から、お互いに責任をなすり合うかのような物言いがあり、聞いているこちらが「なんでバラバラに会見して、お互いを否定するような物言いをするのか」と思ったものですが、その後はさらにエスカレート。

三井住友はデータ改ざんが明らかになっている旭化成の施工ミスが原因と主張し、杭は支持層に届いていたとする旭化成は三井住友の設計ミスを指摘して、両社一歩も譲らない。それがメディアを通じて相手を非難するような表現でお互いの主張がおもしろおかしく展開されるが故に、余計に始末が悪い。遂には国会で、「責任をなすり合うみにくい業界体質」とまで糾弾されるに至りました。確かにこれでは子供の喧嘩です。子供の喧嘩でもそうですが、どちらかが一方的に悪いなんてことはごく稀で、たいていはどちらにもそれなりの非があるわけでしょう。

ならばなぜ、初めの段階から水面下でしっかりと話し合って共同で会見を開くなり、外に見苦しい責任のなすり合いを見せるようなことを避けようと思わなかったのでしょうか。責任の一端は、マンション建築の施主である三井不動産レジデンシャルにもあると思います。住民との接点を司るのは同社であり、メディアを通じて展開される責任のなすり合いを住民が見ていい気分がしないのは当然の事。住民感情を第一に考えるのなら、施主である同社がリーダーシップをもって、見苦しいイザコザを外に見せないようにするのがあるべき対応なのではないでしょうか。

STAP細胞騒動の時にも同じことを申しあげました。関係者が関係者間でしっかりと話し合いを持つことなく、バラバラな状態で会見を開いたりコメントを出したりすれば、単にメディアの餌になっていじりったけいじられ、関係者すべてにとってマイナス・イメージだけが増幅される、それは間違いのない結末なのです。実にバカらしいことですが、これによるイメージダウンは必至。企業ブランドや企業イメージはことごとく黒く塗られることになるでしょう。

大きな大企業間で長年にわたる取引があろうとも、こんなにもコミュニケーションがとれないものなのでしょうか。もっと言えば、こんなことをしていたら、どんどん企業イメージが悪くなっていくと、どうして関係者は気が付かないのでしょう。建設業界の「みにくい業界体質」は、まさにご指摘通りなのかもしれないと思うにつけ、業界の風土洗浄なくして再発防止はあり得ないと、改めて思わせる次第です。