日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

“実業家芸人”「たむけん」の危機管理対応

2008-07-30 | ニュース雑感
関西の人気芸人たむらけんじ(35)が経営する焼肉店で食中毒が発生し、28日経営者としてたむら本人が謝罪会見をしました。

事の概要です。名古屋市食品衛生課によると今月14日、たむらが経営する「炭火焼肉たむら 名古屋店」(同市中区)を利用した男性客4人が体調不良を訴え、3人から食中毒の原因となるカンピロバクターが検出されたというもので、名古屋市は28日、同店を営業禁止処分としました。

たむらけんじは同日夜、大阪市中央区の吉本興業で会見し、神妙な面持ちで「おいしいご飯を食べるという楽しみを裏切り、4人の方に苦しい思いをさせ、申し訳ありません」と頭を下げました。同時に、「炭火焼肉たむら」大阪蒲生本店など3店舗についても営業の自粛を決め、名古屋店再開まで店を休むことも発表しています。

普段テレビではふんどし姿のたむらですが、この日ばかりは上下グレーのスーツ姿で現れ(写真で見るに「この人誰?」状態です)、約30分の会見中終始直立したままで、「生肉に対する僕の認識の甘さが原因です。カンピロバクター菌も、初めて知ったぐらい。従業員は僕が口をすっぱくして、衛生管理の徹底を言っているので、しっかりやってくれていた」と神妙な面持ちで話すとともに頭を下げました。

さて、今回の事業オーナーとしてのたむらの対応ですが、危機管理の点から見て実に見事でした。順番に不祥事対応として良かった点をあげてみましょう。

①迅速な会見開催(保健所の処分当日)
これは基本中の基本ですね。
②オーナー自身が会見で謝罪
時々様子見で№2にまず会見させるダメ社長がいますが論外です。
③用意された原稿棒読みでなく、自分の言葉で謝罪
最近は不祥事対応コンサルがついて、原稿を用意してくれるケースがありますが、心証はよくないです。
④芸人の奢りなきスーツ姿と終始起立の真摯な姿勢
なんだかんだ言っても、記者も人間ですから印象は大切。明らかに反省がうかがえる姿勢には好感が持たれ、報道のトーンにも大きく影響します。
⑤全責任を経営者である自身が負い現場のせいにしない
これで失敗するケースはホントに多いです。直接責任転嫁してなくとも、「現場の管理が甘かった…」などの発言は、現場の責任を示唆するもので好感が持たれません。
⑥会社の経営姿勢を示す一斉自粛
これもポイント高いです。念のためはあるのでしょうが、事の重大さを真摯に受け止めているという姿勢をじょうずに表現していると思います。
⑦怒らせようというマスコミ挑発への対応
報道陣から“おごり”を指摘する質問が出された際の、「調子いいときに謙虚にいかなアカンと思ってるんです。こういう事故があり、そういうこともあったのかもしれませんが、僕的には一切ございません」との落ちついた受け答えは、十分合格点でした。

トータルで見て、一般企業にも十分手本となる理想的な対応でした。ネット掲示板などでのコメントを見ると、ほぼ100%たむらを褒めたり応援するモノばかり。一般人の本件の好感度の高さからも、彼の真摯な態度とその対応の素晴らしさがうかがわれます。さらに言えば、彼のそんな謙虚で真摯な姿勢があればこそ、事業家としての成功に導かれたと言ってまちがいないのでしょう。

芸人としては、個人的にあまり好きではなかった「たむけん」ですが、今回の件でむしろ人間として経営者としての彼に好感を覚え、関心を強く持ちました。恐らく似たような感覚を抱いている人も、けっこう多いのではないでしょうか。これによって、かえって芸人としてもさらなる人気上昇のキッカケになったり…?まさに「災い転じて福となす」かもしれません。

★J-CAST~大関暁夫連載「営業は難しい~ココを直せばうまくいく!」
http://www.j-cast.com/kaisha/column/kokonao/index.php


“目からウロコ”!オフショア・ファンドのお話

2008-07-28 | ビジネス
今日はとあるプライベート・バンキング(PB)金融の専門家の方にお目にかかり、彼が扱う驚きのオフショア・ファンド(外国人に対する租税環境の優遇されている国または地域で運用するファンド)のお話をうかがいました。

ファンドの名称はドミニオンファンド。英国の年金を運用するウィズプロフィット・ファンドを原資産とするファンドです。株式、債券、そして商業不動産に分散をして運用しているそうですが、株式相場の変動に大きく左右されることなく、長期的に安定運用を実現しているそうです。昨今のサブプライム問題も影響を受けず順調な実績を続け、その実力に金融界では日増しに評価が高まっているようです。

ドミニオンは、決して怪しいファンドの類ではありません。原資産のウィズプロフィット・ファンドは、業界最大手クラスのノルウィッチ・ユニオン(SP格付けAA+、ムーディーズ格付けAA)とプルデンシャル(SP格付けAA)が運用しているのですから。

では、株式、債券、商業不動産に分散投資していながら、相場の変動に大きく左右されないのはなぜでしょう。原資産のウィズプロフィット・ファンドは、聞くところによれば18世紀の終わり頃に英国で発明されたファンドで、世界でも類を見ない「損益平準化」という驚異の仕組みを生みだしたファンドだそうです。実はこの「損益平準化」という仕組みこそが、相場の変動に大きく左右されない秘密なのです。

「損益平準化」?聞きなれない言葉です。目標利回りを越えた年の利益の一部をリザーブ口座に留保しておき、将来的に目標利回りを下回った場合、留保しておいた利益の一部をリザーブから回して目標利回り以上を確保するといったものだそうで、これにより長期的に安定したスムースな利回りを得る事ができきるというのです。

ウィズプロフィットは、実に過去100年間のどの5年間を取り上げてもマイナスのパフォーマンスがない投資を実現しています。これを受けてドミニオンは元本保証商品になっていますから、安全第一の日本の資産家も納得のオフショアファンドであると言えるのです。こんなすぐれた運用が、古くから英国の年金運用では行われていたとは、本当に驚きのお話です。

さらにさらに、リザーブ口座にある留保分が増大すると、その一部を特別ボーナスとして顧客に還元するという、ボーナス配当もあるようです。ちなみに、今年2月にノルウィッチ・ユニオンは約34億ユーロのボーナスを支払う事を発表しています(利回りで10%超相当!)。しかもこのファンド、購入手数料なし、管理手数料年1%台のみの太っ腹!実績利回りからみる運用利回り目安は5年で200%だそうですから、為替リスクも十分吸収可能な上、タックスヘイブン運用で利殖分は非課税と、とにかく、いちいち素晴らしいファンドなのです。銀行時代に年金保険とかの、いわゆる個人投資家向けの長期安定運用狙いの商品を売っていた身からすれば、まさに驚きの連続でした。

このドミニオンファンド、日本でも買えるのかと質問すると、残念ながら答えはノー。なんでも、こんな年金用ファンドが一般の目に触れてしまったら、英国では古くからこんなに優れた年金運用をしてきているのに日本の年金運用はどうなってんだ、という批判を免れえない総務省が、ただでさえ集中砲火状態の今、絶対に許さないんだとか。ただし日本では買えないものの、海外でなら日本人でも買えるそうです(海外送金で購入可だそうですが、まずは海外(香港で可)に口座を作りに行くのが前提とか)。ちなみに、最低ロットは5万(ドル/ユーロ)からだと聞いています。

欧米では一般的なファンドが、日本では今日話を聞いた彼のような購入方法を知るごくわずかのPBブローカーからしか紹介されておらず、国内ではごくごく少数の資産家が利用するにとどまっている商品なのです。世界のプライペート・バンキング・サービスは本当にすすんでいます。それに比べて、悲しいぐらいにPB金融後進国の我が国の実態を、思い知らされた気分です。
まさに目からウロコのお話でした。

〈70年代の100枚〉№33 ~ ニール・ヤングというジャンルの基本

2008-07-27 | 洋楽
本当によく働く人です。1945年生まれというから御歳63歳。休むことなくバリバリの現役を続けるニール・ヤングその人です。

69年のソロデビュー以来、毎年のように新作を出し続けるパワーにまず脱帽。さらには、30年以上の活動の中で、フォーク、カントリー、ブルース、R&B、ロック、ハードロック、グランジ、ロカビリー、テクノ…、アルバムごとに手を替え品を替え、いろいろなジャンルの音楽に常にチャレンジを続ける姿勢にも畏敬の念をもって接するのみです。でも何をやっても、間違いなくニール・ヤングです。それはある意味ひとつのジャンルでさえあるのかもしれません。

そして、彼を一躍スターダムに押し上げた72年のナンバーワン・アルバム、それが彼の4作目の作品「ハーベスト」です。

№33 「ハーベスト/ニール・ヤング」

それまでの3作は政治的な主張を表に出しつつ、やや神経質ともとれる繊細なフォーク・テイストのアルバムづくりを展開してきました。特に本作と並び評される名作の誉れ高き前作「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」で、個々の楽曲は著しくレベルアップ。本作ではさらにカントリーテイストを強くして「明るさ」「親しみ」を持たせつつもどこか哀愁を漂わせる独自の世界を構築し、大成功に至ったのでした。

中でも、白眉はA2「ハーベスト」とA4「孤独の旅路」。A2はアルバムタイトル・ナンバーであり、まさにこのアルバムの制作コンセプトを象徴する、カントリー・フレイバーを漂わせる佳曲です。A4はシングル・カットされて、全米ナンバーワンを獲得。独特のアコースティック・ギターとブルース・ハープ(ハーモニカ)のサウンドに導かれるニールの“泣き節”が実に見事。70年代を代表する名曲と言っていいでしょう。

最初に書いたようにニールは、この後さまざまなジャンルに接したアルバムを制作するのですが、やはり売れ筋はカントリーテイストを漂わせたアコースティック基調のアルバムです。長い活動の中で全米ナンバーワンも本作のみですが、同傾向のアルバムである78年「カムズ・ア・タイム」、92年「ハーベスト・ムーン」(=「ハーベスト」の続編)が出されると、一時期ファンを混迷させて落ち気味になった人気が必ずや盛り返しているも特筆点です。当然、そのプロトタイプは本作「ハーベスト」な訳で、彼にとって、また彼のファンにとって特別な一枚であることは間違いありません。

時にエネルギッシュに、時に反骨精神をむき出しにして、時に流行に立ち向かう闘争心の塊となって、ニールの音楽の旅は延々続いています。今だ続く彼の躍動感の本物ぶりは、99年に出されたCSN&Y(あの<70年代の100枚>「デ・ジャブ」のスーパー・グループ)の再結成盤「ルッキング・フォワード」と翌年のツアー映像に顕著です。Y(ニール)を除く他の3人(クロスビー、スティルス、ナッシュ)が既に、「過去の人的音楽老人」と化しているのに対して、ニールひとりが圧倒的なパワーをもって現役感むき出しで躍動しているのです。

その現役感、躍動感は、決して「過去の栄光」ではない“帰るべき場所”を持つ者の強みでなのではないのでしょうか。“帰るべき場所”、それはまさにさまざまな音楽活動の合間、合間に彼が戻ってきている、「ニール・ヤング」というジャンルの基本、そうこの「ハーベスト」の世界。今なお続く彼の約40年の長きにわたる、圧倒的な存在感をもった活動の大きな一つの基軸をつくったという点で、このアルバムの存在の大きさを認識せざるを得ないのです。

それと最後にこのジャケット・デザイン、実にアメリカっぽくイカしてますよね。

今突然の「蟹工船」ブームに思う

2008-07-25 | その他あれこれ
小林多喜二の名作「蟹工船」が、異例の売れ方をしていると聞きます。

毎週最低2~3回は、どこかの本屋で本漁りをする私ですが、最近そこここの本屋の文庫本コーナーで、「蟹工船」が“平積み”になっていたり、目立つ場所に置かれたりしているのをよく見かけます。「蟹工船」と言えば1929年の作と言いますから、もう80年も前の作品です。特定の主人公がおらず、蟹工船にて酷使される貧しい労働者達が群像として描かれているのが象徴的な物語で、いわゆるプロレタリア文学の代表作とされています。

カムチャツカの沖で蟹を獲り、それを船上で缶詰にまで加工する過酷な労働環境の「蟹工船」での労働者たちの姿とその闘争を、反資本主義的に描いた物語は、なぜか今の若者たちの心をとらえているようです。なぜ今「蟹工船」なのでしょう?

劣悪な労働環境で労働者が作っているのは、金持ちが口にする「蟹缶」。高価な価格で売れることで、オーナーは潤うものの労働者へは還元されない。「労働者は資本家に搾取され、自身の労働からも疎外されている」というマルクス経済「資本論」の典型を行くようなこの物語。90年代の就職氷河期に就職を迎え、当時、正規採用激減の荒波で、非正規雇用などの不安定労働者生活を余儀なくされ、未だに「負け組」として“ワーキングプア”生活を強いられている層が特に共鳴を覚えているようです。

ブームのきっかけとなったのは、毎日新聞に掲載された作家の雨宮処凛(かりん)さんと高橋源一郎さんの格差社会をめぐる対談(1月9日付)だったとか。雨宮さんが「『蟹工船』を読んで、今のフリーターと状況が似ていると思いました」と言うと、高橋さんも「偶然ですが、僕が教えている大学のゼミでも最近読みました。学生の感想は『よく分かる』だった」と答えたのでした。これを契機に、複数の書店がキャンペーン的に同書を扱い多くの若者が共鳴した、なんとも不思議なブームです。

『一生懸命働いても生活が苦しいのはおかしい』『フリーターは何年やってもフリーターのままで、職場で人間扱いされているとは思えない』などと思いはじめ、この本との出会いで彼らは、遠い昔の名作の中に自分たちの「同志」がいることに気がついたという流れなのではないでしょうか。このタイミングでなぜというのは、今また景気の不透明感が増し臨時雇用であるフリーターの人たちに迫る、“景気調整弁”として扱われる身につまされた思いから、共感を呼んでいるのだと思います。

自分たちには責任はなくとも、たまたま運悪く就職氷河期にぶち当たってしまった不幸な世代。そしていつしか景気の回復とともに、“ワーキングプア”である彼らは忘れられたまま置き去られ、一方で何事もなかったようにその後の新卒たちは普通に就業していく…。たまたま、自分が乗った“資本主義の労働力創造コンベア”が稼働不調の時期に“製品化”されたがために受ける不当な扱い…。

プロレタリア文学の世界は遠い過去の現実とばかり思ってしまいがちですが、いつの時代にも、自己に責任はなくとも資本主義社会の宿命として、不当な働き方を強いられる労働者はいるのです。景気のうねりの中で自然と作り出されてしまう、就業に関する「不公平感」。それがもたらす労働における「幸せ」と「不幸」の分岐点は、実は本人の主体的努力とは無関係に資本主義社会のメカニズムの中で勝手に通過させられ、その後の道が自動的に提示されるだけなのです。

わが身に翻ってみれば、幸運にも「就職」→「就業」を順調に過ごしてこれたからこそ、今の自分の仕事へのステップが踏めたわけであります。自己に与えられた環境に感謝するとともに、資本主義の歪みがもたらした“平成不況”の傷痕である「格差社会」と労働機会の自然発生的不平等を思うにつけ、「蟹工船」が鳴らす資本主義社会への警鐘を改めて深く考えさせられる特異なブームであります。

経営のトリセツ35 ~ 危機管理の「肝」はクレーム処理にあり

2008-07-24 | 経営
JRの問題を、サービス業コンサルとしての立場とともに一利用者クレームとしてつらつらと書き綴ったついでに、ある法則のお話をします。

「1件の重大災害の背後には、29件のかすり傷程度の軽災害があり、さらにその背後にはケガはなかったもののヒヤッとした300の体験がある」という法則です。アメリカの保険会社の確率分析担当であったハインリヒ氏が導き出したもので、その名をとって「ハインリヒの法則」と言われています。一般的には「ヒヤリ・ハットの法則」などとも呼ばれていますね。

保険料率算定にあたって、事故の発生確率を法則化したものですが、この法則はそのまま会社経営にも活かせる法則でもあるのです。すなわち、一件の「大失態発生」に至るまでには、29件のその大失態に関連する苦情・クレームがあったハズで、さらにその29件の背後にはクレームにはならかったものの、担当者が「なんか変な対応しちゃったな、これでよかったのかな?」とか「お客さまは気が付いていないみたいだけど、よくよく考えたらおかしいと思われそうそうだな」といった、ヒヤッとした小さな過ちが300件あるという事になるのです。

「大失態発生」というのは、コンプライアンス違反とか、サービス業の基本を犯しているとか、と言った問題が表ざたになって、経営の根幹を揺るがしかねない大問題化したりするケースです。この法則が言わんとしていることは、そういった問題が、“表になる”前には必ずや、その問題に関連するクレームがあるでしょうし、もっと言えばクレーム以前から多くの担当者が「おかしい」「いけないんじゃないの」と感じていたハズということなのです。

例えば、多発する食品偽装の問題もこの法則に従って考えれば、内部告発によって大問題化する前には、必ずや内外からのクレームが30件近くはあったハズですし、それ以前に「こんなごまかしまずいよ」と担当者が思った回数は300回はあったハズだと言えるのです。それを阻止できなかったのは何ゆえか?そうです、大失態防止のカギは、「社内コミュニケーションの円滑化」と「クレーム処理体制の確立」にこそあったのです。

「社内コミュニケーションの円滑化」がはかられていれば、誰かが「このやり方はおかしい」「まずい」と思った段階で上層部に進言できるはずです。そして、進言が数出れば、「皆がまずいと思うことはやめるべき」となるハズなのです。「正しいことを堂々と言える」風土づくりという意味も含めた、「社内コミュニケーションの円滑化」は、組織のリスク管理上からも大変重要な問題であると分かると思います。

また仮に「社内コミュニケーションの円滑化」が不調であっても、組織として「クレーム処理体制の確立」がなされキッチリと役割を果たしているなら、問題クレームを見逃さずに「こんなクレームが入っています、これはすぐに是正すべきです」と組織内で自浄作用が動き、大失態は水際で防止されるハズなのです。「クレーム処理体制」こそは、組織自浄作用の“最後の砦”として、この上なく重要なことなのです。

クレーム処理スキームが明確になっていない組織、クレーム受付窓口がお座成りに設けられている組織は、早急な見直しが必要です。苦情・クレームの組織内共有化と小さなクレームでも、問題点を洗い上げて再発防止策を必ず策定する、そんな企業文化の醸成と体制の確立こそが、企業を大失態に端を発する経営危機から守ってくれるのです。

一昨日のブログ記載のJR東日本のクレーム対応を見る限り、同社のクレーム受付窓口は“お座成り窓口”に相違なく、上層部を含めたクレーム情報の組織内共有化と再発防止は全くとられていないと思われます。このままでは近い将来、きっと大きな失態の表面化にぶち当たるのではないでしょうか。

大きな問題が発生してはじめて「ハインリヒの法則」の重要性を知ったのでは、企業経営における危機管理の観点からはあまりにも遅すぎるのです。

<音楽夜話> Gの悲劇

2008-07-21 | 洋楽
ポール・サイモンの話を書いていて思い出したエピソード。サイモン&ガーファンクル解散後のアート・ガーファンクルはポールのやり方とことごとく衝突し、80年代以降の彼らは“S&G不仲”の歴史だったという話です。

81年9月、サイモン&ガーファンクルが突然再結成して、NYセントラルパークでフリーコンサートを行いました。言いだしっぺはポールでした。当時彼は、自身が脚本、主演、演出、音楽を担当した映画「ワン・トリック・ポニー」が惨敗し、失意の真っただ中。ソロでの復活に自信が持てず、自身の精神的リハビリテーションを兼ねてアートに声をかけ、S&Gの再結成コンサートを持ちかけたのでした。ポールの発案で実現したこの再結成コンサート、選曲、バックメンの選択等すべての決定権は当然のようにポールが握ります。結果、コンサートは50万人以上を集め大成功したもののアートには不満の残るものだったようです。

後になってアートがこう語っています。「僕のソロ曲はたった1曲。彼のは7曲もやっているのにだよ。僕だって当時はたくさんのヒット曲を持っていたしね。バンドにしても、僕はシンプルなアコースティックが良いと言ったんだけど、ポールはフルバンドでいくと譲らなかった。しかも彼のバックメンで。僕はこういう状況で彼に勝ったためしがない。昔から彼の押しの強さに傷つけられてばかりなのさ」。

それでも、コンサートの大成功を受けて、彼らはワールドツアーに出ることになり、さらには11年ぶりにS&Gとしてのニューアルバムを制作することに…。すべて、ポールの考え中心に既定路線化したものでした。そしてまた、アートには悲劇が起こります。

「シンク・トゥ・マッチ」と名付けられたサイモン&ガーファンクルのニューアルバムは、ポールが曲を作り制作に入ります。しかし、アートがコーラスパートのアレンジに自己主張をしたことに対して、ポールが自分の作品に手を加えてほしくないという考えからこれを拒否し、制作は暗礁にのりあげました。そして、プロジェクトは頓挫。結局このレコーディングは、「ハーツ・アンド・ボーンズ」というポールのソロ作として、アートのコーラスパートは消去されたものがリリースされ終息したのでした。

とここまで、どこかポールを攻めてアートを擁護するような書き方になってしまいましたが、その意図はまったくありません。アートにとっての悲劇は、天才的なコンポーザーであり、アーティストであるポール・サイモンが、単に美しい声を持ったボーカリストにすぎない彼のパートナーであったということ。ポールはこの一件を後にこう語っています。「ハーモニーひとつでも、彼に任せる気はなかった。それが60年代のサイモン&ガーファンクルとの決定的な違いだったから」。

アートが求めたボーカリストとしての主張が、ソロを経て一層アーティスト然としたポールにことごとく退けられるのはある意味やむを得ないことでもあったのです。名称は50/50の「サイモン&ガーファンクル」であっても、実際には「ポール・サイモン・サポーティング・ウイズ・ガーファンクル」であると、ガーファンクルももっともっと早く理解すべきだったのかもしれません。

ガーファンクルがソロで売れたのも、その前にサイモン&ガーファンクルがあってのことであり、サイモン&ガーファンクルの名声は稀代のメロディ・メーカー、ポール・サイモンの才能があってこそ成り立ちえたデュオだったのですから…。

ポールのソロ作となった「ハーツ・アンド・ボーンズ」は、サイモン&ガーファンクルの新作を期待していた多くの音楽ファンの“落胆”もあってか、商業的に惨敗しました。しかしながら、アルバムの中身はものすごく濃く、個人的には彼のソロアルバムの中でも確実に3本指に入る出来であると思っています。

このアルバムを、サイモン&ガーファンクルとして聞いてみたかった…、“S&G不仲”の本当の悲劇は私をはじめとする熱心な音楽ファンにこそあったのかもしれません。

〈70年代の100枚〉№32 ~ ポール・サイモン都会派の傑作

2008-07-20 | 洋楽
70年代を語る上で欠かせないひとり、ポール・サイモンです。

60年代はサイモン&ガーファンクルとして数々の名曲を残した彼。70年代は、ソロアーティストとしてより洗練されたアーティスティクな一面をみせてくれました。サイモン&ガーファンクル時代から見られた民族音楽への傾倒は、ソロとして一層強く打ち出されます。しかしレゲエ、南米音楽、アフリカン・ミュージック等を取り入れた創作活動は、商業的な成功を収めつつも「民族音楽を利用するだけの冒涜」との批判も受け、スッキリしない部分を残したのも事実です。その意味では、彼の一番の成功作と言えるのは、民族音楽とは無縁なシティ感覚にあふれた75年の傑作アルバム「時の流れに」ということになるのだと思います。

№32    「時の流れに/ポール・サイモン」

前作「ひとりごと」で、アメリカ南部音楽やゴスペルへの接近を試みた彼は一転、今度はニューヨークを舞台に、最前線のジャズ、フュージョン系ミュージシャンたちと、かつてないほどおしゃれで洗練された都会派のアルバムを制作したのでした。その印象は冒頭を飾るタイトルナンバーA1「時に流れに」に顕著です。フェンダーローズのイントロに導かれてはじまる彼の物憂げなボーカル、それを一層引き立てるマイケル・ブレッカーのこのうえないサックソロをからめたボブ・ジェームスのアレンジメントに、「これがホントにポールサイモン?」とリリース当時は思ったものです。

このアルバムには当時の目玉として、5年ぶりのガーファンクルとの共演曲A2「マイ・リトル・タウン」が収録されています。この曲はサイモン&ガーファンクル久々の新曲としてシングル・リリースされ、最高位は全米9位。一方、このアルバムからのポールソロ名義のシングルはA4「恋人と別れる50の方法」。こちらは、ドラムのスティーブ・ガッドの特徴的なエスササイズ・フレーズをイントロンに使ったことが功を奏したのか、予想外の大ヒット(4週全米第1位)となったのでした。

スーパーデュオ、サイモン&ガーファンクル名義の楽曲的にも素晴らしい“鳴り物入り”のシングルは大ヒットにならず、ポールのソロ名義の至って地味な曲の方が大ヒットするとは実に皮肉な結果です。これは、元祖フォーク・デュオのサイモン&ガーファンクルに、都会的なイメージは似合わないと、ファンが敬遠した結果なのかもしれませんし、世の音楽ファンたちが70年代半ばを迎えて、旧時代である60年代からの脱皮を意識しはじめていた流れの現れと言えるのかもしれません。

このアルバムは、翌76年グラミー賞の最優秀ポップアルバムに選ばれています。授賞式のステージで喜びの言葉を語った彼。数多くのスタッフや家族らに対するサンクスの言葉と共に一言。「昨年、アルバムを発表しなかったスティービー・ワンダーに感謝します」という実に彼らしいジョークで、会場の笑いをとって締めくくったのがとても印象的でした。現実に前年、前々年と2年連続受賞していたスィービーは、翌77年も「キー・オブ・ライフ」で見事に3度目の受賞をしたのですから、ポールの一言はジョークと言うよりもむしろ本音だったのかもしれませんね。

最後にもう一言。このアルバムのプロデュースはフィル・ラモーン。あのビリー・ジョエルをアルバム「ストレンジャー」で、一役スターダムにのしあげたその人です。「ストレンジャー」の2年前にこのアルバムで都会派を体現した彼は、垢抜けないNYっ子だったビリーを、見事なシティボーイに変身させます。「素顔のままで」でビリーにフェンダーロズを弾かせたインスピレーションは、間違いなくこのアルバムに参加のリチャード・ティーにあったと言えるでしょう。

勇気をありがとう!~“トルネード”の引退に思う

2008-07-18 | ニュース雑感
米プロ野球元ドジャーズのエース野茂英雄(39)投手が引退を表明しました。

野茂と言えば、日本人大リーガーの草分け的存在であり、95年の彼の勇気ある渡米があったからこそ、その後の多くの日本人大リーガーが生まれたと言えるのです。でも95年当時、所属の近鉄球団と契約交渉でモメた末の渡米騒ぎには、世間は決して好意的ではなく、「大リーグで通用するはずがない」「わがままで出て行って、現実を知って帰ってくればいい」などと、批判的な声ばかりが聞こえ、孤立無援状態であったことをハッキリ覚えています。

当時日本人にとって大リーグは遠い存在でした。はるか昔の60年代に南海の村上雅則氏が、「留学」の形で2年間在籍したサンフランシスコ・ジャイアンツで、唯一の日本人大リーガーとして残した5勝の記録があったのみ。80年代には日本を代表する大投手、江夏豊氏が大リーグに挑戦するもかなわず、江夏自身のピークは過ぎてはいたものの大リーグの“遠さ”を感じさせるには十分な出来事でした。

そんな“遥か遠い”大リーグに、周囲の悪口をよそに彼は果敢に挑みました。新たな世界へ乗り込む時に彼が心境を聞かれて答えた言葉に、「希望はあるが不安はない」というものがありました。当時の彼に「不安」がなかったなんてありえません。自分の夢をかなえてやるぞという気持ち、周囲を見返してやろうという気持ち、それらを実現するためには、なによりもまず自分に打ち勝つこと、それを強く自身に課していたからこそ出てきた言葉ににちがいないのです。

初年度からオールスター戦先発、新人王と奪三振王を獲得するなど見事にな活躍を見せた野茂投手。その後多くの日本人プレイヤーが彼の後に続きました。世間は彼を「日本人大リーガーのパイオニア」と言いますが、それは結果としての問題。彼の素晴らしさ、彼に学ぶべきところは、「開拓者精神」ではなくて「自己の夢実現へ向けた突き進み方」であり、「常に一段上を相手にするチャレンジャー精神」とそれを後押しする「ひたむきな努力と精神的強さ」であります。

私個人的には、当時のプロ野球界同様閉鎖的な銀行という世界からの独立を考えたときに、彼の航跡は大いに勇気づけられるものでした。そして、自分自身にもあの時の野茂選手と同じく、「希望はあるが不安はない」と言い聞かせ、前向きな姿勢を貫く手本ともさせてもらいました。

それともうひとつの彼の手本すべき部分、それは「感謝忘れない」という信念の行動であります。彼は大リーグで活躍中の03年に、出身の社会人野球で休廃部が続くことに危機感を抱き、NPO団体の「NOMOベースボールクラブ」を立ち上げ、有能な社会人選手たちが所属先の経済的理由から埋もれてしまうことなく野球を続けられる環境づくりにも貢献したのでした。これは、彼が甲子園経験も六大学経験もある訳ではなく、いわば野球エリートではない自分を、育ててくれた社会人野球への感謝と恩返しの気持ちなのです。

華やかなスター選手が大リーグで活躍する姿には、確かに見ていて胸すく思いがするものです。でもそれ以上のものを感じさせ学ばせてくれる、選手というものはそうなかなかいるものではありません。野茂英雄選手はその意味で数少ない、私には特別なスポーツ選手でした。引退を耳にした今は「御苦労様、勇気をありがとう」と心から伝えたい気持ちです。

本当の利用者重視とは?~サービス業のあり方を考える 下

2008-07-17 | ビジネス
さて引き続きサービス業のあり方を考えます。ブランドに“胡坐(あぐら)をかいた”東京ディズニーランドのお話です。

ディズニーランドの印象にどんなものがあるでしょうか。確固たる強力なブランド力を持つ人気施設ですから、「楽しい」「素敵」というものは当然あると思います。がしかし、一度は行ったことのある人なら、同時に「待たされる」「混雑している」「高い(入園も飲食も)」という印象を持っている人が大半ではないでしょうか。

特に問題なのは「待たされる」。サービスを受ける側からみた場合、「自分が受けたいサービスを必要以上に待たされる」ことはサービスの価値を低くする大きな要因になっていると思います。ディズニーランド側では、特定のアトラクションで待ち時間を短くするファストパスと言う制度があるものの、「一度発券すると記載された指定時間を過ぎるか2時間経過しないと、他のアトラクションで発券することはできない」という最大の欠点があります。

さらに、「時間の指定はできず、特定の時間内にのみ使用可能」「アトラクションの優先入場口に並ぶ権利を得るシステムであって、ファストパスを取得したからといって入場が保証される訳ではない」「タワー・オブ・テラーなど人気アトラクションは開園から2時間足らずで発券終了になることもある」など、利用者からは多くの不満の声も出されています。つまり言ってみれば、「待ち時間対策をしているかのように見せかけだけの対策」でお茶を濁しているのです。本当にサービスを受ける側の立場でものを考えているとはとても言えないと思います。

ディズニーランドにおいて「待ち時間も楽しく」はプレショウの工夫などで以前より改善は試みられているものの、根本的な「待たせないアトラクションのあり方」については、先のだましの対策以外全くと言っていいほど講じられていないのです。それでありながら、パスポートが一律大人1日5,800円は高いでしょ?1日何人収容ですか?施設メンテや運営にコストがかかることは十分承知ですが、あまりにも、もうけ主義ではないでしょうか?

まずやるべきことは、パスポートを安くすること。最低でも今の半額でいいハズです。そのかわり、時間指定で待たずにアトラクションを利用できる権利を1件1000円とかのオプションで販売すればいいんです。「全部いくら待っても安い方がいい」「待つのも楽しみのうち」「園内の雰囲気を楽しむだけでいい」と言う人は、オプションなしで安く遊べる訳です。パレードも早くから場所取りをせざるを得ないのが現状ですよね。これも指定席チケットをオプションにすればいい訳です。場所取りのためにアトラクションに乗る時間を割かなくてはいけないなんて、来場者に無駄な時間の使い方を強いるやり方は、利用者の立場でサービスを考えているとはとうてい言えないと思います。

満足度の高いサービスは、今やサービスを受ける側に選択権を持たせることが当たり前の時代です。ならば、基本料金を極力安くして利用者の選択によって希望するサービスを受益者負担させることこそが、納得性と満足度の高いサービス向上の姿ではないかと思うのです。「“ゲスト”優先の良質のサービス」だとか、「超優良サービス企業」だと持ち上げられて、その気になってマスメディアにも“したり顔”で登場する、ディズニーランド関係者。企業の論理での一律高入場料&形式的な待ち時間対策を変えようとしない今のやり方を、私は決して「良質のサービス」でも「超優良サービス」でもないと思います。

ブランドの魔力はそういう間違ったサービスさえも、利用者の側で勝手に正当化してしまうことがあるのです。それは例えば、一流芸能人から直接話しかけられるなら、どんな失礼な言葉遣いでも「うれしい」と感じるミーハーファンの“脳天気”ぶりと相通じるものでもあります。言いかえれば、ブランドを持つ側の思い上がりに他ならない訳で、社会一般のあらゆる業態における真のサービス向上を実現するためには、利用者の側がブランド力にも騙されることのない「サービス評価眼」を身につけなくてはいけないのです。

そう考えるとディズニーランドの“思い上がり経営”の原因は、ブランド力に騙されてそれを許しているサービスの本質を解さない利用者の側にこそあるのかもしれません。

本当の利用者重視とは?~サービス業のあり方を考える 上

2008-07-15 | ビジネス
昨日のチケット販売システムを考えるうちに、正しいサービス業のあり方について改めて考えさせられました。なので、続き的に思うところを書いてみます。

昨日のチケット販売の話、おかしいでしょ?コンサートを見に行く人にとって、席がどの場所になるかって、ものすごく重要な要素で、重要な要素に的確に応えることこそ本当はサービス業における最も大切なサービス向上になるはずなんです。でもそれを決してしない、できるのにしない。“見える化”して、同じ値段で内容の劣るものが売れ残ることを恐れているから、「あたり」か「はずれ」か分からない中身の見えない状態で商品を売るんですよね。まさに、売り手側の勝手、エゴです。

商品価格というものは需給関係によって決定されるものです。供給に比べて需要のの多い商品は高くなる、逆ならば価格は安くなる、まさにこれが「市場原理」というものです。ところが、今のチケット販売は「市場原理」無視の、マーケット占有者による一方的な価格決定の押しつけであり、良席だけを有効活用して(実態は分からないことだらけですが…)他は中身を見せずに適正価格よりも高く売る、まさに一番やってはいけないマーケットメカニズムを無視した価格決定です。

今回のS席一律1万2千円、A席一律1万1千円のザ・フーを例にとるなら、武道館でアリーナ最前ブロックど真ん中席は、買う人がいるなら5万円でも6万円でもいいんです。売れなきゃ値下げすればいい。それが「市場原理」ですから。そのかわり、アリーナ最高尾ブロックは7千円とかスタンド1階席は5千円、2階席は3千円とかで売ればいいじゃいですか。生で聞ければいい、安ければ席はどこでもいい、そういうファンもたくさんいるはずですから。とにかく、今のチケット販売システムと価格設定は、サービス業としてなっていないと思います。

次に話題のソフトバンク「phone」のお話。
鳴り物入りで売り出して、いきなり「品薄」って何ですか?これこそ客をバカにしています。受付に時間がかかるから、1日の販売数が限られるなら分かりますが、2ちゃんねるのスレッドを見る限り、「入荷未定」「予約すら受けてくれない」と言う状況が続発しているようです。人気を見越すなら、ある程度予測を立てて当面1ヶ月分ぐらいは1日フルで全店が売った場合を想定した品ぞろえをしてから販売を開始する、それがサービス業としての最低のルールであると思います。“超目玉”なんですからマズイですよ、「損」さんじゃなくて「孫」さん。

もちろん肝入り新商品の「品薄感」を、広告効果として利用する戦略であろうことは百も承知です。そんな見え透いた戦略を打つこと自体が、消費者をバカにしていると思うのですよ、「損」さん、いや「孫」さん。現代の消費者を甘く見ていると、きつーいシッペ返しに会いますよきっと。ホワイトプランと“お父さん犬”CMの好調で、良い気なっているのではないでしょうか?山本モナの話で書いたように、好調時の思い上がりこそが奈落への第一歩であると思います。本当に「損」さんになっちゃいますよ。

せっかくですから、このテーマでついでにもうひと話、サービス業に対する私の持論。ディズニーランドが「サービス超優良企業」?私から言わせれば、お笑いですネタ。
でも長くなりそうなので、この話は次回にしましょう。今日はここまで。