日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

高崎線事故でまたぞろ噴出!JR顧客利便性無視の救えない企業体質

2016-03-17 | ニュース雑感
高崎線籠原駅での架線火事の影響で、一部不通、間引き運転、直通運転休止など、沿線住民は多大なる迷惑を被ってすでに3日となりました。熊谷在住、東京でビジネスという日常パターンの私も大変困っております。

そんな中、昨日上野で驚きのJR対応に遭遇しました。その日私は、熊谷からの往路は新幹線利用。熊谷→上野が振替輸送扱いで新幹線料金はタダ、大宮→上野は乗り越し扱いで860円を精算しました。

問題は復路です。上野から乗る時に「大宮→熊谷の振替輸送利用はどうすればいいのでしょう」と駅員に聞いたところ一度大宮で降りて改札出るか、上野-熊谷すべて正規料金でご利用くださいとのこと。「え?なんですかそれ」状態でした。往路でできることが復路でできないってちょっとありえないと思います。

「行きにできたことが、帰りにできない、っておかしくないですか」と尋ねてみても、あるいは「行きと同じようにここでとりあえず乗って、熊谷で上野―大宮間の精算をさせてくれればいいです」と提案してみても、駅員の対応は「決められているやり方以外、他の対応は一切できません」と言うのみ。

またぞろ出ました、JR体質です。利用者の立場でものを全く考えてないから、そして事故で迷惑をかけていても利用者に対して申し訳ないと心底思っていないからこういう 対応が平気でできるのでしょう、JRは。3.11の際の駅構内締め出し事件、東京駅記念Suica発売大混乱事件、全て根っこは一緒。過去に問題事象として世間を賑わせた大事件に対しても、何も反省はないから、何ひとつ教訓は生かされないのです。

企業の社会的責任という観点からも、今自社がどう対処すべきなのかということ自体まるで理解していないのです。今回の件はJR東日本の話ですが、先日JR東海で敗訴になった事件でも、企業の立場を踏まえた社会的責任を全く考えていない事象がありました。

認知症の老人が徘徊し線路内に立ち入って事故を起こした件について、遺族の管理責任を追求し電車の遅れ等に関する金銭的な賠償を求めたという裁判です。一審、二審はJR側の勝訴でしたが、最高裁の判決は一転被告側の勝訴。他人事ながら、本当によかったと安堵させられたものです。

私が申し上げたいのは、遺族側の管理責任の有無ではなく、そもそもなぜJRは訴えを起こしたのかという観点です。弱小企業が、本当に賠償をしてもらわなければ会社が立ち行かないと言うのならまだ納得性があるのですが、JR東海ともあろう企業が彼らにとっては「たかだか」と言える数百万円の賠償、一方遺族にとっては親を失った上に一家族にとっては十分多額と言える賠償請求です。なぜ、訴訟を起こす必要があったのかです。

もともと国営の日本を代表する企業が、高齢化社会の問題点、課題点をまさしくあぶりだしかような事件に対して、自社の経営に及ぼす影響が微々たるものであるにもかかわらず、訴訟を起こす、まったく自社の置かれた社会的責任を勘案した立場を理解していない行為としか言いようがありません(株主代表訴訟逃れ狙いとの話も一部にありますが、同社の社会的責任の観点から告訴しない理由説明をすれば十分納得は得られるかと思います)。個人的にはJRが訴えを起こした段階から、企業経営の観点、企業の社会的責任の観点から、強い批判に値する行為と感じていました。

企業の社会的責任とは、一定ラインまでは大企業でも中小企業でも、同様の責任を負う部分がありますが、それ以上の部分では企業の大きさや社会への影響力、公共性の有無などを勘案してより大きな観点から独自の社会的責任を認識し、全うすべきなのです。JRグループ企業は、毎度毎度不祥事や事件が起きるたびに本当に自社の社会的責任の認識がないと思わせられることばかりです。

話を戻して、今回の振替輸送の件です。公共交通機関を運営する企業として、自社に責任のある事故の影響で利用者に不便をかけているのなら、顧客利便性の確保を第一に考え最善の策を尽くし利用者に不便を感じさせない対応をするのが、JRとしての企業の社会的責任全うではないのでしょうか。今回の件であるべき対応を申し上げるなら、一部不通区間のある高崎-東京間を全て振替輸送扱いにし、往路、復路とも同じように不便を感じさせない対応をするべきではないでしょうか。

私の質問に、一点の曇りもない自信満々の顔で「会社で決められたことです」と返す駅員の、典型的官僚組織のひどく病んだ企業文化に毒された姿に同情さえ感じまし た。こんなポーズにしか思えない中途半端な振替輸送ならやらない方がましです。JRは企業の社会的責任を忘れ、顧客の立場、顧客の利便性をないがしろにしていることに、猛省すべきと申し上げます。

旭化成建材の施工物件を知ることより、ザル管理の業界風土を正すことの方が重要と思う件

2015-10-24 | ニュース雑感
横浜市のマンション工事を巡って、関係企業の対応が大問題になっています。

マンションに傾きが出た原因が、下請け業者の基礎杭打ちの甘さにあったことが発覚し、かつこの業者の現場担当が虚偽の報告をしていたということが明るみに出て一気に問題は大きくなりました。しかも、この杭打ちを担当した業者が日本を代表するような大手企業旭化成の子会社であったと言う点が、さらに火に油を注いだように思います。

先日その渦中の業者、旭化成建材が過去10年間に同様の工事を担当した物件の県別件数と住宅、その他の内訳、当該担当者が担当した物件数などを公表し、記者会見しました。大方の評価傾向としては、具体的なマンション名をまでは公表しなかったということで、「中途半端」「かえって不安を煽っただけ」などと、手厳しいものが目立っています。

私自身もマンション所有者のはしくれでありますが、個人的には「知ったところでどうなるの」というのが率直な感想であります。もちろんこれが、マンションが完全に崩壊したとか、横倒しになった、とかいう話であれば穏やかではない感じはあるのですが、現段階ではその可能性は否定できないまでも、現実にはズレ発生とかのレベルです。

もちろん許されることではないですし、住民当事者から「どうしてくれる」「安全な形に修繕しろ」「建て替えろ」という要求が出されるのは、至極当然の流れではあると思います。しかし、現時点で何の問題も生じてなくこれまで何の疑問も持たずに自身のマンションに住んでいる人間が、たまたまニュースで耳にした欠陥マンションの存在を知ったからと言って、自分のマンションの施工が旭化成建材であるか否かを知って何の得があるのかと思うわけです。健康被害にすぐに直結するアスベスト使用の問題等とは状況が違うと思うのです。

少なくとも私個人はそれを知る必要はないと思っています。なぜなら、この問題は旭化成建材特有の問題だとは思っていないからです。ではどこの問題か。建設業界全体の文化の問題であると思うのです。もっとハッキリ申し上げるなら、旭化成建材が施工しているかいないかは大した問題じゃない。どの業者が基礎作業をしていようと、同じようなリスクはあると思うのです。

随分なことを言うじゃないかと思われるかもしれませんが、私は建設業界の業務モラルに関してはほとんど信用していないのです。なぜなら、若い頃の話ですが、某大手ゼネコンに就職した大学時代の先輩が酒の席で、「建設業界のザル管理」について就職してみて本当にビックリしたという具体的な話の数々を聞いているからです。それによって信じられないほどモラルに欠けた業界であると感じさせられて以来、下請け、孫請け丸投げが当たり前で元請けの管理に多くは期待できない、すなわち何があっても驚けないとアタマに刻み込まれて消えないからです。

もちろんその話は30年も前の大昔の話ではあります。もしかすると、多少盛られた話だったのかもしれません。しかし、銀行員としてその後も取引先である建設関連企業の仕事ぶりを見聞きさせていただく中で、「なるほど、あの時先輩が言っていたことはこういうことか」と妙に納得させられる場面にも何度も出くわし、その印象は一層強く刻み込まれてしまってもいるのです。もちろん、私が管理の権化とも言える銀行業界の出身であり、自身が属していた職場の管理の概念とのあまりの違いに驚いたと言うことが最大の要因でもあるのですが。

結論を申し上げれば、今回の件は、ザル管理を問題視してこなかった業界の風土にこそ問題があるように思うのです。すなわち施工業者に関わりなく起こり得る問題であると。銀行界には出来て、建設業界には出来ていない厳正な管理姿勢。その大元の責任は、この風土を長年見過ごしてきた監督官庁の指導にも落ち度があったのではないかと思うのです(銀行が古くから厳正な業務管理をしてこられた最大の理由は、旧大蔵省による厳しい行政指導、管理があったからに他なりません)。

今回の問題は、すべての関係業者の管理の甘さが度重なって起きた複数ザル管理の結果です。杭打ちを担当した旭化成建材、元請けの三井住友建設、発注主である三井不動産レジデンシャル、そのいずれかの管理が現場任せ、他人任せでなく、自らの責任と意思で管理を実行していたのなら、必ず防げた問題であると思うのです。少なくとも、相互けん制、初監をあてにしない複数チェック体制を基本とする銀行界の管理では絶対に起こり得ないことだと断言できます。

大手系企業が集まって行った工事がこの体たらくなのですから、他の事例は推して知るべしであることは間違いありません。監督官庁である国土交通省は国としての管理責任を認識して、業界風土を根本から正すような法的義務付けを伴う管理手法を導入する等、厳正な業者指導を早急に導入するべきであると思います。国交省は厳正管理の指導法が分からないのなら、金融庁に教えを請うてでもこの機会にしっかりとおこなわなくてはいけません。これをやらなければ、同じような事例は今後いくらでも発生しうるでしょうし、今でも既に見えないところで起きていることは確実なのですから。

最後に我々マンション所有者はどうするべきなのか。基本的にどうしても安心したいのならば、どの業者が施工しているかに関係なく、住民組合として施工主に調査の依頼をかけ調査・確認させるべきでしょう。がしかし、それをしたところでもし何か手抜き工事が分かってもどうすることもできないというケースの方が多いのだと思います。今回のようなすべて大手グループで施工をしたような物件を除いては、業者の体力からみて今さらどうにもできないというケースの方が圧倒的に多いでしょうから。だからこそ、知る必要はないのです。

友人の医師に「そろそろ良い歳だし、予防的見地から脳腫瘍の有無を調べてもらうような脳の検診をしようと思うのだが」と相談したところ、「やめたほうがいい」と言われました。その理由は、「仮に小さな脳腫瘍が見つかったとして、外科的手術でそれを取り除くにはリスクが大きすぎる。今生活をしていて慢性的に頭が痛いとかの自覚症状がないのなら、何か悪いものの存在が分かることで平穏な精神状態が乱され、余計な心配でかえって生活や体を壊すリスクの方が大きい」というものです。

マンションの欠陥も同じはないかと。業界的ザル管理が横行しているとするなら、調査により何かが見つかる可能性はかなりあり、ただ今住んでいて不具合を感じていないなら余計な心配事や揉め事を増やすだけで何の得もないのかもしれません。明日突然住んでいるマンションが崩壊したらどうするのだ、と言う方もいるかもしれませんが、その確率は野球で9人連続ホームランが出る確率よりも低いでしょう。大地震が来たら?それは運が悪かったとしか言いようがありません。

建設業界における監理不在と言う伝統的業界風土が改まらない限り、見掛け上健全そうなどのマンションにも同じような確率で悲劇は起こり得るのです。運が悪かったと思うしかない、現時点ではそうとしか言いようがないことだと思うのです。業界の風土改革、それが進まない限りにおいては。

続「佐野氏の対応に学ぶ“他山の石”」~広報対応のまずさは雪印、船場吉兆並みか

2015-08-19 | ニュース雑感
オリンピックエンブレムの模倣問題の渦中にあるデザイナー佐野研二郎氏については、その広報対応的観点からの問題点を前回取り上げさせていただきましたが、その後も氏の事務所を含めた対応のまずさが続々露呈しております。企業の不祥事対応に役立つであろうその後の「他山の石」を拾っておきましょう。
★前回エントリ
http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/6caf9c71735b2a1541a7c216a904a9fb

前回のエントリの後に出てきたのが、サントリーのキャンペーンエコバックのデザイン盗用疑惑。この問題が発覚した時の「広報」担当である佐野夫人の対応がひどかった。
「確かにトートバッグのデザインを監修したのは佐野です。しかし、細かい実務を担っていたのは何人かの"部下"です。その部下たちの話を聞いた上でないと、返答はできません。今は事務所が夏季休暇に入っているので、調査にもう少し時間がかかります。そもそも、ゼロベースからデザインを作り出すことは一般的ではありません。あくまで一般論ですが、どこかで見たデザインから無意識に着想を得ることは、珍しいことではありません」

まず第一に、不祥事発生時の広報対応として「事務所が夏季休暇に入っている」はあり得ない回答です。事務所が休みであろうとなかろうと、盗用疑惑の当事者としては速やかに調査して回答するのが広報対応の基本ルールです。時間的引き延ばしをすればするほど、メディアの「書き得」状況を作りだすだけであり、何の得にもなりません。

さらに、「デザインを監修したのは佐野です。しかし、細かい実務を担っていたのは何人かの"部下"です」の発言。事実関係が分からないと言っている前に他人のせいです。これは、メディアおよび報道を目にした一般人の心証をも著しく損ねる発言です。不祥事会見で、「この不祥事をどう考えているのだ」と突っ込まれた社長が、「私のせいじゃありません、悪いのはミスした担当者です」と言っているようなもの。先生に怒られた子供が、友達のせいになすりつけて責任逃れしているのとなんら変わらないでしょう。

それと、「ゼロベースからデザインを作り出すことは一般的ではありません。あくまで一般論ですが、どこかで見たデザインから無意識に着想を得ることは、珍しいことではありません」の部分。事実確認事項を何も提示することのない段階で、話し手のしかも当時者本人でない人間からの言い逃れとも取れる主観的な物言いは、取材側の心証を損ねる以外の何ものもないということも抑えておく必要があると思います。

この後、佐野氏側はトートバックの疑惑デザイン8種を取り下げ、HPに謝罪と説明のコメントを掲載しました。
内容は一応謝罪こそしてないるもののあくまで監修者責任としてのそれにとどまり、「広報担当」のコメントをなぞるようなもので「部下のせい」がありありでした。「このトートバックは部下に任せたからこんなことになったけど、オリンピックエンブレムは佐野個人が手掛けているので問題ない」という物言いに受け取れ、完全に責任転嫁を自己の正当性説明に利用すると言う、まさに「部下を売る」かのような論理展開。火に油以外の何ものでもないわけです。
http://www.mr-design.jp/

現実に、このコメント公表以降メディア、ウェブでの佐野攻撃は一層激しさを増しました。広報が口頭で対応したそれに対するメディアの反応をなぜコメントを出す段階で活かせなかったのか、全く未熟な広報対応であると言わざるを得ないと思います。それと、疑惑を認めて一部デザインを下げたと言う状況下において、なぜ本人が直接会見しないのかです。ここで会見をしないでいつするのか、です。さらなる「書き得」状況になるのは明らかなのですから。全く広報対応が見えていないとしか言いようがありません。

さらにさらに昨日、京都の講演会に現れた佐野氏。本人はマスコミを完全無視。写真撮影も拒否した上で、またもや広報担当(報道によればこれも佐野夫人)が、「(東京五輪公式)エンブレムは辞退するべきでは?」との質問に対して、「1個ミスしたらすべてダメになるんですか? エンブレムの制作過程に何か問題があるのですか?」とまくし立てたという、“逆ギレ”までしてしまったという最悪の対応をしています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150818-00000119-sph-soci

会見をしないから追い掛けられるわけで、追い掛けられたくないのなら一刻も早く会見を開いてあらゆる疑問に正面から答える以外にないのです。写真撮影拒否に“逆ギレ”というのは、何が最悪かと言えば直接取材をしたメディア担当者だけでなくその先にいる読者の敵対心を煽る行為であり、取材対応への“逆ギレ”が国民感情を逆なでし最終的に破たんへの道を歩ませた例は雪印事件をはじめ数多くの実例が存在するからです。“逆ギレ”だけは絶対にやってはいけない、広報対応であると強く申し上げおきたいと思います(メディアは往々にして“逆ギレ”を誘発するような質問をしますが、絶対に乗ってはいけません)。

メディア無視、部下への責任転嫁、逆ギレ‥一連の佐野氏関連の広報対応は稀に見るまずさであり、現状の佐野ご夫妻の対応は先に挙げた雪印乳業社長や船場吉兆おかみ等と並ぶ、最悪不祥事広報対応の殿堂入り相当の「他山の石」であると思う次第であります。もうここまで来てしまうと挽回は不可能でしょう。企業の広報担当の皆さま、不祥事広報の悪い例としてしっかりと勉強材料にしていただきたいと思います。

住みたい街ランキング、武蔵小杉5位のカラクリを考える

2015-03-09 | ニュース雑感
リクルート社調べによる「住みたい街ランキング」が今年も発表になりました。吉祥寺が5年連続1位。武蔵小杉が9位から5位に急上昇という話には、古くから神奈川を良く知る人が多い私の周囲では「なぜ?」と話題になっております。
http://www.asahi.com/articles/ASH334WC5H33ULFA01B.html

この違和感あるランキングがなぜ生成されるか、この機会に人気ランキングというもののメカニズムについてちょっと考えてみます。そもそも「住みたい街」ってどういう基準で選ばれるのでしょうか。便利とか、イメージがいいとか、物件価格が手ごろとか、いろいろ要素はあるのだと思うのです。

結果を見るになんとなくですが、
★「住みたい」要素+「手の届く感」的要素=ランキングにおける住みたい街指数
なのかな、などと思ったりしています。

なぜなら、イメージがいい街でも高級住宅地すぎる街は上位に入ってこない、ということにヒントがありそうです。代表例は田園調布や白金、成城。確かに住みたい人の数はランキング上位の街ほどには多くはないのでしょうが、仮にもっと地価や賃料が安ければ住みたい人はいるのに、「物件価格が手頃」項目で大きくマイナスに転じているようには思います。これが上記計算式にある「手が届く感」要素ですね。

武蔵小杉が5位というのは、住んでいる方には失礼ですが、昔を知る私の周囲は「あり得ない」の大合唱です(笑)。でも5位に急上昇。急速に進んだ再開発の恩恵で、高層ビルが続々建設され、ショッピングモールなんかも次々できて、便利で住みやすいイメージが確立されました。だからといって、同じ沿線で自由が丘あたりと比べても人気上位に来ているのは、やはり不思議です。これも「物件価格が手頃」で豊富にありそうという「手に届く感」が大きく影響しているのではないかと思えます。

そもそもこの調査で5年連続1位の吉祥寺も同じことが言えるかもしれません。吉祥寺は決して都心部(山手線内)から考えたらさほど「便利」じゃないですよね。「おしゃれ」かといえば、もちろんそこそこおしゃれではあるけれど、1位になるほど洗練されてるのかといえば「?」でしょう。武蔵野市ですしね(笑)。

この2点で考えたら2位の恵比寿の方が断然「住みたい」と思わせているのじゃないかと思うわけです。でも、物件の手ごろさ、物件の豊富さあたりから感じられる「手が届く感=実際に住めそうか否か」からすると、吉祥寺は恵比寿を逆転するのでしょう。恵比寿は「手が届く感」ではちょっと敷居が高くて、最終的に吉祥寺ほどには「住みたい」とは思わせないのかななどと思うのでした。

大学生の就職人気企業ランキングも同様のことが言えます。必ずしも上位企業が、単純に学生たちが「あの会社いいなぁ」と憧れる企業だとは言い切れないでしょう。判断基準に加わる要素として、この場合は「手が届く感=自分が入れる可能性」という項目が重要な役割を果たしていると思うのです。

テレビ局はじめマスコミ各社は、給与も高く、華やかで、いわゆる花形業界であると言っていいと思いますが、人気ランキングでは決して上位には入ってきません。採用人数が少なく、コネがないと難しいと言われている等々の状況があって、「自分が入れる可能性」は著しく低くなるわけで、単純に「いいなぁ」の数だけで順位が決まるわけではなく、「入りやすさ」も同時に評価基準となりながらの順位になっていると思われます。

一方、AKB48の「総選挙」のような人気投票は、全く性格が異なると思います。こちらの場合は、単純に「あの娘が好き」レベルの憧れ指数オンリーで人気順位が決まるのではないのかと。そもそもが、いくら「会いに行けるアイドル」であったとしても、「握手できるアイドル」であったとしても「手の届く感」は果てしなく遠いわけで、誰に投票しようともそれはほとんどゼロ。そういう基準が選択時に入り込む余地がないと言えます。すなわち、住みたいまちランキングや、就職人気企業ランキングとはそこが違うのです。

その意味においては、AKB総選挙の方が純粋な人気の有無が投票によって明確になるのです。これぞ正真正銘の人気ランキングでしょう。ですから、こうやって比較してみると良く分かるのですが、住みたいまちランキングや、就職人気企業ランキングは「手に届く感」が投票の重要な要素に加わっているという意味から、純粋な人気ランキングではない、どちらかと言えば「手ごろ感ランキング」ではないか、ということになると思います。

以上、「だからどうした?」という話ではありますし、「熊谷在住のお前が何を言うか」とも言われそうです。今回のエントリーは、武蔵小杉がなぜ「住みたいまちランキング」の上位に入っているのかという疑問から始まったわけですが、そこらから分かることとして、一言に人気ランキングと言ってもその中身や実態は必ずしも同じものではない、ということは知っておいて損はないといういうことで、ご了承いただければ幸いです。

イスラム国の許せざる不幸な事件と政府へのお願い

2015-02-04 | ニュース雑感
イスラム国による人質拉致監禁の一件、最悪の結末が日曜日の日本列島を駆け巡りました。イスラム国の卑劣な行動に対しては怒り以外の何ものもなく、日本人拉致被害者の無事解放を祈っていた立場からは、無念の一言しかありません。

済んでしまったことはもうどうにもならないことではありますが、重要なことは今回の一件を人質救出策として見た場合には、2人の人質いずれの命も救うことができなかったということ。その意味においては確実に「失敗」であったと言っていいと思います。国がひとつの組織としてこの「失敗」経験をいかに次に活かすのか。私の職業的な観点からは、十分な検証とそれに基づく「同じ失敗を繰り返さない」という再発防止策検討が不可欠であろうと思います。

政府の対応をいたずらに責める気は毛頭ありませんが、湯川さん拉致以降一連の流れの中で国の対応に関する検証ポイントはいくつか存在すると思います。それぞれのポイントについて、実際に取った策への評価、他に考えうる取るべき策となぜそれを取らなかったのか、同様の事例が発生した場合に最終的に同じ結果にならないための検討課題等々の観点から、第三者機関を含め検証する必要があるのではないかと思っています。

私の立場からも検証ポイントはいつくか浮かんできます。まずは最重要の根本的な検証ポイントは2点(被害者に落ち度があるか否か、または落ち度の負度合いで分けたケースワークも必要)。
1.人命、外交の優先順位およびバランスに関する考え方。
2.1を踏まえた上での、対テロ集団脅迫対応の基本姿勢。
以下は上記1、2を踏まえた上での今回の検証。
3.湯川さん、後藤さん、それぞれが行方不明になった段階での国としての対応。
4.イスラム国側から水面下での身代金要求があった段階での国としての対応。
5.人質拉致状況下における、政府要人の外遊および外交コメント(特に首相)。
6.イスラム国からの公式メッセージ公表後の国としての対応。

外交の専門の立場からはさらに詳細なポイントが多数挙げられるのでしょうが、個人的には何をおいても根本的な検証ポイントである1および2が最重要であると考えます。今回の一連の事件における流れと結末を受け、またイスラム国からの日本および日本国民に対する脅迫メッセージが発せられたという状況下において、今日本国民最大の不安点はイスラム国の蛮行に対する脅威であり、自己もしくは自己の家族がその被害者として巻き込まれることへの恐怖であると思います。

それはすなわち、自分がたとえ国内にいても潜入したイスラム国兵士を自任する者により同じように拉致監禁をされないとは言い切れない状況でもあり、自身に落ち度があるか否かのよっても上記1、2の対応は異なるのかもしれませんが、仮に落ち度がなかった場合においても、今回の政府の対応を見るに被害者が見捨てられるのかもしれないという不安が募る現実は否定しきれないのではないかと思っています。

「テロは決して許さない」「断固として戦う」というメッセージだけではぬぐいきれない国民の動揺と不安に対して、政府は国民を守るという姿勢をより具体的な言葉で示して欲しい。今回の不幸な出来事に対する検証を通じて、国としてのあるべきリーダシップの観点から今は国民に対して何より安心感を与えるメッセージが欲しいと切に願うところであります。

弱小青学大を箱根優勝に導いた「伝説の営業マン」原晋監督の「営業力」とは

2015-01-07 | ニュース雑感
皆さま大変遅くなりましたが、改めまして新年あけましておめでとうございます。新しい年の話題として、新春恒例の箱根駅伝で青山学院大学が初優勝し、そのチームを率いた原晋監督が話題の人になっています。「元伝説の営業マン、箱根を征す」。営業は一応我がフィールドなので、営業スキルと青学大箱根制覇の関係を少し取り上げておきたいと思います。

原晋監督に関しましては、ネットニュースで知り得る以上の情報を持ち合わせておりませんので、具体的に原氏のどのようなキャリアや営業スキルがチーム指導の役に立ったのかは存じ上げません。恐らくは、間もなく(既に?)著作の執筆依頼等が殺到するでありましょうから、そのあたりは近い将来ご本人の筆により語られることになるのではないかと思います。

では私が一体何を申し上げるのかですが、一応営業コンサルティングや営業セミナー等をやらせていただいている立場から、想像に難くない、いや恐らく確実に的を射ているであろう青学大チームを箱根制覇に導いた原監督最強の営業スキルのお話をしてみようと思います。

原監督が最大限に活用されたであろう最強営業スキルとは、ずばりコミュニケーション力です。なぜなら、営業力とはイコール、コミュニケーション力であるからです。原監督が中国電力の法人営業担当時代に「伝説の営業マン」として君臨できた理由は、間違いなく氏がコミュニケーション力に長けていたからに他ならないのであり、その人並み外れたコミュニケーション力をもってして、かつての弱小青学大駅伝チームを優勝チームにまで押し上げることができたのだと断言してよいと思っております。

ここで勘違いして欲しくないのは、「コミュニケーション力=話す力」ではないということ。むしろ「聞く力」を「話す力」と同様、あるいはそれ以上に持ち合わせていることが、これまで私が現場で見てきた数多くの優秀な営業マンの共通項でもあるのです。

原監督は青学大監督に就任して何をしたか。新聞報道によれば、まず目を引いたのは「持ち前の営業力を活かした優秀な高校生のスカウト」です。これは、言い換えるなら熱意です。熱意は営業力の中でも非常に大きな比重を占めるものです。熱意ある折衝が営業力を高め、それを続けることが確実に成果を積み上げることになるでしょう。そしてその熱意をより強く伝えるものがコミュニケーション力なのです。伝えること、聞くことで、相手の懐深くに入り込みそのハートをつかんで離さない、そんな折衝か目に浮かんできます。

次に目を引いた新聞報道は、「トレーニングにおける営業実績管理手法の導入」です。すなわち、親身の実績管理です。これこそコミュニケーション力が大きく問われる部分。個々人に明確な目標を掲げさせ、その進捗を月次でしっかりと管理する。やるだけなら事務的な流れさえ作れば可能なのですが、それを個々の選手の成長と言う形で有効たらしめるのは、選手一人ひとりとの個別コミュニケーションに他なりません。そこで発揮されるものが、的確な指導と同時に「聞く力」なのです。優秀な管理者は担当者との個別ミーティングで、とにかく聞いて、聞いて、聞くのです。うまくいっている秘訣を、うまくいっていない悩みを、何をしまた何を迷っているのか。目標を掲げたトレーニングが確実に選手の成長につながった背景には、成長を選手任せにしない綿密なコミュニケーションが存在したことは間違いありません。

さらに新聞報道には、「原監督は夫婦で選手寮に住み込み、日々自身の夢を語りつつ選手たちとの対話を通じて皆を勇気づけてきた」とあります。リーダーがビジョンを明確化し可能な限り繰り返し繰り返し刷り込むことは、目標の共有によるチーム意識とゴール到達意欲の醸成につながる重要な作業です。この作業を後押しするものが内向きの営業力であり、言いかえればこれまたコミュニケーション力のなせる技に他ならないのです。

余談になりますが、今年の箱根駅伝の最終区間で8位から19位へと大きく後退した中央大学の選手がいました。本当に気の毒なことでしたが、彼は「ウォーミングアップの段階で足に激痛が走ったが、監督に言い出せなかった」というコメントを残しています。彼が言い出せなかった理由は何なのか、監督に怒られることが怖かったのか、それともせっかくランナーに選ばれたそのポジションを手放したくなかったのか。前者なら監督との距離感、後者ならチーム意識の欠如を感じます。いずれにしても、監督を中心としたチーム・コミュニケーションがもっと密であったなら、確実に避けられた事態であったと思われ、コミュニケーション力をもって優勝に導いた原監督とは好対照な出来事であったと感じた次第です。

繰り返しますが、営業力はイコール、コミュニケーション力であり、またそれはあらゆるビジネスシーン、あらゆる人間関係に有効であるという「営業万能論」が私の持論でもあります。「伝説の営業マン」原監督へのスポットで幕を開けた2015年。今年は営業力が注目テーマとなる年になるのかもしれないとも思え、個人的に楽しみな年明けとなりました。

安倍首相は、投票率が史上最低を更新したら速やかに退陣すべきと思う件

2014-11-20 | ニュース雑感
今日は一有権者として書かせていただきます。安倍首相が衆院の解散を宣言しました。消費税の再増税を1年半延期して景気条項は削除する、解散はアベノミクスの是非を国民に問いたい、与党で衆院の過半数確保が勝敗ラインである、負けた場合は首相を辞任すると。

随分と自分勝手な論理で勝手な判断を並べたものだと思いました。何があるかも分からない経済状況を無視して2年半先の景気を勘案しないとは全くのナンセンスですし、さらにアベノミクスの是非を問い与党で衆院の過半数確保が勝敗ラインであるって、アベノミクスを基準にして野党と勝負すると言っているわけで、なんともしっくりこないわけです。

アベノミクスの是非を問うと言われてその勝敗を与野党の獲得議席数で勝敗を決めるとなれば、アベノミクスに反対と思う人は野党に投票しないといけなくなるじゃないですか。しかし、理論的にも政策的にも与党にまともに対抗できる野党が現在存在していないのですから、野党に入れたくても入れようがないということになるわけです。

言ってみれば、グーとチョキしか出せない相手とジャンケン勝負をするようなものですから、普通に戦えばまず負けない戦であるわけで。インチキじゃんけんで勝ったからと言って、それをもって信任されましたっていうのは論理的に筋が通らない話なのではないかと思うのです。

国民が現時点で今回の解散総選挙に求めている勝敗基準は、アベノミクスの是非ではないハズです。むしろ、現政権の私利、党利優先の政権擁護の観点から、あまりに唐突なタイミングで解散総選挙をおこなう総理大臣に対し、特定秘密保護法案や集団的自衛権の法解釈等々これまでの幾多の勝手運営を象徴するこの解散総選挙が本当に必要なのかという基準で、信任の有無を判断して欲しいと求めているのではないかと思うのです。

だとすれば、信任の有無は与野党の議席数ではかるべきモノではないでしょう。はかるべきものは、安倍首相のやり方にどれだけ国民がシラケているかいないか、その観点で考えるなら投票率こそが安倍総理の一連の勝手行動の信任を諮る最大の基準となるのではないかと思うのです。安倍首相の勝手には腹をすえかねているものの、そうかと言って一票を投じるに値する野党もない。しからば今回は棄権する以外にないか、そんなことを思うシラケた気分の有権者も多いのではないでしょうか。

ちなみに前回2年前の総選挙は、与野党の争点不明確が原因と言われ戦後最低の投票率59.32%を記録しました。今回さらにこれを下回るなら今回が史上最低。昭和の時代には、衆院選の投票率が65%を下回ったことは一度もなかったのです。今の国民のシラケ具合から見るに、私は55%を切るのではないか、いや下手をすると5割を割り込むのではないかという危機感すら覚えています。
★衆院議院選挙投票率推移
http://www.city.kyoto.jp/senkyo/shitteru_senkyo/img/img-01_01.gif

そのぐらい今の安倍政権の勝手ぶりにはシラケムードが漂っているとは思うのです。これは政権を担う総理の責任において大問題です。国政の代議士を選ぶ選挙で投票率が約5割。半数近くの国民が棄権するというのはハッキリ言って異常事態なのですから。そんな選挙を2回も続けていい筈がありません。任期満了で時期を選べない選挙であるならいざ知らず、突然私利私欲の観点から勝手な選挙をおこなうことで、国民の政治に対する関心を一層失わせてしまっているのなら、それこそ政権の責任は重大であると思うのです。

今回の選挙で投票率が史上最低を更新するなら、安倍総理にこそその責任のすべてはあるのです。過去の選挙史において2回続けて投票率が60%を下回ったことは今だかつてありません。私は投票率が今回も60%を割り込んだなら、いや史上最低投票率を更新したならば安倍総理は速やかに国民の政治的関心をシラケさせた責任をとって辞任すべきであると思います。

国民の参政権に関する権利放棄者の数で、政権の良否を判断するのはどうなのかという意見もあるでしょう。しかし、総選挙の投票率が2回続けて史上最低を更新すると言うのは、明らかに現政権の運営に問題ありなのです。突然の解散を国民がどう受け止めているのか、その答えがシラケを証明するものであるなら、特定秘密保護法案や集団的自衛権の憲法解釈をはじめとする総理の民意を無視した勝手政権運営、そして今回の一方的衆院解散を命じ時間とコストの無駄を生じさせたことへのノーの意思表示であると受け止め、速やかに責任を取るべきであると思うのです。

私は、今回総理の選挙公約に最低投票率判断の項目を加えることを、またメディアもその論点で選挙結果を評することを、一有権者として強く望みます。

大義なき解散に感じる組織論的「危険な私物化」

2014-11-13 | ニュース雑感
組織運営において目的と手段に整合性が取れていないなら、手段が間違っているか、あるいは目的がウソのものであるか、でしかないでしょう。

衆議院の解散が突如真実味を帯びて報じられるようになり、あれよあれよと言う間に、既成事実であるかのように世間に喧伝され、12月2日公示、14日投票だなんだという話がごくごく普通の流れであるかのような錯覚に全国民が陥れられようとしています。消費税の再増税が1年半延期されることになりそうだと、それがなぜ衆院解散→総選挙にならなくてはいけないのか。私には理解不能です。

落ち着いて考えましょう。消費税の再増税の目的は何だったのか。財政再建ですよね。それが延期されたとしても、あくまで延期。取りやめならば国民の信を問うと言う流れで納得です。しかし延期は、財政再建という目的が破棄されたことにはならないはずです。目的が不変である中で、なぜ国民の信を問う必要があるのか。目的達成のための手段として衆議院解散はどうみても不必要と思いのです。ちなみに、衆院選を実施すれば800億円からの財政支出になります。

消費税再増税延期決定に際して財政再建を掲げた政権の国民の信を問うことを大義としている現政権ですが、世論にそのような声がないとするなら、現時点を切り出した場合それは単なる国費の無駄遣いです。無駄遣いは言うまでもなく、政再建という目的から最も遠い行動であるということになるのです。

組織は時として、大きな目的の下でおこなわれる行動でありながら、おかしな手段をとることがあります。目的に向けた当初の計画変更という大義の下に、本来の目的からすればそぐわない手段がとられることがあるのです。組織の私物化はそういった目的と手段の不整合という事実から発覚するものであり、目的と手段の不整合が感じられたならば即座にそれを阻止することが、組織運営の私物化に対する自浄作用となるのです。

今回の解散騒動に至る道筋を見るに、再増税の先送りしながらも財政再建姿勢の堅持することが必要、と目的解釈するならば、衆院解散総選挙はこの目的とはなんら整合性が感じられないではないですか。すわわち、衆院解散総選挙は目的遂行のためと見せかけた私物化に他ならない訳なのです。言いかえれば私的目的遂行へのすり替えを、今まさにしようとしている、ということで間違いないのではないでしょうか。

具体的な私的目的は何なのでしょうか。増税先送りで、先送り反対勢力に対する言い訳づくり、その最たるものは財務省と自民党内の反対勢力でしょうか。だとしたら、そんな首相あるいは現政権の私的利益のために、800億円もの税金を使って選挙をするのは大変おかしな事なのではないかと思うわけなのです。

組織運営おいて、周囲が実権者による組織私物化に気がついたら、組織内部の者がそれを指摘し私物化を未然に防ぐ等の力が働いてはじめて、組織に自浄作用があると確認できるのです。今回はどうか。最も身近な立場で自浄役を務めるべきは、政権与党連合内にいる公明党です。公明党の山口代表は自民党の私物化の動きを見るや、「党内に総選挙に向けた体制整備を指示した」と全くの自浄作用ゼロ。自民党と一緒になって私物化を推進し、財政再建よりも少しでも長く政権与党内にいたい、自己の利益追求をしているかの如くです。ハッキリ言って論外です。

ならば同じ国会内で自浄作用を働かせるべき野党はどうか。代表は筆頭野党である民主党の海江田代表。「総選挙をするなら、正面から受けて立つ」と。こちらは、ハッキリ言ってアホかと。野党が「ここで衆院解散総選挙?財政再建策の進展が中断するのこの段階で、無駄金を使った私利目的の選挙は不要」と、本来なら与党の私物化を批判し解散総選挙を阻止するべき立場からモノを言うべきところが、私物化容認ですから。呆れる以外にありません。他の野党もみな推して知るべし。基本は自民圧勝の前回から、若干でも議席が回復できるならと、解散歓迎ムードすら感じられ我々国民には違和感アリアリなのです。

政治の事は専門外ですし、詳しいことはよく分かりません。ただ、組織運営における目的と手段の不整合から察知される権力者の私物化の流れで考えるなら、今回の唐突すぎる解散総選挙騒ぎには、明らかな違和感とよからぬ私物化の臭いがプンプンと漂っていると感じるわけなのです。国民の意を無視した法案を次々と通していく現政権が、遂に選挙まで私物化の手段に利用する様には、この国の行く末にかつてないほど危険な香りを感じずにはいられません。

「横浜BK-東日本BK経営統合」報道に感じる護送船団文化の幻影

2014-11-06 | ニュース雑感
地銀トップの横浜銀行と関東圏を地盤とする第二地銀東日本銀行の、持ち株会社方式による経営統合が日経新聞のスクープで報じられました。一応古巣がらみの話なので、この報道の読み方についての個人的な見解を書いておきます。

まずこの報道を聞いて、金融界を多少なりとも知る人は若干の違和感を覚えたのではないでしょうか。まず、当事者両行の統合メリットがイマイチ見えない点。それと、現時点では正式発表ではないこの報道を受けての両行の対応が妙に落ち着きはらっていること。

「発表はしていないけど、事実ですよ」と言っているのですが、まるで写真誌に熱愛場面を撮られたアイドルが「仲の良いお友達の一人です」と交際を否定するのではなく、「お付き合いさせていただいております。ファンに皆様には温かく見守っていただければと思います」と交際を認めた、みたいな感じです。
横浜銀行
http://www.boy.co.jp/news/oshirase/__icsFiles/afieldfile/2014/11/04/141104.pdf
東日本銀行
http://www.higashi-nipponbank.co.jp/pdf/news_release/20141104_release_02.pdf

M&Aがらみのリークと言うのは、たいてい誰かにリークメリットがあるからされるものです。しかも、M&Aというのは通常超トップシークレットでことが進められ、トップとその周辺のごく少数のみで動くケースがほとんど。それがリークされるというのは、当事者に事前公表メリットがあるか統合話を小耳にはさんだ統合反対派関係者の統合つぶし目的であります。

特に後者は伝統のある企業に多く、リーク報道を受けてOBなんかが騒ごうものなら、事態の収拾はほとんど不可能になるのです。最近の例では、キリンとサントリーの経営統合に関するフライイング報道が思い出されます。スクープが出るや否や途端にガタガタ大騒ぎになって、結局ほどなく統合話は白紙になってしまったのは記憶に新しいところです。

では今回の情報リークの目的は何か。このリークは誰がしたのか、言いかえれば誰にメリットがあるのか、が気になるところです。両行の対応の落ち着きぶりと、正式発表もないまま判を押したような対応の同一性を見るに、リークそのものが当事者にメリットがある状況ではなく、反対派が存在するような状況でもなさそう。となると、メリットのある第三者のリークである可能性が大と言うことになります。

金融庁ですね。金融庁は景気が浮揚を続けている間に、地方人口の減少で経営が苦しくなるであろう地銀の再編を急ぎたいわけで、横浜、東日本の統合は願ってもない打ち上げ花火になるわけです。実は10月1日に、関東圏では東京都民銀行と八千代銀行が系絵統合し東京YTフィナンシャルグループを設立したのですが、この原稿を読んでいる大半の人がその事実すら知らないという線香花火程度のニュースに終わってしまっています。ならば、都民、八千代統合のほとぼりが冷めないこのタイミングで、なんとか地銀統合の流れを世間にそして関係者に強く印象付けしたい、そういう当局の思惑が容易に見て取れるのです。

地銀トップの横浜が、救済目的ではなく近隣地銀との統合に動いたとなれば、金融庁の全国各地の地銀に対する統合に向けた暗黙の圧力は強くなりますし、当局から必要以上ににらまれたくない地銀経営者としては、単独生き残りにこだわりすぎて後々貧乏クジを引くことになりたくない、という思惑を働かすことにもつながり、一気に地銀再編に突き進むという青写真が描けても来るわけなのです。

すなわち、今回の横浜、東日本の統合話自体の仕掛人そのものが金融庁なのではないかということになるわけです。新聞報道にあるように、横浜銀行の寺沢頭取、東日本銀行の石井頭取、共に金融庁の前身である旧大蔵省OBです。以前なら、横浜銀行の頭取は事務次官経験者がその席についていたのですが、寺沢頭取は石井頭取と同じく局長職で官職を終えた身。自身の出身母体である当局の現トップから命が下れば従わざるを得ないのが官僚の世界の掟でもあるわで、当局が自己の手駒として動かしやすい横浜と東日本のトップに命を下して、地銀再編ののろし役を申しつけたと考えるのが正答なのではないでしょうか(なぜ、横浜銀行の現頭取が五代続いた事務次官経験者から格下げになったのかという疑問も、今回の件で解けた気分です)。

経営内容が悪いわけでもないのに、地銀トップ行がいつまでも当局からトップをいただいているのは不思議なことだと若い頃は思ったものですが、当局OBがトップを務めているという事実は同時に金融行政の一翼を陰の部分で担ってもいることでもあるのです。90年代後半の金融危機以降、金融行政は管理の時代から各銀行自己責任の時代に移ったと言われているのですが、結局護送船団方式の時代から脈脈と続く当局の管理文化は何も変わっていないと痛感させられるわけで、個人的には地銀再編とは別の意味でニュースバリューのある報道でありました。

女性の登用は、まず官庁が率先垂範すべきと思う件

2014-11-04 | ニュース雑感
女性登用に関する数値目標の設定・公表を民間企業と国や地方自治体に義務づける女性活躍推進法案が31日、衆院本会議で審議入りしました。

政府はこの法案を、アベノミクス成長戦略の看板政策である「女性の活躍推進」を具体化する重要法案と位置づけており、2020年までに指導的地位に占める女性の割合を30%に引きあげる事を盛り込んでもいます。これを具体的におしすすめるため、この法案をその起爆剤としたい考えのようなのですが、個人的にはどうも民間への押し付け的印象が強く、現実味を感じにくいとでも言うのでしょうか。どことなく空虚な感じがしているのです。

私が思うに、国が法案を推し進めながらも国自体の意気込みが感じられないと言う印象が、空虚さを演出しているのではないのかと思うわけです。何といっても、民間以上に女性の登用が進んでいないのが国家公務員だったりするわけでして。国家公務員の管理職(課長職以上)に占める女性の割合は、平成25年度データで実に3%でしかないのです。
http://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h26/zentai/html/zuhyo/zuhyo01-01-06.html

省庁別のデータは、平成24年度分が最新のようですが、財務省1.7%、経産省1.6%、国交省に至ってはなんと1.0%。主要官庁ほど登用率が低いと言う結果になっているように思えてならないところです。総職員数に占める女性職員は17.5%もいるわけですから、もう少し何とかならないのかという気分にならざるを得ない数字ではあります。

スイスの研究機関「世界経済フォーラム」が28日に発表した「国際男女格差レポート2014」においても、日本は142カ国中104位と低水準で、主要7カ国中では最下位という体たらくであるわけです。欧米に比べて女性登用が遅れている大きな原因と思しきが、我が国の官僚組織に古くから厳然と根付いている「男尊女卑」の風潮こそにあり、それが民間にも悪影響を及ぼしていると考えるのはあながち間違いではないでしょう。

“お上”が率先して女性の登用をしてこなかったからこそ、主要民間企業もまた“上へならえ”となってしまったわけでして、ここで国を挙げて女性登用に大きく舵を切るのならば、民間と国が同時並行ではなくまずは国が率先して登用率をあげ民間をリードして行く必要があるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。民間に根拠のない目標数字を掲げさせたところで、数字合わせに終始するのは目に見えるようじゃないですか。

とりあえず20年に30%という根拠レスな目標を掲げる前に、3年後を一区切りとして省庁全体で女性活躍プロジェクトを大々的に展開し、結果女性の採用が何%までに上昇し女性の管理職が何%になるのか、まずは手本を示してもらいましょうというのがいいように思っています。

官僚の皆さんはアタマの良い方々ですから、政治が本気となれば数字合わせをしてもお話にならないので、どうしたら女性登用が進むのか彼らも本気で考えて行動をとるのではないでしょうか。そうなれば、結果として官僚組織に根強く残る男尊女卑の考え方が少しでも和らぐのではないかと。で、その実績を持って民間に対して「官庁の女性登用率を手本にしましょう」と迫るなら、官民共に本気モードでの取り組みができるのではないかと思うのです。

政府が長期戦略の目玉としているものに対して、官の率先垂範がなければ民間も本気で取り組むことは期待薄です。結局数合わせに終始して本当の意味での女性登用は進まないのではないかと懸念するわけです。政府が本気取り組む気があるのなら、まずは国自らがその姿勢において範を示す、女性活躍戦略の成否はそこにかかっているのではないかと切に思う次第です。