軌道エレベーター派

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軌道エレベーターが登場するお話 番外編 (2) イリヤッド -入矢堂見聞録-

2010-08-23 00:40:14 | 軌道エレベーターが登場するお話

イリヤッド -入矢堂見聞録-
原作:東周斎雅楽 作画:魚戸おさむ
(小学館 2002年)


 番外編最後の1作です。本作は考古学がテーマで、軌道エレベーターまったく登場しません、ごめんなさい。イメージ的にちょっとだけ近いというものが出てくるので、それにこじつけて語ろうという魂胆です。

あらすじ 考古学界を追放され、生き甲斐を失って古道具屋を営んでいた入矢修造は、かつての自分の支持者から、プラトンの書に記されたアトランティス文明の探索を依頼される。しかしアトランティスの手がかりを探ろうとする者が、その秘密を隠蔽しようとする組織に次々と抹殺されていく。やがて入矢も命を狙われるが、危険をくぐりぬけながら謎に近づいていく。

1. 本作に登場する軌道エレベーター(もどき)
 本作は、古代文明の謎をサスペンス仕立てで解き明かしていく物語ですが、「柱」が一つのキーワードになっていて、14巻の「夢を見たフクロウ」というエピソードでは、天の果てまで届く柱が登場します。天上にいる神から夢を授かろうと、フクロウが柱に沿って昇っていきますが、いくら昇っても届かず、やがて神に会うことを諦めて命を落とすという寓話が紹介されます。これは作者の創作で、このような昔話とか伝承はないらしいですが、物語の大事なエピソードです。
 今回はこの柱に無理矢理こじつけたわけですが、少々真面目に言うと、古代の神話や昔話、伝承などには、天へ届く柱や樹、糸などが非常に多い。聖書のバベルの塔やヤコブの階段は言うまでもなく、北欧神話のユグドラシル、南米のアウタナ、童話の「ジャックと豆の木」、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」などなど。。。人は天へ向かわずにはいられない、という本能的な衝動を持っているように思えてなりません。
 ひとつには、すべての人を見下ろせる高い場所へ行けるということが、権力欲と直結したエゴイズムでもあるのでしょう。いまひとつは、神との邂逅を図ろうとする行為であり、土着の宗教観が色濃く反映されているわけですが、共通しているのは未知への好奇心(「蜘蛛の糸」は地獄から逃げ出したいけだけどね)ですよね。知る喜びというのは、人にとって精神を賦活させる不可欠のエッセンスなのでしょう。

2. 物語とアトランティスの謎について
 本作では、入矢が様々な遺跡や文献を調べたり、研究者から話を聞いたりしてアトランティスの場所を突き止めようとしますが、「山の老人」という古代から存在する秘密結社が邪魔をし、入矢や仲間の命を狙います。「山の老人」は、アトランティス文明について知ることが、あらゆる宗教に根差した根源的なタブーに触れてしまい、私たち人類のよって立つ礎のようなものが崩れてしまうと考えているようです。
 アトランティスがどこにあったのか? 「山の老人」はなぜそれを秘密にしようとするのか? といったお話は、読者を引き込む重要な謎であり、秘密結社が暗躍するあたり、明らかに「ダ・ヴィンチ・コード」の影響を受けていますね。しかし、アーサー王の伝説やマルコ・ポーロの旅行記、秦の始皇帝、果ては日本の昔話など、実に沢山の歴史や伝承を織り込んでいて(中には強引だったり、完全な創作もあるし、んなアホな、という強引な展開もあるんですが)、これらがアトランティスにつながっていくあたりは、ダン・ブラウンのホラよりずっと面白いです。それに、人類最古の文明の所在や、そこに至るまでの過程というのは、学術的にも非常に興味深い。
 
 アトランティスの場所って、実はものすごいたくさん候補があるんですね。日本人にはアトランティスはなじみが薄いかも知れませんが、海外では19世紀にブームになり、たいていは一体何を根拠に? と言いたくなる候補地が、世界中あっちこっちに出てきたんだそうな。かのナチスの前身だったトゥーレ教会(協会)も一種のオカルトマニアの集まりで、アトランティスも探索の対象だったと聞きます。日本では「ムー大陸」の方がメジャーみたいですが、スペースシャトルの名前になるほどですから、欧米人にはかなり親しい伝説のようです。
 私は子どもの頃、知ったかぶりの兄に「アトランティスは地中海にあった。サントリーニ島はその一部だというのが定説なんだゼ」みたいなことを吹きこまれました。本作によればこれも信憑性薄いそうです。プラトンの「ティマイオス」「クリティアス」は、アトランティスはアテナイと戦争したと述べており、理想国家を説く上で、ギリシアの引き立て役として創作された可能性が濃厚という記述を読んだこともあります。これ以外にも様々な文献でアトランティスが示唆されてはいるけれども、本作では比較的お話に都合のいい部分だけを取り上げているようです。結局は、3巻で入矢が諦め気味に語る「アトランティスはなかった……これが定説だ」ということなのかも知れません。

 しかし、仮に、仮にですよ、アトランティスが実在したとして、同心円状の運河がある都市王朝で、地震と洪水で沈んだという文明がどのようなもので、なぜ簡単に沈んじゃうのか? その考察は本作でも色々出てくるんですが、ふと思ったんですよ、「埋立地だったんじゃねーの?」。
 阪神大震災で人工島が液状化現象でグシャグシャになってしまったのを思い出し、そんな想像をしてしまいました。これに近い説は本作でも、入矢たちがヴェネチアを訪れた時に登場しますが、だとすればかなりの灌漑技術を持っていたわけで、やっぱりすごい文明だったのかな? などと、物語を読みながら空想するのはけっこう楽しいです。
 余談ですが、前述の「ムー大陸」の方は、提唱者のチャーチワードの完全なホラだったということで結論が出ています。

 あと、本作で興味深いのは、ネアンデルタール人とクロマニヨン人の関係などについて、人類学的な考察も豊かな点です。ネアンデルタール人は新興勢力に追われて絶滅したのか? 混血や闘争の痕跡が乏しく、遺伝学的にも、同位性が低いというか稀らしいので結論が出ていないわけですが、本作では登場人物たちが、ネアンデルタール人は「種の寿命が終わった」、クロマニヨン人を「我々とは異なる絶滅種」などと、いろいろ説を述べています。
 作者の見解なのか、それとも物語のネタのための創作なのかはわかりませんが、非常に興味深い。我々人類学者(嘘)としては、たとえばヒトがどのように言葉を編み出して行ったのか? 石器や金属器の使用と言葉の使用はどっちが先だったのか? 野性的な生態から、定住や道具の使用、文字や言葉の発明などの段階の間にどのようなプロセスがあったのか? 不思議でなりません。私はそもそも、そのイメージ作りの方向性に何か間違いがあるのではないかとさえ思っているのですが。。。ともあれ、前述の「知る喜び」というものを刺激してくれます。

 本作の物語は日本、欧州、中国などあちこち舞台が移ります。これは憶測ですが、次は中東が予定されていたのが、打ち切りになったのだと思います。その方面の学者が登場するのですが、なんか扱いが中途半端なままでしたし、最後は駆け足でアトランティスの核心に近づいていく感じが否めません。最後の謎解きも、いま一つ曖昧な感じが残るので、本当に打ち切りだったとしたら非常に残念です。

3. 失敗した人々
 そんな、色々ツッコミどころというか矛盾のあるストーリではあるのですが、やはりこのお話も人のドラマが秀逸なんですね。 特に、夢を追うことと、失敗から立ち直るエピソードが多い。

 遺跡の出土物を捏造した疑いをかけられ、考古学界を追われた入矢は、登場当初は「(俺のように)二度と夢など見るな」と、ふてくされて世をすねていましたが、アトランティスの探索を依頼されたことを機に、夢を追う心を刺激され、本来持っていた考古学者としての才知や勇気を発揮するようになります。
 前々回も書いたように、「夢」という言葉を浪費するのは好みません。「夢」とか「理想」というのは麻酔薬のようなもので、何の努力もしてないのに語っただけで何かを成した気にさせてしまうんですよね。本当に夢を追っている人は、その努力を持って夢を語れるから、安易にそんな言葉は使いません。ですが、本作は夢そのものが謎ときのキーワードでもあるので、決して心地の悪いものではないです。かつて勝鹿北星作 浦沢直樹作画「MASTERキートン」(小学館)という作品がありましたが、同じテイストを感じます。特に2巻の「復活のキリスト」という話などは、「キートン」の「屋根の下の巴里」を思い出します。

 もう一つは、失敗した者へのまなざしがいい。人は間違えて失敗して、ようやく人になると言っているかのようです。入矢自身もそうであり、アトランティスを追い求めながら、彼は多くの失敗してトラウマを抱えた人々に出会います。彼はまるで、落ち込んでいた間の負債を払おうとしているかのように軽く言いうんですよね。「失敗しただけだ」
「失敗した…だけ?」事業に失敗して借金を遺し、死んだ父を嫌う少年は、入矢に問います。
「キミのお父さんは人生に目的を持って生きていた(略)たいていの人は目的もないまま死んでいくんだぞ。成功か失敗かはただの結果で、たいした問題じゃない」(6巻)
 そうは言っても本人には大問題であろう。「他人に何がわかる!」とか言われそうですが、入矢が言うとなんか憎めず、そういうものかもな、という気になります。

 そんな入矢ですが、クライマックスへ向かう前に再び挫折しかけます。色んな手がかりを総合した末、彼はアトランティスの場所について自分なりの結論に達しますが、そこで「山の老人」の関係者から、まったく別の場所であることを明かされます。
 困惑した入矢が、第二次大戦中にアトランティスを研究していた、いわば自分の先達である老学者に意見を求めに尋ねると、老学者も「その(略)人物は正しい。アトランティスは(略。言っちゃいかんよね)だ」と告げます。かつてスキャンダルで学界を追われ、学者としての道を断たれた挫折感がよみがえり、すっかり自信をなくす入矢。自分の過去を語り、「立ち直れないほどの挫折でした。アトランティスがなければ、今でも立ち直っていなかったかも」と意気消沈します。
 「君は間違っているよ」老学者に言われて入矢は顔を上げます。もちろん学説のことではありません。「一度人生で大きな失敗を犯した人間は、また失敗しても必ず立ち直れる。そういう気概を学ぶべきじゃないのかね」老学者は入矢を一喝します。
 「何度でも何度でも失敗する勇気が持てなくて、何が人生だ!」(15巻)
 鼓舞された入矢は自説を貫き、証明しようと挑みます。この先迎えるクライマックスは、直接ご覧ください。
 
 かなりセンチ(死語?)な文章になってしまいましたが、やっぱりこの作品好きなんですよ。リアリティに欠けるとしても、そこから得るものが確かにある。そうでなければしょせんは空想にすぎない物語を生みだす意味などないでしょう。アトランティスは本当にあったのか? 人類のタブーとは何か? 入矢たちは夢を果たせるか? 学術的好奇心と、人のドラマの両方を楽しめる逸作です。
 強化月間の遊びのつもりで書いた3回の番外編はこれでおしまいです。ここまで読んで下さり、ありがとうございました。次の更新は軌道エレベーター本来のテーマに戻り、アイデアノートの予定です。
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