山崎直子さんのミッションで、日本人宇宙飛行士のスペースシャトル搭乗は最後。さらに、NASAのスペースシャトルはまもなくすべて退役になります。
これを機に、宇宙開発史におけるスペースシャトルの役割や価値を、冷静に評価すべきではないでしょうか。同じ意見の人も決して少なくないですが、スペースシャトルは失敗作だった。まがりなりにもNASAの主役を張ってきた機体ですが、功よりも罪の方が大きい。それを認めずに、前へ進んでいくことはできないのではないでしょうか。
結局、スペースシャトルとは何だったのか? 私はデコトラのようなものだったのだと受け止めています。
それまでの鉛筆か塔のようなロケットとはまったく違う、巨大な翼を持ち、コクピットが外から見える飛行機のようなデザイン。繰り返し利用「できる(自称)」という、史上初の有翼型の往還機。そのSFじみた姿には、私も子供心に魅了され、それはもうトキメいたものです。しかしそれこそが、多くの人を惑わし、本質から目を逸らせてしまった罪だったのかも知れません。つまりあれは機能美ではなく、見てくれが良いから優れているいるわけではない。
多少なりとも知恵がついて、「なんか問題多そうだぞ?」と思い始めたのは大分後のことです。大気圏再突入時のたった一度しか使用しない巨大な主翼を終始装備したまま(しかもむき出しで)、最大約30t近いペイロードを抱え、これらを人間と一緒にすべてごっちゃで打ち上げる。
機体全体に人間のための安全基準を施さなければならない一方、再突入時に有効なアブレーターが、大き過ぎて装備できない。低軌道への質量輸送能力は大したものでしたが、使い捨ての機体で、荷物と人間を別々に輸送した方がコストが安く済むらしいというのが、使っているうちにおのずと明らかになっても、軌道修正できませんでした。
しかも「有翼型往還機神話」のようなものを蔓延させてしまった。ロシアの「ブラン」、ESAの「エルメス(ヘルメス)」など、設計や実験に大量に資金と技術を費し、結局はどれも実現しなかった(ブランは無人機が飛行していて、計画頓挫はソ連崩壊のせいも大きいけど)。大分趣が異なるけれど、日本もHOPE-Xなんて造ってたっけ。。。
結局、NASAの宇宙開発も公共事業ということでしょう。アポロがいったん月へ行くと一気に興奮が冷めて予算が削られ、方向性を見失ったNASAが鳴り物入りで打ち出したのがこのスペースシャトルでした。予算獲得にはオイシイこと言って議会や国民を説得しなければならないわけですが、スペースシャトルの外見は、耳目と支持を集め、話題づくりには持ってこいだったでしょう。そして公共事業は、一度予算を付けて動かし始めたらなかなか止められない。
同時にこのことは、残念ながら、大衆は宇宙開発の進展など望んではいないことの表れでもあります。宇宙飛行士の扱いは五輪選手と同じで、いっときの茶の間の話題として、安易な「勇気と感動をありがとう」で終わってしまう、大きな夢を自分で追わない人の代償行為でしかない(あえて「追えない」とは書かない)。人々が見ているのは、宇宙開発の現状はおろか宇宙飛行士たちそのものですらなく、自分たちの求める宇宙飛行士像を彼らに投影しているだけで、それもすぐに忘れていく。
宇宙に深い興味を持たない人の中には、いまだにシャトルが月まで飛べると思い込んでいる人もいる有様です。スペースシャトルは、注目を集めて話題の裾野は広げた功はあったけれど、人々の宇宙開発への理解を深めることにはさして貢献しなかったようです。
。。。このようなことを考えるにつけ、スペースシャトルは、宇宙開発をかえって停滞させたのではないのか、とすら思えます。
私は、どのような事業にも「必要な無駄」というものがあると考えています。やってみなければわからない、やってみて「やっぱり失敗でした」という教訓を得ることは本当の無駄ではない。
スペースシャトルについては(強いて言えばISSも)、その「必要な無駄」という教訓や反省を見出そうと、目が向けられていない気がします。宇宙開発史上最大の14人という犠牲者を出して、得たものは何だったのでしょう。このことと真剣に向き合わないと、宇宙開発はいつまでも無目的な堂々巡りが続くのではないでしょうか。
私の言っていることは、すべて結果論です。後からであれば、好きなことが言えます。卑怯だと思う方もおられるかも知れません。でも言わずにいられないのです。
今の宇宙開発の先に何があるのか?
一体何をしようとしているのか!?
いずれ、もっと専門の方が総括してくれる日も来るでしょう。でも、スペースシャトルというトリックスター?が舞台を去るのを機に、多くの人に考えてもらいたいことです。う
これを機に、宇宙開発史におけるスペースシャトルの役割や価値を、冷静に評価すべきではないでしょうか。同じ意見の人も決して少なくないですが、スペースシャトルは失敗作だった。まがりなりにもNASAの主役を張ってきた機体ですが、功よりも罪の方が大きい。それを認めずに、前へ進んでいくことはできないのではないでしょうか。
結局、スペースシャトルとは何だったのか? 私はデコトラのようなものだったのだと受け止めています。
それまでの鉛筆か塔のようなロケットとはまったく違う、巨大な翼を持ち、コクピットが外から見える飛行機のようなデザイン。繰り返し利用「できる(自称)」という、史上初の有翼型の往還機。そのSFじみた姿には、私も子供心に魅了され、それはもうトキメいたものです。しかしそれこそが、多くの人を惑わし、本質から目を逸らせてしまった罪だったのかも知れません。つまりあれは機能美ではなく、見てくれが良いから優れているいるわけではない。
多少なりとも知恵がついて、「なんか問題多そうだぞ?」と思い始めたのは大分後のことです。大気圏再突入時のたった一度しか使用しない巨大な主翼を終始装備したまま(しかもむき出しで)、最大約30t近いペイロードを抱え、これらを人間と一緒にすべてごっちゃで打ち上げる。
機体全体に人間のための安全基準を施さなければならない一方、再突入時に有効なアブレーターが、大き過ぎて装備できない。低軌道への質量輸送能力は大したものでしたが、使い捨ての機体で、荷物と人間を別々に輸送した方がコストが安く済むらしいというのが、使っているうちにおのずと明らかになっても、軌道修正できませんでした。
しかも「有翼型往還機神話」のようなものを蔓延させてしまった。ロシアの「ブラン」、ESAの「エルメス(ヘルメス)」など、設計や実験に大量に資金と技術を費し、結局はどれも実現しなかった(ブランは無人機が飛行していて、計画頓挫はソ連崩壊のせいも大きいけど)。大分趣が異なるけれど、日本もHOPE-Xなんて造ってたっけ。。。
結局、NASAの宇宙開発も公共事業ということでしょう。アポロがいったん月へ行くと一気に興奮が冷めて予算が削られ、方向性を見失ったNASAが鳴り物入りで打ち出したのがこのスペースシャトルでした。予算獲得にはオイシイこと言って議会や国民を説得しなければならないわけですが、スペースシャトルの外見は、耳目と支持を集め、話題づくりには持ってこいだったでしょう。そして公共事業は、一度予算を付けて動かし始めたらなかなか止められない。
同時にこのことは、残念ながら、大衆は宇宙開発の進展など望んではいないことの表れでもあります。宇宙飛行士の扱いは五輪選手と同じで、いっときの茶の間の話題として、安易な「勇気と感動をありがとう」で終わってしまう、大きな夢を自分で追わない人の代償行為でしかない(あえて「追えない」とは書かない)。人々が見ているのは、宇宙開発の現状はおろか宇宙飛行士たちそのものですらなく、自分たちの求める宇宙飛行士像を彼らに投影しているだけで、それもすぐに忘れていく。
宇宙に深い興味を持たない人の中には、いまだにシャトルが月まで飛べると思い込んでいる人もいる有様です。スペースシャトルは、注目を集めて話題の裾野は広げた功はあったけれど、人々の宇宙開発への理解を深めることにはさして貢献しなかったようです。
。。。このようなことを考えるにつけ、スペースシャトルは、宇宙開発をかえって停滞させたのではないのか、とすら思えます。
私は、どのような事業にも「必要な無駄」というものがあると考えています。やってみなければわからない、やってみて「やっぱり失敗でした」という教訓を得ることは本当の無駄ではない。
スペースシャトルについては(強いて言えばISSも)、その「必要な無駄」という教訓や反省を見出そうと、目が向けられていない気がします。宇宙開発史上最大の14人という犠牲者を出して、得たものは何だったのでしょう。このことと真剣に向き合わないと、宇宙開発はいつまでも無目的な堂々巡りが続くのではないでしょうか。
私の言っていることは、すべて結果論です。後からであれば、好きなことが言えます。卑怯だと思う方もおられるかも知れません。でも言わずにいられないのです。
今の宇宙開発の先に何があるのか?
一体何をしようとしているのか!?
いずれ、もっと専門の方が総括してくれる日も来るでしょう。でも、スペースシャトルというトリックスター?が舞台を去るのを機に、多くの人に考えてもらいたいことです。う