何日か前の休日、 保育園の年少さんになっている孫が父親に連れられて遊びに来て、 補助輪を外した自転車に乗って見せてくれるなどの成長ぶりを見せてくれた。 そんな外遊びの後で、百人一首の絵札を使った「坊主めくりをやろう!」と言われたけれど、 二人だけでの坊主めくりは気乗りがしないから、
「おじ ちゃんと囲碁をやろうよ」
(孫には”ジージ”とか”おじい ちゃん”なんて呼ばせない我が家ルールがあるのです)
そう言って、10月のカレンダーの裏に九路盤の盤面を描いて、 孫には黒石を握らせた。 ところが「黒より白いのがいい」と言うものだから、ご希望通りに白石を持たせて対局を開始。 もちろん対局と言った所でルールとして教えたのは2つだけ。
1. 「代わりばんこに石を置く」
2. 「盤面に引いた線の十字路部分に石を置く」
そして打ち始めたけれど、 孫は隣接して石を置くばかり。 「これでは囲碁の体をなさないな・・・」 そう思い方針を変更しました。 大町のアルプス囲碁村会館で小学生低学年の初心者相手に指導していた人の真似をする事にしました。
局面に応じた適当な場所を2・3箇所ほど挙げて「この中のどこか好きな場所に石をおきな!」と
まあ大町では「この様な形ではここが急所」そんなパターン認識能力に訴える方法で指導してましたから、 正確には真似ていませんがね。
こんな方法で石を並べるのが囲碁と言えるか? そんな事はどうだった良いのです。 孫にとっては「触ってみたかった碁石を使って大人が相手をしてくれて時を過ごす」そんな事が嬉しくて、 そのうえ僕の石を囲んでそれを自分の物として「きゃは!」と喜び、 最後に囲った地所を運動会の玉入れ競技の如く一緒に声を出して数えてみると圧倒的に孫の勝ち。 そんな他愛のない事で笑顔になってくれました。
そして僕はと言えば 「次の機会にはどんな事を教えようかな・・・」、「また来てね」の気分になれたのです。
「おじ ちゃんと囲碁をやろうよ」
(孫には”ジージ”とか”おじい ちゃん”なんて呼ばせない我が家ルールがあるのです)
そう言って、10月のカレンダーの裏に九路盤の盤面を描いて、 孫には黒石を握らせた。 ところが「黒より白いのがいい」と言うものだから、ご希望通りに白石を持たせて対局を開始。 もちろん対局と言った所でルールとして教えたのは2つだけ。
1. 「代わりばんこに石を置く」
2. 「盤面に引いた線の十字路部分に石を置く」
そして打ち始めたけれど、 孫は隣接して石を置くばかり。 「これでは囲碁の体をなさないな・・・」 そう思い方針を変更しました。 大町のアルプス囲碁村会館で小学生低学年の初心者相手に指導していた人の真似をする事にしました。
局面に応じた適当な場所を2・3箇所ほど挙げて「この中のどこか好きな場所に石をおきな!」と
まあ大町では「この様な形ではここが急所」そんなパターン認識能力に訴える方法で指導してましたから、 正確には真似ていませんがね。
こんな方法で石を並べるのが囲碁と言えるか? そんな事はどうだった良いのです。 孫にとっては「触ってみたかった碁石を使って大人が相手をしてくれて時を過ごす」そんな事が嬉しくて、 そのうえ僕の石を囲んでそれを自分の物として「きゃは!」と喜び、 最後に囲った地所を運動会の玉入れ競技の如く一緒に声を出して数えてみると圧倒的に孫の勝ち。 そんな他愛のない事で笑顔になってくれました。
そして僕はと言えば 「次の機会にはどんな事を教えようかな・・・」、「また来てね」の気分になれたのです。