友人がブログの中で最近読んだ吉村達也著「ヒマラヤの風にのって」の読後感を記していた。
いわく ”真実を語る強い説得力に眼を離せず数時間で読破した。これほど圧倒される本は久々で改めて死生観を考えさせられた”
その言葉に惹かれて立川の中央図書館に行って借りて来ました。 読破時間を競ってどうなるものではないけれど、 彼は数時間、僕は3時間で読みきりました。 (僕の感覚では数時間は5~6時間、数日も5~6日なのだが、最近の若者が2~3時間を数時間と表現するのを聞いた事があるから、 どうかな?)
まず最初、図書館で設置されているパソコンで著者名入れて検索、 すると推理小説のたぐいがぞろぞろと出てきて、ページをスクロールしても目的の書名が中々出てこない。 それで検索条件を著者から書名に替えると一発で”蔵書有り”にたどり着きました。
それが置かれているはずの「小説・随筆」区分の書棚を著者名のあいうえお順に追って探したのだが推理小説のタイトルしか見つからない。 その区分の書架の隣に闘病記の類いのタイトルが集められた書架があったので、 そこも探してみた。 でも見つからない! そこで貸出カウンターに行って「本が見つからない」と話したら、 お姉さんが一緒に探してくれました。 そして結局当然有るべき書架の反対側の棚に置かれた本を探しだしてくれたのです。
もう手遅れになった進行癌の著者は3週間後には死を迎えることになったのだが、 その入院期間中の手記である本書はモルヒネ投与で痛みを緩和する中で書き進められた。 その内容は確かに読むべきものがありました。
最後の入院となる直前に愛猫の死を迎える様子も書かれていて、 「著者と同じく前年に可愛がっていた猫を亡くした経験を持つ友人にはそんな記述も感動の原因か?」と感じてみたりたり、 僕にとっては「腹水が溜まって痛い」と訴えて亡くなって行った義父、 死の直前には痛み止めモルヒネ注射も打たれ、物凄い悪臭を放つ血便を出すようになって死んでいった母の最後。 そんな事どもを頭に浮かべつつ読み進んで行きました。
いわく ”真実を語る強い説得力に眼を離せず数時間で読破した。これほど圧倒される本は久々で改めて死生観を考えさせられた”
その言葉に惹かれて立川の中央図書館に行って借りて来ました。 読破時間を競ってどうなるものではないけれど、 彼は数時間、僕は3時間で読みきりました。 (僕の感覚では数時間は5~6時間、数日も5~6日なのだが、最近の若者が2~3時間を数時間と表現するのを聞いた事があるから、 どうかな?)
まず最初、図書館で設置されているパソコンで著者名入れて検索、 すると推理小説のたぐいがぞろぞろと出てきて、ページをスクロールしても目的の書名が中々出てこない。 それで検索条件を著者から書名に替えると一発で”蔵書有り”にたどり着きました。
それが置かれているはずの「小説・随筆」区分の書棚を著者名のあいうえお順に追って探したのだが推理小説のタイトルしか見つからない。 その区分の書架の隣に闘病記の類いのタイトルが集められた書架があったので、 そこも探してみた。 でも見つからない! そこで貸出カウンターに行って「本が見つからない」と話したら、 お姉さんが一緒に探してくれました。 そして結局当然有るべき書架の反対側の棚に置かれた本を探しだしてくれたのです。
もう手遅れになった進行癌の著者は3週間後には死を迎えることになったのだが、 その入院期間中の手記である本書はモルヒネ投与で痛みを緩和する中で書き進められた。 その内容は確かに読むべきものがありました。
最後の入院となる直前に愛猫の死を迎える様子も書かれていて、 「著者と同じく前年に可愛がっていた猫を亡くした経験を持つ友人にはそんな記述も感動の原因か?」と感じてみたりたり、 僕にとっては「腹水が溜まって痛い」と訴えて亡くなって行った義父、 死の直前には痛み止めモルヒネ注射も打たれ、物凄い悪臭を放つ血便を出すようになって死んでいった母の最後。 そんな事どもを頭に浮かべつつ読み進んで行きました。