チェンマイから田舎町サムーンを通過し、アップダウンが激しい山間のクネクネ道を走ること約2時間半。途中の道路は舗装こそされているものの、標識は全てタイ語表記であり、しかも道路や交差点が方向感覚を狂わすような微妙な曲がり方をしているので、私のような初見の人間ならば迷ってしまうこと必至です。画像右(下)のスクリーンショットで示していますように、私は事前にGoogleのストリートビューで場所や周辺風景を確認していましたが、それでも再度一人で行くことはできないかもしれません。メートー集落がある仙境にはこのゲートを潜って急坂が続く細い道を更に1キロほど奥へと進んでゆきます(コンクリ舗装されているので、普通の乗用車で問題なく走行できますよ)。
集落の中心にある学校を通り過ぎ、小川を渡った数十メートル先の右手に、川原へ下りられる場所があり、そこに温泉が湧いているのであります。牛の群れのそばで川の方へ下りている後ろ姿は、今回案内して下さったYさんです。
ちなみに、この記事を書くにあたって色々と調べていたら、私が旅行計画を練っていたときには上述のゲートまでしか及んでいなかったGoogleストリートビューは、2014年4月現在ではこの温泉の目の前まで表示されるようになっていました(↓のスクリーンショットを参照あれ)。てことは、こんな秘境まであの全方位カメラ付きの車がやってきたということですね。Google恐るべし…。
そもそもこの温泉は利用されること無く垂れ流しにされていたんだそうですが、温泉の存在を知った現地滞在の日本人有志が、せっかくの自然の恵みを有効活用するべく、村人の関心や協力も受けながら、自費を投じて入浴できるように整備したんだそうです。完成に至るまでの紆余曲折の過程は、Yさんの「チェンマイ・田舎・新明天庵だより」における特集記事で詳しく描かれていますので、ご一読下さい(以下にリンクを張っておきます)。温泉を通じた日本とタイ山岳民族との文化交流の様子が伝わってきます。
ブログ「チェンマイ・田舎・新明天庵だより」内のドキュメント「温泉の恵みで生徒や村人に笑顔を!」
その1・その2・その3・その4・その5・その6・その7・その8・その9・その10・その11・その12
温泉が自噴する源泉には屋根掛けされており、屋根の柱には「名湯温泉」と日本語で記された立派な銘板が掲示されていました。メートー集落の温泉だから「名湯」の字を宛てたわけですね。これは昨年改修工事(といっても日本人有志によるDIY作業)が行われた際に、取り付けられたものなんだそうです。ここはすぐ目の前に川が流れており、雨季になって増水すると、せっかく整備した温泉が濁流に呑まれてしまうんだそうでして、その修復工事が昨年に実施されたのでした。なお、なぜ源泉の上に屋根が掛けられているのかという点について、Yさんの見解によれば「湧出源の点在するぬかるみ全体をコンクリート壁で四角に囲って、雨水や枯葉などが入らないように屋根を付けたのであろう」とのこと。
ブログ「チェンマイ・田舎・新明天庵だより」内の連載記事「タイ・チェンマイの野天風呂温泉“名湯温泉”看板完成!」
その1・その2
ちなみに屋根の下はこんな感じになっています。約40℃の温泉がそこここから自噴しており、それをコンクリの槽で囲ってストックしているのですが、湧出時点の温度が約40℃ですから、貯湯しているうちに冷めてしまい、槽内のお湯はかなりぬるくなっていました。さすがにぬるいお湯では入浴に不向きですから、比較的熱いお湯が湧出するポイントにカバーを被せて、後述する土管風呂に湧いたばかりのお湯をダイレクトに送れるような配管を、日本人有志の方々が取り付けてくださっています。
そういえば、私達がこの地へ到着する前から、温泉の前では牛が群れをなしており、私が彼らに近づいても、ちっとも怖がらないばかりか、むしろ人懐っこく、「撫でてくれ」と言わんばかりにこちらに頭を擦り寄せようとしてきます。なぜ牛達が温泉の前に集っているのかといえば、ミネラル分を多く含む温泉を飲泉するのが好きなんですね。近くには清らかな水の渓流が流れているにもかかわらず、牛達は川に見向きもせず、こぞって温泉を飲もうとしていました。温泉を積極的に飲泉して健康増進や治療に活かしている事例はヨーロッパ各地で見られますが、東南アジアの牛達は、日本人が整備した温泉で、ヨーロッパ流の温泉健康法を実践しているのであります。
当地には2つの土管(ヒューム管)風呂があり、低い方は洗濯用兼子供風呂、高いものは入浴用です。高い方に入浴しますと、肩までしっかり浸かることができました。また高い方の底は玉砂利敷きとなっており、以前はここからも温かいお湯が湧出していたんだそうですが、私が入った時には湧出が止まっていました。
源泉から引かれている供給配管は二股に分かれて双方にお湯を注いでいます。バルブの開閉や配管の向きを変えることによって、お湯を出したり止めたりすることも可能です。
配管から出てくるお湯は34.5℃でpH7.7でした。結構ぬるいのですが、常夏の南国で全身浴するなら寧ろこのくらいの方がサッパリ爽快かもしれませんね。本来はもっと高い温度らしいのですが、高温源泉が自噴するポイントに被せてある被覆物がちょっと浮いているかズレている等の理由によって、源泉貯湯槽内にストックされているぬるいお湯が配管へ浸入してしまい、この温度まで下がってしまっていたようでした。Yさんは「修理せなあかんな」と困った表情を浮かべていましたが、なにしろ手作りの温泉ですから、すぐに不具合が現れてしまうのでしょう。温泉を管理することって本当に難しいんですね。なおこのお湯は無色透明で無味無臭、癖のない優しく柔らかなフィーリングです。中性で低張性高温泉の単純温泉といったところでしょうか。
せっかくなので記念撮影させていただきました。仙境とはいえ、川の対岸には学校の女子寮があり、生徒たちから丸見えですので、きちんと水着を着用して入浴しております。私が低い土管に浸かってノンビリしていると、やがて川の中にいた水牛がこちらへやってきて、おもむろに飲泉をはじめました。普通の牛のみならず、水牛まで飲泉を好むんですね。
このようにメートー温泉のお湯は牛達の口に触れている可能性が高いので、衛生面を気にする方にはおすすめできませんし、また周囲を牛達が踏み荒らしていたので辺りは泥々にぬかるんでおり、時折「芳しい」牛糞の匂いも香ってきましたので、普通の露天風呂を想像すると期待を裏切られてしまうでしょう。逆に私のように野趣溢れる温泉が好きな方には堪らない環境です。
尤も、当記事の上の方で紹介しておりますドキュメント「温泉の恵みで生徒や村人に笑顔を!」を拝読していますと、工事竣工時には土管風呂のレンガが敷かれていたようですが、雨季に川が増水したことにより、浴槽やコンクリの腰掛けは残ったものの、レンガは流されてしまったようです(参考:ドキュメント「温泉の恵みで生徒や村人に笑顔を!」・その9)。
この野趣あふれる露天風呂は、飲泉好きな牛達や、DNAレベルで温泉をこよなく愛する日本人が利用するばかりでなく、お風呂の周辺には使い捨てのシャンプーの袋などが捨てられていたので、地元の方々も日々の生活でこの温泉を活用していることが窺えます。実際に対岸の学校の生徒たちもここで温泉を浴びてるんだとか。現地滞在邦人の有志の方々の努力によって、現地の生活にも温泉が浸透するようになったのですから、その尽力は間違いなく報われているでしょう。これぞ温泉を通じた文化交流ですね。
とはいえ、衛生観念の違いと言ってはそれまでですが、ボディーソープやシャンプーの袋などのゴミを、風呂の周りに捨てて散らかしたままにしている点が残念です。Yさんはこの温泉のみならず、チェンマイ周辺の各温泉で衛生的に保つ風習を根付かせるべく、自らゴミ拾いを実践することによって現地の啓蒙に努めているそうですが、ゴミ問題はなかなか改善しないと嘆いていらっしゃいました。私としても、ただ入浴するだけでは能がありませんので、日本から持参したゴム袋を片手に、Yさんと一緒にメートー温泉のクリーンアップを手伝わせていただきました。
山間部の秘湯を満喫した後には、対岸にあるメートー学校をちょっと見学させていただきました。校門の前には牛が屯しており、校門から校庭への侵入を試みる度に生徒に追い返されることを繰り返していました。なお画像の左に写っている白い衣装を着ているのは、カレン族の女子学生です。私が訪れた日は金曜日でしたが、この学校では毎週金曜日に自分が属する民族の衣装を着用することになっているんだそうです。
山間の秘境とは思えない立派な校舎ですね。画像右(下)は温泉から見た女子寮の建物です。寮のベランダでは、土管風呂で入浴する異国人の私を、生徒たちが好奇の眼差しで見つめていました。温泉があるメートー地区は、タイの山岳民族のひとつであるカレン族が暮らす小さな集落です。山岳民族はかつて焼畑や樹木伐採、そしてアヘン栽培等で生計を立てていましたが、タイ政府によってそれらが禁止されると経済的に行き詰まってしまい、また都市部へ就職しようと思っても、自らの民族の風習や言語がタイの一般的なものと異なるために、なかなか仕事にありつけない状況にあったんだとか。そこで山岳民族の子どもたちに教育の機会を与えるべく、日本など海外のNPO法人によってこの学校が設立されたんだそうです。学校は幼稚園・小学校・中学校を併設しており、地元のカレン族のみならず、周辺地域(中には遠方の生活者も含む)に暮らすリス族やミャオ族(モン族)などの子供たちも集まっています。全校生徒は約300人弱で、うち半数以上は学校内に設けられた寮で生活しています。なお寮生活する生徒に関しては、学費のみならず、食費や生活費など一切合財が無償なんだそうでして、いまではタイ政府も助成金を支給しているそうです。
なおこのメートー学校に関しては、日本のNPO団体である「地球市民ACTかながわ」が積極的に支援を行っており、ホームページにも学校に関する詳しい説明がなされていますので、関心がある方は是非ご一読あれ(「地球市民ACTかながわ」ホームページおよびメートー学校に関するコンテンツ)。
訪問時はたまたま休憩時間だったらしく、生徒たちはお喋りしたりスポーツしたりと、各々自由に時間を過ごしていました。南国とはいえ高地ですから、昼間でも涼しくて快適です。いや、涼しいどころか、生徒達の話しによれば、この日(2月下旬某日)の朝は気温が7℃まで下がったそうでして、防寒具が必要なほどの冷え込みです。
上画像に写っているのはミャオ族(モン族)(※)の女子生徒でして、たまたま校門近くのベンチに座って揚げパンをつまみながらおしゃべりしていたので、ちょっとお邪魔させてもらいました。授業中は民族に関係なくみんなで交流するのですが、授業以外ではこのように自民族同士で集まる傾向にあるようです。言葉も文化も違うのですから、仕方ありませんね。画像左端に写っているオッサンはともかく、3人の女の子は皆小柄で小学生のような幼い顔つきにもかかわらず、落ち着いている上に年長者への配慮がきちんとしており、柔和な微笑みを絶やすことがなかったので、何年生なのか訊いてみたところ、なんと中学3年生なのでした。峻険な山岳で生活する民族は、俊敏性や機動性が求められるために小柄な体形になってしまうのかな。彼女たちもジャージの上から民族衣装を着用しており、黒地の服に施された色鮮やかな刺繍、とりわけ放射状の模様がとても綺麗で印象的でした。なおタイで暮らすミャオ族(モン族)は文化的な違いによって緑(青)モンと白モンの2グループに細分されるらしく、彼女たちいわく、画像で最も右側の子は緑(青)モン、その左隣の子と私の右に座っている子は白モンなんだとか。
(※)東南アジアや中国に暮らす少数民族のうち、自らを「モン」と称する民族には2種類あるので、とってもややっこしく、注意を要します。ひとつはミャンマーを中心に分布しているモン族で、人口は約800万人ほど、ペグー人という別称もあり、ほとんどがミャンマー国内で生活しています。もうひとつは中国の貴州省や湖南省あたりを中心にしてラオス・ベトナム・タイなど東南アジア各地に広がっているミャオ(苗)族であり、彼らは自分たちを「モン」と称しています。そして前者と後者は、同じ「モン」を称していながら、系統的には全く別なのです。なお私が会った彼女たちは後者のモン、つまりミャオ族です。
映画をよく観る方でしたら、クリント・イーストウッド監督の映画「グラン・トリノ」で、モン族と称する東南アジア系の民族が準主人公を含めて多数登場するのをご記憶かと思いますが、ここでのモン族は、私がメートー学校で出会った女の子と同じミャオ族であり、劇中では描かれていませんが、アメリカに住むミャオ族の多くは政治難民として移住した人々やその2世・3世です。ベトナム戦争時にラオスの赤化を防ぐべく、CIAの工作によってラオス国内のミャオ族の一部は民兵組織化され、アメリカの手先としてラオスの共産勢力であるパテート・ラオに対抗したのですが、結局ラオスは共産化されてしまい、右派のミャオ族はタイ経由で海外へ逃れていきました。その主な移住先がアメリカだったんですね。
駄文が長くなったついでに言及しますと、映画「地獄の黙示録」でマーロン・ブランドが演じたおどろおどろしい狂気の人「カーツ大佐」は、実際に存在したアメリカCIAのトニー・ポーがモデルになったとされていますが(否定する意見もあるそうですが)、そのトニー・ポーこそラオスでミャオ族民兵の組織化や軍事訓練を担当した人物とされています(真偽の程は定かではありませんが…)。
あれれ、女の子たちとも温泉とも全く関係のない話に逸れてしまいました。失礼しました。とにもかくにも、少数民族はその時々の政治や世界情勢に翻弄されがち。湯上がりでサッパリした肌に山のそよ風を受けつつ、女の子たちの微笑みを目にしながら、この学校の生徒たちには平和で笑顔あふれる生活を送ってほしいと願ってやみませんでした。が、まぁ、細けぇこたぁいいからさ、みんなで風呂入って仲良くしようぜ! タイの山間部では他でも温泉が湧いていますから、温泉を通じた文化交流が深まり、当地以外の山岳民族の皆さんにも温泉入浴の風習が広まると良いですね。サムーン郡の名湯「メートー温泉」は、文化交流の新しいカタチとして、後世に語り継がれる良き名答となるかもしれません。
温泉分析表なんてありませんが、おそらく単純温泉かと思われます。
GPS:18.826339N, 98.622427E,
いつでも利用可能
無料
備品類なし
私の好み:★★★