おねえちゃんの独り言

「おねえちゃんの独り言」のブログ版
(・・・って、そのまんまだけど)

101歳の誕生日

2011-06-09 23:29:02 | Weblog
 間もなく祖母の101歳の誕生日だ。子どもの頃、「100歳まで長生きしてね」なんてよく祖母に言ったような気がするが、まさか101歳の誕生日を迎える日が現実に来ようとは夢にも思わなかった。
 いつものように誕生日カードを買って「お誕生日おめでとうございます」と書き出すが、後が続かない。
 祖母は去年の2月から老健と呼ばれる施設に入り、一度別の老健に移った後(老健はずっとはいられないタイプの施設なので)、今年の3月に無事に特別養護老人ホームに入所できた。場所は私が通っていた小学校と中学校の間にあり、家から非常に近い。施設は新しく職員の対応もいいそうで、かなりラッキーな部類だろう。
 特別養護老人ホームは移動の必要がない。つまり、死ぬまでもうそこにいる、ということだ。いわば、終身刑なわけである。もちろん待遇は刑務所などとは比べ物にならないにしても、余程のことがない限り外出もできず、施設の窓から見える景色がすべて。皆で歌ったり工作をしたりと暇つぶしのお遊びのような時間はあるにしても、あとはただただ死を待つのみ。それが一体どういう気分なのか、私には計り知れない。
 さて、誕生日カードである。普通だったら「おめでとう」に続けて「これからも素敵なことがたくさんありますように」などと書くところだが、この先「素敵なこと」なんてあるわけないことが分かっている人に、そんなこと書けるものか。「お元気で」とか「お体に気を付けて」という常套文句ですら、書くことがはばかられる。101年も生きていれば体中あちこちにガタがきて、4月に面会に行った時もいつも「腰が痛い」「だるい」と、つらそうにしていた。頭はびっくりするほどしっかりしていて、多少耳が遠かったり物覚えが悪かったりするものの、ごく普通に会話ができる。「ここの施設に自分が滞在するために一体いくらかかるのか?」と、そんな心配までしていた。なまじ頭がしっかりしているばっかりに、逆に本人は、体も気持ちもどれほどつらいことかと思う。
 もうこの先、楽しいことがなにもないことが分かっていて、どこにも行けないことが明らかで、いつも体のあちこちが痛くてだるくて、家族に金銭的負担を(実際には精神的、時間的負担のほうが大きいようだが)かけねばならぬことが心苦しくて、ひたすら「早くお迎えが来てくれる」ことを願っている人の目出度くもなんともない誕生日に、一体全体なんと言えばいいのか・・・

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