脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

学問のすすめ。

2010-07-16 | Weblog
今日子供の懇談があって学校に行って来た。
そこで先生がうちの子供について言っていたのだが、最近自分の意見を手を上げて言えるようになったそうで、不当だと思ったこと、そしてわからないことや疑問に思ったことなども手を上げてもう一度説明してくれと言うそうである。
実は私は彼にこう言いきかせている。
世の中で一番大事なことは、正しいことを正しいと言えることだ。
そのため何が間違っていて、何が正しいかと言うことを、一生懸命勉強して判断できるようになって自分の意見を言えることが大事、彼が英語やケネディなどの伝記などに興味を持つのは、その影響があると思うが、私は基本的に本当に正しく、強い考え方を持つためには学問は不可欠であると思っている。
前回挙げたチェゲバラも、たとえ最前線で戦っていても本を読み続けたそうであるが、それは彼が戦いの中にあっても本当の力となりえるものは、何かと言うことを知っていたからであろう。
彼のあの今日まで影響を与え続けている思想は、まさに彼の学びや知性その行動が作り上げたものではなかろうか。
よく人は自分の意見を持つというが、しかし本当にはたしてそういう自分の意見がたやすくもてるのだろうか?
たいていが恣意的にものごとを考えているか、勢いにまかせて言っているだけで、そこにははっきりとした根拠がなく、聞いてて聞き苦しい。
私はクラブの子供にもそうであるが、自分が疑問を感じたり、不思議だと思ったり、聞きたいと思うことは、聞かなくては成長しないと言っているが、それはボクシングの指導においても何においても、上から考えを垂直におとされるのではなく、自分で考える能力をつけるためで、これからの時代の人間には必要であると思っているからだ。
しかし世の中は、自分で考え、本当に何が正しいかと言うことを見極めることは困難である。しかしこの複雑でグローバリゼーション化された現代だからこそ、われわれは何が正しいかということを、しっかりと学び判断できる人間にならなくてはならないだろう。
スポーツクラブは人が集まる集団であるから、人間の成長には知性は不可欠である。
情や勢いでは決して、その集団をよくすることはできない、がらのわるい運動クラブがたむろして騒いでいるのを時々見るが、単に仲間意識で集まっているだけでは、暴走族と変わりないだろう。
その集団を指導していく人が教養をもつということは、その集団を成長させていくことと深くかかわっている。
私自身もまだまだ十分ではないが、しかしそれでも興味を持って学ぶことを大切にしているが、そういう人間が語ったり、教えたりする時に、刺激を与え、何かを学ばせることができると思っているからである。
私はここにいる青少年を決してスポーツ馬鹿にはしたくないと思っている。
スポーツ馬鹿にしたくないからこそ、自分自身も一生懸命学んでいる。







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