脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

型 そんなものBULLSHITだ。

2010-07-22 | Weblog
楽天で幹部は英語が話せなければクビというニュースを聞いた。
日本で働くのに何で英語が話せなければならないんだと思うのだが、しかしここ最近多くの企業が英語と言う世界の共通語を重要視し、大手の企業の中には英語で会議をしているところもあるそうである。
我々が好む好まないにかかわらず英語と言うのは、重要な言葉でこれができるかできないかで大きな差がでてきているのは確かなことである。
特にスポーツにおいても今や英語は欠かせない、この英語ができるかできないかで情報をひろうのは大きな差がでてくるのだが、おそらく英語と言うものを意識し、外国と言うものを意識すれば、そのコミュニティー自体も変わるのではないかと思っている。
私から見て、日本のアスリートは非常にまじめで、練習熱心である。
しかし外国の選手のように個性的かというとそうではない、全員が監督の言うことを聞いて同じようなボクシングをしている印象がある。
むこうは自己管理と言うのが徹底しているので、しんどかったら休んだり、中にはさぼるのもいたが、しかし個性がないかと言えばそうではない、ボクシングのスタイルにおいても十人十色で、見ていて同じようなタイプはなく、私などはパンチや防御をきれいに教科書通りにうつので、逆にそのやり方を懸念されたぐらいであるから、どれだけむこうはオリジナリティと言うものを大事にしているかおわかりいただけるであろう。
しかしオリジナリティーと言うのは一朝一夕に備わるものではなく、もともとその人の持っている特性と言うものをアドヴァンテージに変えて行くことによって、備わるものであると思っている。
前にも言ったが欧米人は小さいころから3つから4つのスポーツをかけもっていて、だいたいが実戦中心型で、日本のように集まって素振りの練習などすることはなく(声だしなんていうのは言語道断あるが)、この実戦を通して思い切り自分のスタイルで競技できるので、それなりのバランス感覚を養うことができ、そのバランス感覚が他のスポーツにも生きてくるのである。
メジャーリーガーなどで、一見めちゃめちゃなかまえに見えて、えげつないホームランをうつのがいるが、こういうスタイルは日本ではまずあり得ない、小さい時から実戦で自由に競技し、そこで通用するバランス感覚を養えたからできる技で、このバランス感覚と言うのはのちに何のスポーツをするにしても、それがおおいに生かされるのである。
しかし日本のように練習のかたちと言うものがある程度決まっていて、同じスポーツしかできない土壌では、この競技スタイルにおいて個性と言うものは育ちにくい。
欧米人の個性と言うのは、単に目立とうとしてのパフォーマンスではない。
子供の時からいろいろなスポーツをとして養われてきたものであり、かたちはめちゃくちゃでもきちんと確立していて、間違いなく欧米人はこのバランス感覚がすぐれていて、それを見せつけられることが多々あるのではないだろうか。
外国で試合をしたものならわかると思うが、外国の選手はあれっと思うところからパンチが出て来て、それになれていない日本人は、知らず知らずのうちにポイントを取られ相手のペースにまきこまれてしまっているということがあるだろう。
私から見て日本はあらゆるスポーツにおいて「型」というものが存在する。
ボクシングのような欧米のスポーツでさえ「型」というのが存在するのだが、だいたい日本ではこの型にはめることからはじめるというのが、私の印象である。
しかしもうそろそろ多少柔軟性をもって、考える時代になってきているのではないだろうか。そして少なくとも「型」と言う言葉をなくし、基本と言う言葉をなるべくつかわないようにしたほうがいいのではないかと思っている。
たぶんスポーツのシステムを今さらかえることはできないだろう。
しかし新しいスポーツを取り組むのだからと言って、型にはめず。その今までやってきたスポーツの特性を生かした、臨機応変な指導法と言うのを理解し、学ぶことも大事なことだ。
そういう意味で外国語を学び、他国の情報をつかむことは、これからの時代には必要なことである。

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