脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

사랑 사랑 하다

2018-08-14 | Weblog

少し前の記事で恐縮だが評判がよかったのであげたい。私はめったに泣かない男だ、でも学生の時一度ハワイで慟哭したことがある。それは自分ではどうすることもできない不条理に対して流した悔しいとも悲しいともいえる涙であったが、でもその泣く姿を見られるのがいやでその時ジウンにくるりと背をむけて帰って行ったことをおぼえている。彼女は私が男は涙をそう簡単に見せるものではないと言うプライドがあるので、そのことについては何もふれることはなかったが、それからしばらくして、あるスポーツ店で働く韓国人女性の話になったのだが、彼女はいわゆるわけがあってここに来ている女性であった。当時韓国人の子供が養子に出されたり、女性がDVにあって離婚したりしたら、本国で生きることができないので、外国で水商売をすることが当たり前のようにあった時代、実際ここにはそういう養子に出された子供やDVからのがれてきた女性たちがいたが彼女もその一人である。たぶん前にに泣いたところを見られたことがはずかしかったのもあって、私が「俺はそういう人たちに比べたらまだ幸せなほうだ。もうたいしたことでは泣けない」と言ったら。彼女はこういった。「人間が悲しいと感じる時泣くことは大事なことだ、よく怒りを力に変えるとかいうけれども、人のために涙を流すことは人のために何かをしたいと言う気持ちが生まれてくる。そういう力が世の中をかえることもある。私は人のために泣けない人は信用しない。だから傷ついた時は泣いてもいいと思う」たぶん彼女はこういうことで私もあなたと同じ考えを持っていると、私の悲しんだ気持ちを肯定してくれたのだと思っているが、その時私は笑ったり泣いたりすることは人間の特別に与えられた感情なんだと思った。そしてそれらの感情はもちろん相手はあってのことであるが、人間の傷ついた感情は泣いて表現できるから伝わるし、その伝わった感情にまた同情して泣く、人間はこの特別な感情を大事にして生きていかなくては人生が無味乾燥なものになってしまう。そして人間は自ら傷つくからこそ相手の気持ちがわかり、人間特有の助け合いの気持ちが生まれるのだ。それが泣くものとともに泣き笑うものとともに笑うというキリスト教徒である彼女が言うLoveである。私は笑ったり泣いたりするのはまさに人間の気持ちや感情を豊かにし、その人間の幅をつくるものだと思っている。人間は助け合うことが大事だ。でもその助け合う前に自らも傷つき涙を流すことも大事なことである。韓国語で涙はヌンムル(目の水)というが、しかし涙は単なる水ではない、感情や心がこもっているからこそ出てくるものである。

 

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