脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

Boxing Creed

2018-08-15 | Weblog

私が信用できない人間は仲間をつくろうとする人間。そういう人間がたちが取り仕切っている組織は問題だと思っている。私の考えでは正しいリーダーはその組織が機能するために、正しいルールや規則をつくって環境をととのえる。しかしダメなリーダーは仲間集めに躍起になる。人によって意見は様々であるが、今のボクシング連盟はどう見ても後者にしか見えないのだが、報道を見る限りでは自分たちは被害者で前会長が悪だという風にしか見えない。奈良判定なんて言うのも特定の地域を出して、奈良判定と言う言葉をつくってマスコミに流布したのも問題だと思うし、細かいことを言うが会長にもてなしたぜいたく品はどこからでているのか。自費でやっていれば問題ないが、しかしそうでなければ予算から不適切な支出をしたということではないのか。もしそうだとしたら助成金問題も金額は違うが50歩100歩ではないか。本気で改革するのならば、あとからこういう意見がボロボロと出てこないとおかしい。特にその予算が何に使われたのかと言うのは重要なチェック事項だ。そこを徹底してやることで全体の引き締めになると思うが、本当に組織を刷新したかったら一度バラバラにしないとできない。その能力と覚悟があるかどうかはわからないが、本当にボクシングをよくしたかったらむしろ嫌われる覚悟で徹底した改革を行う必要があるのではないだろうか。

私は宗教学を勉強したのでその視点から話をすると、キャソリックが腐敗して、プロテスタントが台頭した時代があった。その時代にできた教会のグループがReformed Church所謂ジャンカルバン派と呼ばれる人たちだが、その彼ら彼女らの特徴は信条や宣言を持つということである。見えないものを信じる人間が自分たちの言葉によって何を信じるかということを告白、あるいは宣言することによってその信じていることを確かにする。テレビで池上氏がマックスウエーバーの「プロテスタンティズムの倫理と精神」の解釈の中でプロテスタントが発展してきたのは、予定説からくる選民思想が勤勉さにつながって経済が発展したと言っていたが、まさにその彼ら彼女らの信仰を確かにしてきたのが、その信条であったり宣言である。私がインタビューやコメントを聞いて感じたのは、言葉が適切ではない、言葉のつたなさである。言葉の乱れは組織に悪影響をおよぼす。正しい言葉を持つというのはその群れを引きしめることであり、正しい方向へと導くことだと信じている。ここらで日本ボクシング連盟宣言なるものを草案してみてはどうだろうか。

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