脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

Go for it 

2017-04-06 | Weblog

最近特にアマチュアボクシングの規則がうるさくなってきた。
けがが多く、不良のスポーツという代名詞を払拭したいのか、とにかく安全性とかスポーツマンシップということばかりを強調しすぎるきらいがある。もともとけがをしないスポーツなんてない、特にボクシングをやるということは、ある程度のけがを覚悟して競技に参加するということであり、本人もそれをわかってやっている。日本人はどうかわからないが、ボクシングをやる人間というのは、人にへいこらと、こびへつらうことができない一匹狼の集まりである。
だからボクシングに必要以上に安全性とか、礼儀ということを強調すること自体、おかしなことであって、選手ひとりひとりの芽を摘むようなものではないだろうか。
ボクシングの魅力はこの荒々しさである。リングにあがりワンバイワンで殴り合うからこそ、競技する者は、そこから得るものは大きいし、本当にやったという充実感が生まれる。自分も競技者であったひとりであるが、ボクシングで得た充実感はほかでは得ることができなかったし、このことによって自信を得ることができた。
自分事で恐縮ではあるが、特にこのボクシングを通して勉強させられたことは相手を認めるということだ、よく日本人はみんなとなかよくしなさいというが、そんなことは無理であると思う。
人間は考えていることが違うのであるから、当然あわない者もいれば、嫌いな人間も出てくる。
でもボクシングをやって分かったことは、たとえ相手が違う考え方でも、自分に合わない人間であろうとそれを認めなくてはならないということだ。最初は憎たらしい敵であった人間があの荒々しい殴り合いの中で変えられ、最後はお互い勝っても負けてもたたえることができる。おおげさかもしれないが、この激しい殴り合いを通して、一人の人間の価値が見えてくるのである。
そういうことを言葉ではなく、実際に殴り合うことで分かることができた。
人はこういうスポーツは野蛮だというかもしれない、しかしこの野蛮なスポーツにはスポーツなりに、他のスポーツを越えた何かがあると言うことを、自分は実感している。
だからこそ体裁や世間の目ではなく、本当の意味でこの競技を大切にして欲しいと願う。
自分のクラブがリングに立つ前、胸に手を当てて言った言葉がある。
それは「ALEA JACTA EST」これはラテン語でカエサルの言葉日本語では「賽は投げられた」である。
さほど歴史に詳しく知らない人でも、彼がどのような状況で、この言葉を発したかということは分かっていると思うが、これはガリアを制圧したカエサルが、ガリア州総督解任を元老院から命じられ、内戦を余儀なくされてルビコン川を渡ったときに部下に覚悟を決めさせるためにいった言葉である。
私自身アマチュアボクシングに命をかけるということは、めちゃくちゃなことだと思っている。
しかしこのスポーツはある程度の覚悟を決めなければ、確かなものは見えてはこない。
覚悟を決めていろんなことを乗り越えてやるからこそ、得るものは大きいのである。
この後カエサルは「さあ行こう我々の神々が待つ地へ」と語っているが、まさに我々が覚悟を決めた向こう側にはおおきなものがあるのだ。


 

 

 

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