脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

私が本を読む理由

2024-08-21 | Weblog
読書をしない人間は言うことが薄っぺらい。どう薄っぺらいかと言うと言うことが主観的で、話をしたら結局そいつの考え方に賛同するかしないかだ。過去に私はシンポジウムなどで講師をまかされたこともあるが、そのディスカッションで日本人は優しいからエビデンスやソースがはっきりしない主観的で感情的な意見でも、受け入れて話を進めるが、しかしはっきり言ってそういう考え方は建設的ではないと思う。よくPTAか何かのミーティングで俺は教育のことはわからんけどと言って主観的な意見を述べる人間がいるが、私が司会者ならば「わからんかったら質問と言うかたちにしてください。もし教育のことがわからないと言うならば本を読んで勉強して来てください」とはっきり言う。もちろん揚げ足をとろうとして「じゃあどんな本を読むんだ」と言えば、それなりの参考文献は上げるつもりであるが、私はこういうみんなで何かを決めるようなミーティングの場では、司会者はまわりの意見を聞いてそれを建設的に話ができるような雰囲気をつくる。そのためエビデンスのない主観的な意見を黙らせることも司会者の役目だと思っている。本を読まない、専門の勉強をやったことがない人間は本当は自信がなくて、まともに行ったら自分の意見など通らないので、主観的な意見を言って目立とうとする。個性が大事だと言われている時代なので中学生ぐらいならば「そういう意見もあるそれは君の個性だ」とも言えるのだろうが、しかしいい年をした大人が、薄っぺらいただ目立つだけの意見を主張するのは浅はかすぎる。自分の言いたいことを本当に主張したければ本読むなり、勉強するなりしてエビデンスやソースをしっかりと持つことだ。本を読まない、エビデンスやソースを持たない人間は多様性にかけるので、女性やいろいろな職業の人が集まった社会人の群れを有機的にまとめていけるはずはない。体育会のルールのようなものを基準にしていること自体、私から見たらかなりずれていると思っているが、クラブと言うところが平等であると言うことを主張するのならば、たくさんのことを書物を通して学び、倫理やジェンダーそして人権について考え、しっかりとした基準や考え方を持たなくてはならないと思っている。読書は管理者のとって不可欠で、このことがその群れをよくしていく要因だと思っている。

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