脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

進んで嫌われる

2019-07-21 | Weblog
人間には当たり前だが、いいところとわるいところがある。まずその両方を知っていいところを徹底してリスペクトする。そしてわるい部分を出せないようにすること。それが私の育成論である。事実私はここにきた人ひとりびとりのリスペクトできるところをよく見て、リスペクトできるようにしているが、人間は必ず自分にはない秀でた素晴らしい部分がある。そのことを徹底して認めること、本当に心からそうすることができたら人間はかわることができる、そして自信を持つことができると信じている。しかし人間はただ素晴らしいところを見てそれを称賛するだけではダメ、私の場合はコミュニティを考えてそれが全体に機能するように、その人間のもつわるい部分を徹底的に出させないようにしているが、本当に人をそこで生かしたいと考えるならば、人間の持つわるい部分に関しても徹底してきびしく接することも必要であり、時には大いに自分から進んで嫌われるのも管理者の仕事だと理解している。

私がよく占い系の診断でよく出てくるのは考え方がぶれない、ぶれないからはっきりと意見が言えると言ったようなたぐいである。占いの類なのでどうかと思うが、しかしある意味あたっていると思う。そしてそのぶれない考え方は学生時代に思い切り議論して、自分の意見をちょんけちょんにされて、構築してまたけちょんけちょんにされての繰り返し、そしてそういう経験を通してはじめて自分の考え方になり、それはやがて自信のようなものになったのだと思うが、しっかりとした観察力を持って相手の長所を認め、ぶれない敬意を払うことがここでの人間関係をつくっていくことにおいて大事なことだと思っているが、本当にぶれない敬意を払うことで、人間は生かされ自信をたもつことができると思っている。
うちのトレーナーやサポートしてくれる人たちは本当に私にできないことをやってくれている。ある意味ここでは生き生きとそのギフトを十分に発揮して指導してくれたり、サポートしてくれている。その彼らには私は頭が上がらない、本当に心からリスペクトしていることは確かであり、そういう気持ちを感じとってくれているから、その素晴らしいギフトを発揮してクラブの雰囲気をよくしてくれているのだと思う。コミュニティ全体の雰囲気をよくしたかったら、人間の長所が出やすいコミュニティ、そういうコミュニティづくりを目指すべきだ。そしてそのためには管理者自らがひとりびとりをよく見て、心から敬意をはらうことが必要である。
私は思う。ほめてのばすとかサルに芸を仕込むのではないのだからそういう言葉はあほすぎる。人を認めるならば根本から思い切りその人を認めて敬意を払えということ、私の考え方では根っこをしっかり育てて自信をつけたかったら相手に敬意を払ってリスペクトすることだ。

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