何も持たず手ぶらでぶらぶらしている。普通女の人が荷物を持ったら持ってあげるのは当たり前だ、しかし特におっさんぐらいになるとそれをしない。若い時はかっこうをつけるためあるいは女をものにするために進んで荷物を持つのだが、しかし結婚したとたん全くそれをしなくなる。私が子供に言っているたぶん他の家庭とは違うことが二つある。一つは人種差別をするなマイノリティーを差別するなということ、そして母親の荷物を持てと言うことだ。特に母親の荷物を持てと言うのは女性に対して尊敬の気持ちを持てと言うことで、私はそういう気持ちを大事にするために母親の荷物を持てと言い、そしてそれが女性を尊重する気持ちにつながり、自分の伴侶を大事にするようになると思っている。
自分で言うのも何だが私自身知能が高いのである程度のことはできる人間だと思っている。たぶん総合的に見たら家族などのことを含めても、ここでは余裕のある生活ができていると思う。しかし私には大きな限界がある。それは今まで憎しみや怒りを原動にして生きてきたことだ。もっと偉くなろうと思えばできていたのだろうが、しかしある程度自分が満たされることで野心がなくなった。怒りや憎しみなんて言うのは個人の利益しか生まない。そこからこえていくことはできない。ニーチェが言うルサンチマンと言うのはまさにこのことだが、そういうことをばねにして生きてきても人間は本当の意味で成長しないし、幸せにはなれない。格闘技のクラブなんかでよく俺は逆境をばねにしてここまでやったとか言う奴がいるが、しかしそんなことは教育上よくない話だ、そういうことを言う奴に限って教育レベルがひくくて実際はたいしたことなどやっていない、ただ能力がないからそういう話をして認められようとしているだけである。確かに人によっては今ある境遇からぬけだすために怒りや憎しみをバネにすることも必要であろう、しかしそれよりももっと大事なことは自分が人の役に立つこと、そしてどれだけ人のために何かができるかということで、そういうそういうエネルギーを使う方が自分の成長になるし、幸せになれる。おそらくそれは人類を進歩させてきたエネルギーであるといっても過言ではない。人のために何かができるかと言うことは私の考え方のモットーで、こういう気持ちを根底に考えることで、譲り合いや思いやりそして人権を大事にするコミュニティが生まれるのだと思う。ここではクリスマスに団体を通して募金をしたり、ブログでしばしばマイノリティのことをとりあげるのは自分たちが中心ではない、人間は支え合って生きることが大事だと言う私なりのメッセージだ。