脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

Let It Go!

2018-04-10 | Weblog

かなり昔あるボクサーがこういう冗談を言ってきた、それはおもしろおかしく言ってやろうと思って言った事だと思うのだが、彼が言うにはアフリカ人は時間にルーズで遅れてくるそうだ、だからいつも30分ぐらい遅れていくとちょうど彼、彼女が来るころなので、約束をした時は30分ぐらい遅れて行ったほうがいいと、たぶん彼はわるい人間ではないのだが、詭弁で、すぐに物事をおもしろおかしくしようとするタイプである。しかし彼の言葉はでたらめ、わるいがこういう話は差別的で程度がひくい。まずアフリカ人ってどこの国の人?アフリカに国はいくつあるのか知っているのだろうか??日本人はアフリカと言う国を軽く見ているのか一つにして見ているが、しかしアフリカと言う国はいくつもあって、それぞれ異なった文化や宗教が存在する。さらに時間にルーズと言うのもどうだろうか?アフリカと言うのは厳格なイスラム教徒も多く、保守的であり家父長制の多い国が多い、そういう文化を持つ国が時間にルーズだとは思わない、ハワイであればハワイタイムというのがあるが、しかしアフリカタイムなんていうのは聞いたこともない。こう言うことは軽々しく言うべきことではない。かわいそうだが、知識があさいととんだ大恥をこく、たぶん同じようなレヴェルの人間としか付き合ってこなかったから、こういうことを言ってもわははははと受けていたのであろう。しかしこういう話は多少語学ができて、客観的に物事を見る訓練ができている人間にはあきらかにでたらめであることはわかる。この人種差別的な発言は聞く人が聞けば不快感さえもおぼえるものであるが、レヴェルがひくいと何も考えないでただ笑っているのだが、意外とこういうしょむないと言うか、場合によっては不快なことが笑いになっているからおそろしいものである。私が日本のお笑いがきらいなのは人を陥れたり、いじめたりするからだ。そういう笑いは決して本当の意味で人を幸せにすることはできないと思う。

これは私が好きな話で大学時代に聞いた話。ある女性仮にエイミーとしておくが、彼女は生まれてすぐに施設にあずけられたらしく、あずけられた時には名前がなかったので、その施設でエイミーと名づけられたそうである。彼女は親から名前をもらえなかったことが彼女のトラウマになっていた。それはある意味彼女を消極的にさせていた何かであったようだ。やがて成人になり彼女は大学に入学、かなり年をとってからでの入学ではあったが非常に楽しい学生生活を送り、そこで年下の男性と知り合い恋におちる。優しい人とたくさんの友達にかこまれての楽しい学園生活であったが、しかし周りが幸せであればあるほど自分の過去がひっかかる。そこで思い切ってその男性に自分が施設で育って親から名前をもらわなかった、だから名前がないと言う苦しみを打ち明けたそうだ。するとその男性はこう言った「ケンチャナヨ。神様にも名前はないんだよ。」二人は同じ教会に行っていたのだが、聖書の神には名前がない、十戒の戒めにも神が人間に対して自分の名前を持つな、名前をつけるなと言う厳しい戒めがあるのだが、彼はその神の厳しい戒めを逆手にとってジョークにしたのだ。そしてそれを聞いた彼女も笑ったそうだが、二人は笑い飛ばして過去のいやな思いでとおさらばしたのだ。私はユーモアには力があると信じている。人間が人間のことを思いやり知性を持って伝えるユーモアは本当にその人を生かす言葉であると信じているが、ユーモアがその人を気づかう気持ちと知性が感じられればその人は勇気づけられるものだ。

 




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