うちのクラブには意外と多くの子供たちが通っている。ここでは子供のコンタクトボクシングを禁止しているので、健康維持や体力をつけると言った目的で来てくれているのだが、そのほとんどが2年以上ここに通ってくれていて、長い子供はもう6年になる。
オリーヴにはいい意味で個性的な子供が多く、この個性的な子供たちの面倒を見るのは結構たいへんだ。
「次何々するぞ」と言うと「いやだ」と言う答えは当たり前にかえってくるし、時にはすごいやる気がないオーラが出ている時もある。
そんな時にマスやるぞと言うと「いやだ」と言う答えが返ってくるのだが、そういう子供に何かをさせることはむずかしく、時にはこちらのテンションも下がることもしばしばある。
けれどもそういう時はマスをするかわりにミットうちは1ラウンドとかと言うように、交渉することで何かをさせることにしているが、子供と言うのは正直でおもしろくないことはやらないのだが、それでもいろいろと交渉してやらせればそれなりに楽しそうに満足してくれている。
子供と言うのはきまぐれで、やりたくないことをやりたくないと思うのが自然の姿である。
だからそれを無理に押しつけてやらせるというのは、スポーツの世界では必要のないことである。
私は運動クラブで子供が監督の言葉にたいして「ハイ」と言う言葉を即座にかえしている姿を見ると、何か不思議なものを感じるが、そういうスポーツで言う、しつけというものが本当に将来的に必要なことで、役に立つことなのかは疑問なことで、子供のうちに必要なのはスポーツに慣れたり、楽しんだりすることではないのかと思う。
しかしこれはいけないんじゃないかということに対しては必ず言うようにしている。
例えば人を傷つけたり、自分を卑下するような言葉に対して、そういうことが競技とのかかわりの中で見えてきた時は、それを見過ごすことなく、そんなことは言ってはいけないと言うようにしている。
それも高学年ぐらいになるとむしろ注意すると言うよりも「俺はこう思うけど」と言うような言い方で接しているのだが、こういうアドヴァイスをすることで、上から何々するなと押さえつけるのではなく、フラットに付き合い、そして彼ら彼女らに対等に付き合い、自分で考えさせるということを学ばさせるためであるが、子供によっては伝える時、決して正面に立って言わず、横に立ってなるべく威圧感のないように伝えるようにしている。
たぶん子供は、頭ごなしに上から権威的な態度でおこっても無駄である。
学校で注意を促すために多少どなったりすることも必要であるが、しかしスポーツではそういう頭ごなしにしかりつけるというようなことはする必要がない。
スポーツと言うのは楽しむためにするものだ、そこには服従関係はなく、お互いがフラットな関係が求められ、そのフラットな関係を築くことで、言われてやるのではなく、自分で考え行動する能力が身につくのだと思う。
屁理屈かもしれないがここではよく小学生に「わかってんのか」と言うと「わかってるよ」と言うような言い方をする。たぶんよくある運動クラブならば口答えするなと言われると思うが、しかしはっきり言って私は即座に「ハイ」と答えるよりはいいと思っている。
これは私の貴重な体験であるが、昔学生の時、頼まれて学童保育のようなところでボランティアをしたことがある。
学童保育と言ってもハワイでの話である。本土はどうかわからないが、ハワイには学童保育みたいなところがあって、そこには韓国系から日系そして中国系に至る人種の子供たちが来て勉強したり、スポーツしたりしていた。私はそこでおもに韓国系の子供とサッカーをプレイして彼ら彼女らの面倒を見たのだが、外国で育った子供と言うのは個性が強く、そのアジア系のほとんどは英語(母国語)のほかに韓国語や中国語そして日本語などの言葉を話すバイリンガルやトライリンガルである。
中には非常にIQの高い子供もいて、こういう子供たちと接したことは、わたしにとって非常にいい経験になったと思っている。
たぶんこういう個性の強い子供たちに運動部のような上から押さえつけるようなやりかたは絶対に通用しない。偉そうな態度で命令したり、何を根拠に言っているのかわからないが、あいさつは基本だと言うようなことを言っても「なぜあいさつが基本なのか?なぜ大きな声でしないといけないのか?」と逆に質問されるのがおちだ、そしてもしお前らそこまで言うのだったら外国人と会話するのに共通語を話せと言われたらどうするつもりなのか。
こいつらの大事なことというのは、自分たちに服従させることである。
しつけや教育と称してアメとムチを使い分けるのも、まさに服従させることがまとまっていることだと勘違いしているからで、こういう短絡的な指導法では個性は絶対に育たない。
おまけに国際語も話せないような奴が、日本限定でそこだけでしか通用しない考え方を伝えてもついてくるのは、子分になるような奴らばかりで、正直日本のクラブと言うシステムでは個性の強い人間ははじかれるし、育たないと思う。
欧米の小学生はだいたい3つ以上のスポーツを競技している。
日本人にしてみればとうてい理解できないことであるが、しかしたいていの場合競技形式から入って行くので、3つ以上かけもつことは可能で、欧米ではこういう競技形式で気軽に参加してスポーツを楽しむことで、将来自分はどういうスポーツをするのかということを決めていくのだ。
しかしそれに対して日本はその選択肢がない。おまけにやりたいことを見つけろとか、目標を持てとか言われて、自分のやりたいことを決めさせられるようなところがあると思うのだが、しかしやりたいことを見つけろなんていわれてもそんなものはすぐに見つかるはずはない。
私は日本のクラブと言うのはスポーツではなく、軍隊や組に近いと思っているのだが、見ていてこいつら本当に楽しいのかと思うことがしばしばある。
たぶん楽しいと言う感じ方が我々とは違うと思うのだが、はっきり言ってなぐられたり、いじめられたりすることを思い出にしているのは日本の運動クラブぐらいである。
自分のやりたいことを見つけるためにクラブに入るということははたして正しい事なのだろうか?
子供と言うのはゆっくりと時間をかけなくては育たないと思う。
時間をかけてゆっくりと自分のやりたいことを決めたらいいと思うのだが、しかし残念ながら日本のスポーツにはそういう余裕のある育て方をできるシステムはない。
オリーヴにはいい意味で個性的な子供が多く、この個性的な子供たちの面倒を見るのは結構たいへんだ。
「次何々するぞ」と言うと「いやだ」と言う答えは当たり前にかえってくるし、時にはすごいやる気がないオーラが出ている時もある。
そんな時にマスやるぞと言うと「いやだ」と言う答えが返ってくるのだが、そういう子供に何かをさせることはむずかしく、時にはこちらのテンションも下がることもしばしばある。
けれどもそういう時はマスをするかわりにミットうちは1ラウンドとかと言うように、交渉することで何かをさせることにしているが、子供と言うのは正直でおもしろくないことはやらないのだが、それでもいろいろと交渉してやらせればそれなりに楽しそうに満足してくれている。
子供と言うのはきまぐれで、やりたくないことをやりたくないと思うのが自然の姿である。
だからそれを無理に押しつけてやらせるというのは、スポーツの世界では必要のないことである。
私は運動クラブで子供が監督の言葉にたいして「ハイ」と言う言葉を即座にかえしている姿を見ると、何か不思議なものを感じるが、そういうスポーツで言う、しつけというものが本当に将来的に必要なことで、役に立つことなのかは疑問なことで、子供のうちに必要なのはスポーツに慣れたり、楽しんだりすることではないのかと思う。
しかしこれはいけないんじゃないかということに対しては必ず言うようにしている。
例えば人を傷つけたり、自分を卑下するような言葉に対して、そういうことが競技とのかかわりの中で見えてきた時は、それを見過ごすことなく、そんなことは言ってはいけないと言うようにしている。
それも高学年ぐらいになるとむしろ注意すると言うよりも「俺はこう思うけど」と言うような言い方で接しているのだが、こういうアドヴァイスをすることで、上から何々するなと押さえつけるのではなく、フラットに付き合い、そして彼ら彼女らに対等に付き合い、自分で考えさせるということを学ばさせるためであるが、子供によっては伝える時、決して正面に立って言わず、横に立ってなるべく威圧感のないように伝えるようにしている。
たぶん子供は、頭ごなしに上から権威的な態度でおこっても無駄である。
学校で注意を促すために多少どなったりすることも必要であるが、しかしスポーツではそういう頭ごなしにしかりつけるというようなことはする必要がない。
スポーツと言うのは楽しむためにするものだ、そこには服従関係はなく、お互いがフラットな関係が求められ、そのフラットな関係を築くことで、言われてやるのではなく、自分で考え行動する能力が身につくのだと思う。
屁理屈かもしれないがここではよく小学生に「わかってんのか」と言うと「わかってるよ」と言うような言い方をする。たぶんよくある運動クラブならば口答えするなと言われると思うが、しかしはっきり言って私は即座に「ハイ」と答えるよりはいいと思っている。
これは私の貴重な体験であるが、昔学生の時、頼まれて学童保育のようなところでボランティアをしたことがある。
学童保育と言ってもハワイでの話である。本土はどうかわからないが、ハワイには学童保育みたいなところがあって、そこには韓国系から日系そして中国系に至る人種の子供たちが来て勉強したり、スポーツしたりしていた。私はそこでおもに韓国系の子供とサッカーをプレイして彼ら彼女らの面倒を見たのだが、外国で育った子供と言うのは個性が強く、そのアジア系のほとんどは英語(母国語)のほかに韓国語や中国語そして日本語などの言葉を話すバイリンガルやトライリンガルである。
中には非常にIQの高い子供もいて、こういう子供たちと接したことは、わたしにとって非常にいい経験になったと思っている。
たぶんこういう個性の強い子供たちに運動部のような上から押さえつけるようなやりかたは絶対に通用しない。偉そうな態度で命令したり、何を根拠に言っているのかわからないが、あいさつは基本だと言うようなことを言っても「なぜあいさつが基本なのか?なぜ大きな声でしないといけないのか?」と逆に質問されるのがおちだ、そしてもしお前らそこまで言うのだったら外国人と会話するのに共通語を話せと言われたらどうするつもりなのか。
こいつらの大事なことというのは、自分たちに服従させることである。
しつけや教育と称してアメとムチを使い分けるのも、まさに服従させることがまとまっていることだと勘違いしているからで、こういう短絡的な指導法では個性は絶対に育たない。
おまけに国際語も話せないような奴が、日本限定でそこだけでしか通用しない考え方を伝えてもついてくるのは、子分になるような奴らばかりで、正直日本のクラブと言うシステムでは個性の強い人間ははじかれるし、育たないと思う。
欧米の小学生はだいたい3つ以上のスポーツを競技している。
日本人にしてみればとうてい理解できないことであるが、しかしたいていの場合競技形式から入って行くので、3つ以上かけもつことは可能で、欧米ではこういう競技形式で気軽に参加してスポーツを楽しむことで、将来自分はどういうスポーツをするのかということを決めていくのだ。
しかしそれに対して日本はその選択肢がない。おまけにやりたいことを見つけろとか、目標を持てとか言われて、自分のやりたいことを決めさせられるようなところがあると思うのだが、しかしやりたいことを見つけろなんていわれてもそんなものはすぐに見つかるはずはない。
私は日本のクラブと言うのはスポーツではなく、軍隊や組に近いと思っているのだが、見ていてこいつら本当に楽しいのかと思うことがしばしばある。
たぶん楽しいと言う感じ方が我々とは違うと思うのだが、はっきり言ってなぐられたり、いじめられたりすることを思い出にしているのは日本の運動クラブぐらいである。
自分のやりたいことを見つけるためにクラブに入るということははたして正しい事なのだろうか?
子供と言うのはゆっくりと時間をかけなくては育たないと思う。
時間をかけてゆっくりと自分のやりたいことを決めたらいいと思うのだが、しかし残念ながら日本のスポーツにはそういう余裕のある育て方をできるシステムはない。