脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

vocabulum

2019-07-08 | Weblog
言葉は大事だ。私は極力クラブにおいてはマイナス的な言葉をつかったり乱暴な言葉さらにPCにひっかかるような言葉は使わないように心がけている。特に暴力的な言葉や乱暴な言葉は、格闘技では恰もそれがかっこいいなどと思って使っているのだろうが、女性や子供のいるクラブで例えば試合は殺し合いだとか、そういう暴力的な言葉を使って煽るのはその指導者の程度のひくさをうかがわせる。よく言っていることであるが責任者の言葉がアホだとその程度かそれ以下の人間しかまわりに集まることはない。すなわちコミュニティの質は言葉によって違うということだ。うちのクラブにはいろいろな立場の人が集まって調和がとれているし、それぞれが協力的であるのは、ここがいいと思って集まってきてくれているからである。理由は私に言葉による信用があるからだ。たぶんそれぞれの立場やレベルにあわせてきちんと会話できるからだと思っている。体育会のように上下関係でコミュニティを形成するのは限界がある。知性を重んじ、そこできちんとした言葉がコミュニティの中で使われるならば、正しい人たちが集まってきてそのコミュニティは健全である。一方言葉の程度がひくいとそれでしかコミュニケーションがとれないようなやんちゃですとかアウトローくさい人間が集まってくる。そういう人間が大多数を占めたらそのコミュニティでは健全な社会人がやりにくくなる。いい大人が集まってもコミュニティの質は中高生のクラブ以下である。世界記憶遺産を揶揄するつもりは毛頭ないが、そういうたぐいの輩が集まって上半身裸で、時にはちらちらと紋章を見せながらトレーニングする姿はまるで山本作兵衛の世界、炭鉱でもあるまいし、そういう輩がうろうろして上半身裸でトレーニングして汗をまきちらす行為はまわりに迷惑だし、特に女性から見て不快である。試合の話や減量などのちょっとした話題になると世間では認められない意地や見栄で生きているような輩がピラニアのように集まってきて針小棒大に自慢話をこれみよがしに話す。とにかく自分のことを言いたくて言いたくて、目立ちたくて目立ちたくて仕方がないような人間が刑務所仲間を頼るようにクラブに集まってきて程度のひくいコミュニティをつくる。そういうクラブには絶対にしたくないというのが私の考え方だ。

私の話はリアルだという人もいる。私の話がリアルなのは私がそういった類の輩を外から見ているのではなく、実は私もその内側にいたからである。特に国際的であるということはすごくディープなところにいて、言葉にまつわるKとGの話をしたらえーそんなことを観察して生きているんだとさえ驚くであろうが、そういう世界を間近に見ているからこそ自分のコミュニティは健全であることを心から願い、そのようになるように努力している。


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