脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

日本イムズ 外国人から見た日本のスポーツ

2018-12-26 | Weblog

在日韓国人の若い人に「君は自分を指すときどうさす」と聞いたら人差し指で自分の胸を指して自分と表現した。「なんや中途半端やなあ。韓国人は胸をたたいて俺って表現する。ここ(胸)で語って、ここでトレーニングするんや」と体育会のようなことを言ってしまったが私ははっきり言って日本人的ではない。どちらかというとものの考え方は大陸的で合理性を求める人間だ。その半分外国人で、外国でスポーツを経験してきた人間が最近日本人のスポーツに対する考え方で素晴らしいと感じることがある。

前に日本に来る中国や韓国人とはいいたくないが少数の韓国人の店のマナーがわるいのは、店側がやってはいけないことをしっかりと書かないからだ。書いていないことはやっていいとみなすのがそのマナーがわるいと言われている国の人たちの考え方、でも日本人はきちんとした道徳心を持っているので、おのずと何をしてはいけないのかということがわかっているからあえて非常識だと思うことは書く必要がないということを書いたと思う。スポーツにおいてもそれは同じ事が言える、やってはいけないこととやらなくてはいけないことをしっかりと理解して、その試合にのぞむのが日本のスポーツに対する考え方で、私はそれが日本人の持つ美意識だと思っている。特に日本人が反則が少ないのはルールを守るという性格だけではなく、反則などのやってはいけないことをするというのは一種の恥と受けとめているからだと思っている。ボクシングにしてもそうだが日本のスポーツにはそういう精神論がある。一生懸命トレーニングして、正々堂々と戦う。正々堂々戦うと言うのは反則のようにこれをやっては恥だということをしないで戦うことである。こんなみっもない戦い方はしないと競技者はよく言うが、そこが日本人の持つスポーツにおける美意識で、勝つことだけではなく勝負することに価値を見出そうとする。ゆえに日本人のスポーツに関する考え方は不可侵的なこともあって、それを土足で踏みにじると冒涜ともとられるのだ。

しかしアメリカには日本のような精神論はない。勝負事は勝つか負けるか、反則ぎりぎりでも自分のパフォーマンスを十分に発揮できればいい、日本のように恥の文化はなく、正々堂々と戦うというような考え方は日本人に比べて希薄であると思っている。私が書くことと言えば日本のスポーツの批判ばかりだが、しかしこういう精神論は十分評価されることであり、それを学校のクラブなどで実践しているから素晴らしいと思う。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする