脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

よくもまああんなこと言ったわ

2018-12-21 | Weblog

社会人選手権が宮崎で開催、佐藤代表率いる兵庫チームが健闘しているようです。その様子などはフェイスブックからも見れるのでみなさん応援してください。

こう見えて私も昔は競技者であった。もちろんトーナメントにも出たことがある。今考えたらはずかしい話だが私はこともあろうかトーナメントで優勝宣言をしたことがある。それはたいした大会ではなかったが、しかしそれでも5回ぐらいは勝たなくては優勝できないトーナメントだったのだが、私はそのトーナメントで「もし優勝できなければお前らの視界から消えてやる。I'll be gone」と言ったと思う。これを聞いて一同唖然としていたが、しかし私は本気であった。負けたら本当にそこから去るか、少なくともボクシングをやめる気持ちでいたことは確かなことであった。でもそういう意気込みでやったらトレーニングが変わる。何がかわるかというのは気持ちだ。まずシャドウなども実戦を想定するし、スパーなどは強い相手に打ち勝つぐらいでなと優勝できないと相手に求める基準が高くなる。アドレナリンのせいかどうかわからないが自分よりも強いと思われる相手とのスパーを望んで、とにかく上の次元を目指そうとする。おそらくそこまで気持ちを強く持たなくては我々のような凡人がいくらしょぼいトーナメントと言っても勝つことなんでできないと思う。そして実際才能のない凡人が一生懸命頑張ってとったしょぼいトーナメントの優勝、でも優勝したらいがいとあっけらかんとしたものだ。もらったトロフィーはほったらかしにしたら腕のところがおれていたので捨ててしまったし、メダルなんかもピーターにほれとあげてしまった。ここでなぜこういう話をするかというのは決してこれみよがしに自慢しているのではない。まわりもわかると思うけど私自身が今ボクシングにこだわっていないし、そんな学生時代のお遊びがすごいことなどとは決して思っていない。私が言いたいことそれは何事も過程が大事だと言うことである。少しえらそうに言わせてもらうと、本当に本気でやったらトロフィーとかメダルとかそんなものはどうでもよくなる。なぜなら自分が今までその試合に向けてやってきたことに嘘はないと言えるからである。

以下の分は私のブログからの抜粋である。

 「最初ここにきてパンチがあたらなかったので、悔しくて悔しくてずっとリングを見ていたら。ジョージが声をかけてきてくれたことではじまった彼と二人三脚で歩んだボクシング、そこそこ強豪のアメリカ人と対戦して勝った時は、単純だが、東洋人も彼ら彼女らと対等にやれると思ったし、メダルも取れた。そういった経験が私の中で自信になっていったことは確かである。けれども自分の実力なんて相対化されればされるほど小さくなっていく。そして一生懸命やればやるほど、自分の限界や現実を受けとめなくてはならない時があるのだ。人間は前に進むためには、時には大切なものを捨てなくてはいけない時もある。でもしかしその捨てたものが正しければ年とともに思い出となり、その人の年輪となる。それは決して今しがみつくものではないが、それが年をとって思い出となって自分の軌跡を振り返った時に、自分の生きてきたことはよかったんだと振り返ることができる。それが年を取ってからの人間の幅や自信になると思う。私は本当に向こうでは小さい存在であったと思う。そしていくら頑張っても認められることはなかった。そういう平凡なちっぽけな存在である。けれども一生懸命挑戦することで自分の軌跡をのこすことができた。そしてそのことを今振り返って後悔はない、それは私を語る上での本当の年輪になっていると思う。」

一生懸命トレーニングに励むと言うことは自分の価値を高めること、一生懸命努力するからこそ、すべてのことに意味をなすと思っている。たとえ大会で優勝してもそれはただの通過点、私なりに考えてやはり大事なのはどう引退するかということだ。そしてそのことは実績云々というよりも過程を大事にするからこそ、本当にボクシングをやってよかったと思えると思う。

 


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クリスマスシーズンのソウルで 즐거운 크리스마스를 보내세요

2018-12-21 | Weblog

クリスマスシーズンのソウルは寒い、それは耳がちぎれるんじゃないかと言うぐらいの寒さだ。韓国はキリスト教徒が多いのでクリスマスは休日、街のイルミネーションはかなりにぎやかである。クリスマスに久しぶりに会ったチング、韓国系アメリカ人で3か国語を流暢に話す。最初空港で会った時にはなんて話そうかなんて思っていたが、空港で私の姿を見つけてすぐに駆けよってきて「やあ久しぶり。元気にしてた」と、その後なぜかテハンノでプッチンゲを食べに行って彼女とはたくさんのことを話したが、それは昨日会ったかのように話すことができた。たぶん友達ってそんなもんだと思う。久しぶりに会って何を話していいのかなんてあれこれと思うことはない、友達は何年たっても何十年たっても普通に話せるから友達だ。そういえば昔、彼女とはたくさんのことを議論した。日韓の関係を話し合った時はこれで関係がおわるんじゃねえかと思うぐらいの激しい議論であった。そして時には傷つくこともあったし傷つけることもあったが、しかしそれでもそれは若さゆえに受け入れることができたし、何よりもそういう経験が若い時には必要であり、そういう経験を通してできた友達とはいつまでたってもかわらぬ関係でいれるのだろう。社会学者のジンメルは「若者の言うことは間違っているが主張することはただしい」と言っているが、若い時はたくさんのことをあれこれと議論することは大事なことだ。議論することだけが正しい生き方ではないが、しかしそういうモラトリアムには思い切り自分の存在を表現していくことも大事なことで、そういうことを主張し受け入れあっていくのは若いからこそできることであり、それはある意味若さゆえの特権であってもいいと思う。ラインやフェイスブックの返事が来るとか来ないとかそんなことはたいしたことではないだろう。私の意見ではそんなものをすぐかえすとかかえさないとかで悩んでいるようでは本当の友達とは言えない。本当の友達とは何年会わなかってもまた昨日会ったように話すことができる存在、そういう存在を私はチングと呼んでいる。

私がそのチングの影響を受けている。クリスマスには虐げられている子供や女性をおぼえてクラブの名前で募金しているのは、そのチングからたくさんのことを学んだからだ。まだまだ世の中には多くの子供や女性たちが幸せとは言えない状況の中にある。自分一人では何もすることはできないが、しかしせめてこのクリスマスにはMTオリーブフィットネスボクシングクラブを通してそう言う人たちのことをおぼえたいと思う。

今日あげた曲は中国語の曲を韓国人が歌っているのだが、ハワイはアジア人が多いのでいろいろな国の文化を知ることができる。古い曲だがすごくなつかしい。

즐거운 크리스마스를 보내세요.


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