これは私が好きな話で大学時代の話。ある女性仮にエイミーとしておくが、彼女は生まれてすぐに施設にあずけられたらしく、そのあずけられた時には名前がなくその施設でエイミーと名づけられたそうである。彼女は親から名前をもらえなかったことが彼女のトラウマになっていた。それはある意味彼女を消極的にさせていた何かであったようだ。やがて成人になり彼女は大学に入学かなり年をとってからでの入学ではあったが非常に楽しい学生生活を送り、そこで年下の男性と知り合い恋におちる。優しい人とたくさんの友達にかこまれての楽しい学園生活であったが、しかし周りが幸せであればあるほど自分の過去がひっかかる。そこで思い切ってその男性に自分が施設で育って親から名前をもらわなかった、だから名前がないんだということを打ち明けたそうだ。するとその男性はこう言った「ケンチャナヨ。神様にも名前はないんだよ。」二人は同じ教会に行っていたのだが、聖書の神には名前がない、十戒の戒めにも神が人間に対して自分の名前を持つな、名前をつけるなと言う厳しい戒めがあるのだが、彼はその神の厳しい戒めを逆手にとってジョークにしたのだ。そしてそれを聞いた彼女も笑ったそうだが、二人は笑い飛ばして過去のいやな思いでとおさらばしたのだ。私はユーモアには力があると信じている。人間が人間のことを思いやり知性を持って伝えるユーモアは本当にその人を生かす言葉であると信じているが、ユーモアがその人を気づかう気持ちと知性が感じられればその人は勇気づけられるものだ。
私がお笑いが嫌いなのは人を陥れたり、いじめたりするからだ。そういう笑いは決して本当の意味で人を幸せにすることはできないと思う。