脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

Im on a diet

2017-10-03 | Weblog

今計画していることがある。それはうちのクラブでダイエットのコミュニティをつくることだ。うちのクラブにはunsung heroes、マス部隊、女子検定をうける人たちのコミュニティなどそれぞれが目的に応じて情報交換したり教えあったり、楽しませたりしているわけだが、しかしダイエットを励ますコミュニティはない。運動でダイエットすることはすごく地道なことで、思い通りに進まなければ不安になったりくじけそうになることもある。ダイエットのコミュニティというのは少しおおげさであるが、しかしダイエットでここに来る人はすごく真剣だ。だから少しでもダイエットをしている人たちの存在をよく理解してアドバイスや情報交換、そして励ましあうことで頑張ってゴールを目指せると考えているが、ダイエットが目的の人たちのコミュニティの存在は必要だと考えている。うちのクラブは見せかけの強さは強調しない。基本的には人間は弱い。だからどこかで支えあって生きる必要があると考えている。コミュニタリアン的なスポーツクラブである。

私の好きな歌に「같은 마음」と言うのがある。直訳すると同じ心(気持ち)であるが、これは朝鮮戦争で離ればなれになる男女の物語、映画の主題歌である。一般の戦争映画と言えば、社会正義や戦争の矛盾ということをうったえるのだが、しかしこの映画は朝鮮戦争で戦地に赴く恋人の帰りをひたすら待つ女性を描いている女性視点で見ている映画である。この物語を通していえることは暴力の犠牲になるのはいつも弱いものである女性や子供だと言うことだ。格闘技には虚勢をはった人間が多い。グッズなんかを見てもわかるように威嚇したようなファッション、とにかく自分たちを強く見せようとして虚勢を張っているが本当はたいした度胸もないし強くもないだから虚勢をはったり言葉に表してごまかしているのだと思う。

私がなぜボクシングをはじめたかというのは根本的には強くなりたかったからだ。しかし強くなろうと頑張れば頑張るほどわかってくるのは自分も含めて人間は弱い、めちゃくちゃ弱いと言うことである。人間にとって大事なことは自分の弱さを知ること、その弱さがわかれば人間は弱いものを傷つけたりいじめたりはしないのではないか。人間にはいくら泣いても叫んでも自分ではどうすることもできないことはたくさんある。昔私は一度韓国人の女の子の前でこらえきれずに泣いてしまったことがある。どういうことかということは2人だけの秘密であるが、自分ではどうすることもできない不条理、その不条理に負けてはいけないとこらえるが涙があふれてくる、最終的にはくるっと後ろを振り向いてごまかしたが、怒りと憎しみしかのこらないようなみじめな涙を流せば、人間は弱い、弱いからそれを認めて支え合うことが大事だと言うことがわかるはずだ。人間は弱いからこそ支え合う、それは強者が弱者をということではなく、同じ弱いものどうしが協力してその弱さを乗り越えようとするところに本当の力と支えがある。おそらく待っている側の女性や子供はただ日常の平安がほしいだけである。本当にその弱いものやマイノリティの視点に立ったら、そういう争いはおこらないだろう。自分が強くなって助けるのではなく、自分の弱さを認めて助け支え合う、人間は一人ではない、弱さを認めて支え合い助け合うそこに共同体の強さがあると言うのがうちのクラブの考え方である。


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