最近よくKareta Kidの話をするが、この映画は私の好きな映画だ。内容はすごく単純で派手さはないが、相手をやっつけても徹底的にやらないむしろ救いの手を差し伸べて仲直りしようとする徹底した平和主義をつらぬく姿はまさに日本人の持つ武道の精神を描いている。私がこの映画が好きなもう一つの理由は、何か自分の体験と少しかぶるからである。キャストも派手さがなく平凡である。事実私にボクシングを教えてくれたのは日系人だ。ダニエルはこの空手の師匠であるミヤギに空手を教えてもらうことを通して豊かに成長していく。しかしミヤギは彼はたたけとかつけとか言った具体的な教え方で空手を教えるのではなく、自然を通して教える。まさにそれは自然と調和することで空手の原理を教えていくのだが、それは空手にとどまらず人間の生き方そのものにもバランスが必要だと言うことを教えるのだが、たぶんそのことが彼が空手を教える理由だと思う。
話はジョージの話になるが、私も彼からボクシングだけではなく多くのことを学んだと思う。今思い出すのは合気道か何かの達人とか言う知り合いのじいさんを連れてきて、今から力の有効的な使い方を教えるみたいな感じで、そのじいさんから指導をうけたことだ。そのじいさんは日本語が流暢で、はじめて会った時「君は日本人か」と聞いてくるので「おやじは韓国人だ」と言うと「そういう顔をしている」と言う。どこが違うのかと思ったが、そのじいさんにのちに言われたことなのだが、私には従順さが足りないというか言うことを聞かないそうであるが日本から来たと言う青年ならばもう少し従順だと思ったのだろう。そしてそのじいさんはパンチをうつにはどこをつかったらすばやくうてるかということを1週間かけて教えてくれた。最初「力が入りすぎだ」といきなりみぞおちにつきを思いっきり入れてきた。さらに肩を力が入りすぎだと思いっきりついてくる「なにすんのじゃくそじじい」と言いそうになったそこは我慢。しかし最後まで彼の指導をうけてパンチをうつ時に力の抜き方がわかって、その時からパンチのはやさが格段とはやくなったことは確かである。私は日系人を通して思ったことは、それは彼ら彼女らはすごくよく考えて生きていると言うことだ。おそらく移民であった彼らは苦労したに違いない、しかし彼らはその地で踏ん張って知恵を使って、調和を大事にして生きてきた。だからこそハワイでは日系人は信用があって地位が高いのだが、私はその姿を私はこの競技を学ぶことで垣間見ることができたが、本当に勉強になったし楽しかった思い出であったと思う。
はっきり言って、もし再び生まれても私は日本では絶対にボクシングなんかしない。もし仮にやったらオリンピックや世界チャンピオンになれるとしても、絶対にやらない。なぜならここでやっておもしろいと思わないからだ。私は思うのだが、スポーツと言うのは目標よりも過程が大事だ、しかしその過程と言うのは一生懸命努力して苦しいことに耐えると言うような修業のようなものではなく、どれだけそれが楽しいかと言うことで、楽しいから限界点をこえてトレーニングができる。日本人はそういう雰囲気をつくるのが下手と言うか権威主義ではそういう雰囲気はつくれないと思う。向こうの競技者が減量を日本ほどしないのは、医学的な問題もそうだが、スポーツは修業じゃないと言う感覚があるからだと思う。私の感覚ではもし再び生まれて来たらまたもう一度再チャレンジすると言うような感覚はない。ボクシングは楽しかったから、もし再び生まれても、もう一度やりたいと言う感覚である。でもここではなく私がかつて競技した場所でもう一度。