パスカルのパンセの中に「L’homme est un roseau pensant」と言う言葉がある。これは哲学の中でも私が最も好きな言葉だ。これは原文からの引用だが、読み方はestとunがリエゾンするのでエ・アンではなくエ・タンとなるのでロム・エ・タン・ロゾ・パンサン。英語のパンセにはMan is no more than a reed, the weakest in nature. But he is a thinking reed.と書かれているが、それを短く伝えてMan is a thinking reed.すなわち人間は考える葦であると言うパスカルの有名な言葉である。どういう意味でパスカルは語ったかと言うと人間は葦のように弱い生き物だ宇宙規模で見たら人間はその自然の驚異に何も対抗できないもろくて弱い存在だ。けれども人間はその弱さをあえて知っている。宇宙は何も知らないが人間はもろくて弱い存在であり、そして自分たちはやがて死ぬということを知っている。ゆえに人間は考えることができる能力がある崇高な生き物だということである。パスカルのパンセはいかににんげんがもろく弱いか、しかし人間はそれでも考えることができる、ゆえに人間は何者よりも崇高であるということを伝えた書物である。ラテン語でも人間は知性を持つものだと言っているが、パンセの理屈から言うとその知性を大事にしなくては人間性を磨くことはできない。ボクシングとか言っても色々な人が集まってくるのだから、責任者にもある程度の教育や教養が求められる。そういう教養や知性を持って群れをまとめていくことが人間的であると言える。それをおろそかにすると群れはズレてくる。特に格闘技と言うのは暴力を扱うのだから何々するなとか何々しろと言ったサルの掟に毛が生えたような体育会のルールのようなものでしばるのではなく、きちんと自分の頭で考えて行動する人間が集まることが群れの質をよくしていくものだと理解している。
TEDと言う有名なプレゼンの番組があるが、その番組で2010年にブルックリンのブラウンズビル地区に学校を創設したナディア・ロペスはこう言っている。「When I opened Mott Bridges Academy in 2010. My gole was simple, Open a school, Close a prison」端的に言えば彼女が学校を設立したのはそこではびこる腐敗や貧困をなくそうとしたからで、それらをなくすためには教育が必要だと思ったからだ。私がいたところにもいくつかジムがあったが、あまりいい地区ではない場所にあるジムにはそれなりにわるい人間がいて、そういう人間が上半身裸でトレーニングしていたのを思い出す。普通女性がいたりしたらとか気をつかえばいいのだが、教育レベルと言うのはこういうところに出てくる、説明したら問題になるのでしないが、彼らの生活をその一面で感じたことは確かである。教育を軽んじると群れの質はわるくなる。群れの質をよくし、一般の人たちが入って来やすい場にするならば教育を重んじなくてはならない、そしてその責任者が知性を重んじ教育を大切にすることで群れの質はよくなる。