脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

オリンピックの見方をかえる

2014-10-13 | Weblog

インターネットの出会い系で「Tom,handsome,vertically challenged male seeks a partner for life」と言う記事があった。
「vertically challenged male」と言うのは背がひくいということであろう。それにしても背のひくい人をvertically challengedと言う表現は笑わせるものがあるが、この表現はおもに障害を持った人たちに対してつかわれる言葉であり、障害をdisabilityととらえるのではなく特性としてとらえていこうと言う試みからこの言葉を使うようになった。
前にブログで義足のランナーであるエイミームーランと言う人をとりあげたことがある。
その彼女が講演で自分の人生をふりかえってこういっている。
「逆境と言う言葉は避けるべき言葉ではない。自分の人生の一部だ。それは影のようなもので、それを乗り越えていこうとするのではなく自分がそれに向き合って踊るようなものだ。逆境とはまだ対応できていない変化である」
まあこのブログは「accepting yourself and admitting your weakness」を見てくれたらさらに私の主張したいことがわかるのだが、人間がその弱さを受け入れ、そしてそれを認めて前向きに前進していく姿と言うのは今最も尊ばれる言葉である。その力は生きていく上での本当の力となり、それは人を突き動かす大きな力になると信じているが、彼女のようにそういう生き方をしている人たちにとってのchallengedと言う言葉はからまわりした言葉ではなく、その生き方にふさわしい言葉であると信じている。

あと6年でオリンピックが開催されるが、しかし今のところ日本のアスリートはうっとうしい人間が多い。
理由はスポーツバカが多いからだ。ひとつのことしかできないようなバカがテレビと言う公共の電波を通して部室で話すようなくだらない発言をすることにたいして非常に不快感を覚えるのだが、最近ではお笑いのようにうけをねらっているような奴もいて、そういう奴に茶の間が好感を持ってしまうのだから恐ろしい話だ。
日本はなぜこういう一つのことしかできないような人間を特別扱いするのかわからない。
はっきり言って彼ら彼女らが何をしたのか知らないが、私から見ればただ好きなことをしてきただけの話で、ただそれが人よりも上手だっただけの話ではないか?
私はこういう奴らを英雄化するよりも障害を持ってそれと向き合って乗り越えてきた人たちをもっと尊重しテレビなどで取り上げるべきだと思っている。

メダルか何か知らないがただ好きなことをやって来たような人間から何を学べと言うのか?確かに謙虚になって考えれば何か学ぶことがあるのだろうが、しかしどのスポーツ選手もやっていることは同じことで、ただ頑張れと煽っているだけ。サクセスストーリーのようなものは茶の間でうけるのでただそれを英雄視して視聴率を稼いでいるにすぎない。
それよりもむしろ今必要なのは、自分の弱さやディスアドヴァンテージを認めてそれとどう向き合っていくかということである。強く生きるためにはそういう力を蓄える必要がある。だからこそ私はパラリンピックをもっと興味をもって取り上げる必要はあると思っている。

スポーツと言うのは人間が成長していく上では大事なものだが、しかし人間はバランスをもって生きることが必要だ。スポーツだけでは絶対に人は成長しない。
成長するためには、エイミームーランの言葉をかりれば、自分の弱さを受け入れそれを認めて変化を求めること、そして変化を求めるためには視点を変えることも必要だ。








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