「Et tu Buute」
これは韓国人の後輩に言った一言だ、彼には非常に親しい後輩がいて、いつも彼はその後輩のことをほめる、あいつはすごく才能があって、英語も堪能で仕事がまかせられる男なんですよと、聞く話によると彼はよくその後輩を食事に誘って、家によく招くそうである。話を聞いていてあまりに彼がその後輩のことをよく言うので、こう言った。お前ところで「Et tu Brute」って言葉知ってるか?
これは英語のことわざとなっているが、ラテン語で「ブルータスお前もか」カエサルが寵愛していたブルータスに裏切られ、さされて彼に言った一言である。
人間は与えられすぎると感じなくなる、愛情なんて言うのは、特にそうで、あまり相手に与えすぎてみかえりを求めないと、その与えてもらっていることに感謝しないで、逆に今度はやってくれないと、なぜやってくれないんだと不満になり、それが裏切りの原因ともなる。
私はその後輩に与えすぎるな、与えすぎると裏切られる、そんなことよりもパートナーなんだからギブアンドテイクの関係をしっかり結べ、お互いが持ちつ持たれるという関係では、お互いが成長する、一方が与えて一方がそれを受けるだけでは成長しない、例えば君は彼がピンチの時に、彼を助けてやったらそれを満足するだろうが、恩と言うのは3日で忘れてしまうものだ、与えられるだけでは人間は成長しない、助けられたりおごってもらってばかりで、自分が役に立たないと思えば人間は離れていく、特にできる人間はそうだ、君が上司であればむしろ彼に6割以上のことをさせて、彼が役に立つということをアピールしてやればいい関係がつくれるんじゃないか、あの歴史的にも偉大で人心掌握にすぐれていたカエサルであっても人に裏切られることもある、この言葉はまさに人心掌握の難しさを語ったもので、それだけ人間と言うのは複雑である。
「ピョルロ」
これは韓国語で「別に」とか「いまいち」と言う意味。
この言葉は「いまいち」と言う意味でつかわれる時はピョルロ チョア ハジアナヨ(あまりよくありません)のように副詞で使われる言葉だが、しかし日本語でもう一歩と言う時の「いまいち」のようにもつかわれる。
その後輩が夏にあった時に、ゆかたを買ったらしく、家族で着ている写真をどうですかにあいますかと見せてきた。
「お前の奥さんと娘はいいが、しかしお前はうーんピョルロだ、着物は高いけどゆかたならリーズナブルで失敗してもそう損害にはならん」と言ったら本気でおちこむ、その後食事をおごりなだめるのに苦労したが、本気でかっこいいと思っていたのだろうか?
「They are no more intelligent than monkeys」
これはスポーツしかできないバカにおくった言葉だ、no moreだとサルよりもバカで、no lessだとその反対の意味になる、比較でよく間違える文法である。
あいさつしろとか、くつをそろえろなんて言うようなことはサルでもできることだ、いい大人がもっと高度なことを言えないのかとさえ思ってしまうが、こういう稚拙なことを黄金律のように言う奴が居るから、本当に大事なことに目を向けることができない、スポーツクラブは小学生並みの道徳しか持てないと言われるのだ。
今やスポーツも人権や差別などいろいろなことを考えて、そしていろんなことを基準にしなくてはいけない。なのにあいさつしろとか、くつをそろえろとか、アホかと思う、こいつらは今世界でどういうことがおこっているのかということに多少なりとも関心があるのだろうか?
いい年をしてボクシングマガジンみたいな雑誌しか読まないようでは恥ずかしい、新聞や本を読まないような奴がワンピースなんか見るな、こういう基準でしか物事を見れない奴は時として子供の害になる、英字新聞には毎日のように未だ戦争があり、民族紛争がおこってそれに苦しめられている人たちの記事を見る、さらにジェンダーや性格の問題などスポーツクラブが取り上げて考えなくてはならないことはたくさんある。ロンドンオリンピックでロンドンをはどこにあるかと聞かれて、中東あたりを指したバカアスリートがいたが、非常に恥ずかしいことだ、こうならないためにももっと深く世の中のことを知る、世界と言うことを一番意識するのはスポーツなのだから、せめて指導者がもっと勉強して、子供にいい刺激を与えることが必要だ。