私はバイレイシャル(二つの民族を起源にもつ人間)である。
言語もいくつか話せるし、日本以外の文化も知っている。
だからスポーツなどで応援する時は、必ずしも日本を応援するわけではない、複雑だがそのスポーツによって応援する国が違う、野球は韓国で、サッカーも向こうであったが、しかし最近は日本を応援している、そして今スケートの世界選手権が開催されていて、私は個人的な理由で浅田を応援していることをブログで書いたが、韓国ではヒールである彼女は私の置かれている立場とオーバーラップするのか、日本人選手で唯一がんばれと思う選手であるが、本当に心からオリンピックで金妍児をうちのめしてほしいと願っている。
しかしことボクシングはと言うと興味がない、チャンピオンとかいう人間の名前も顔を知らない、たぶんあってもわからない、さらに言えば私は辰吉以外の日本人は応援しない、正直な話し、経済的に発展途上のボクサーが試合に出てくると、日本人選手をたたきのめしてベルトをとってやれというぐらいの気持ちになるのだが、私は日本のボクサーが好きではない、日本語もまともに話せないチンピラみたいな奴、引退後のことを考えて、お笑いにいじられて喜んでいる奴などを見ると、本当にこいつらプライドがあるのかと疑ってしまうが、テレビに出てくる日本のボクサーはほとんどそういう人間であるからだ。
前に「俺が世界を変える」と豪語していたボクサーがいた。すごい自信たっぷりに、勢いで言うのはわかるが、しかし世界を変えるためにはまず言葉をおぼえなくてはならない、さらにこのボクサーはよくお笑いにいじられていたが、パッキャオと言うフィリピンのボクサーが母国に何をやっているということを知っているのだろうか?はっきり言って自分をうってお笑いにいじられている人間とはスケールがちがう、まあこんなことを言うのはおこがましいが、世界を変えるというのであれば、まず世界と言うものがどういうものかということを知らなくてはならない、そのためにまず言葉をもたなくてはならない。
スポーツ選手であるからこそできることがある、有名なモハメッドアリは反戦のため、そして黒人差別のために戦ったし、パッキャオも母国の貧困と戦っている、今やスポーツ選手と言うのは影響力があるのだから、公に世界と言う言葉を使う時、世の中の情勢と言うものをしっかり踏まえて発言しなくてはならない。それはボクサーだけではないが、バカなスポーツ選手のインタビューを聞いていたら、井の中の蛙大海を知らずだ、オリンピックなどで世界に出て行こうとするならば、もっと世の中の動きをよく見て、知る必要があると思う。
話は少し飛ぶが、それでも私は彼は尊敬できるというボクサーがいる。
初めに名前を出したが、辰吉である、私は必ずしも彼の考え方に賛成するわけではないが、しかし彼は潔いし、しっかりとプライドを持っている、最近のインタビューでも、ろれつこそはまわってはいないが、言っていることはまともだ、ぶれない彼の生き方は本物だと思う。
ただこういう偉大なボクサーが引退後、どう生きるかと言うことで躓くことがあれば、それはボクシング界が恥ずべきことである、恥ずべきこと言うのはファイトさせるだけファイトさせて、あとは責任をとらないと言うことだ、私はスポーツと言うのは一生できるものではないのだから、スポーツ選手にはそれなりの教育と言うかプログラムが必要であると考えている。
実際先進国でスポーツを考える時、スポーツは人生の中のある期間のものであると考える、アメリカではTPPと言う、スポーツ選手が引退しても社会で生きていけるように導いていくプログラムがあるのだが、もし彼がファイトするのも、それしかのこされていないというのなら非常に痛ましいことで、そういう引退後の生活と言うことも考えてプロを育成していく必要があるのではないか、競技のレベルを上げるとか言って、子供のころからばんばん頭をなぐるのもいいが、しかし競技者の将来と言うものをよく考えて、人権と言う基準に立ってスポーツを考える、はっきり言って日本のスポーツ界はこの人権に対する考え方が希薄であると思う。
言語もいくつか話せるし、日本以外の文化も知っている。
だからスポーツなどで応援する時は、必ずしも日本を応援するわけではない、複雑だがそのスポーツによって応援する国が違う、野球は韓国で、サッカーも向こうであったが、しかし最近は日本を応援している、そして今スケートの世界選手権が開催されていて、私は個人的な理由で浅田を応援していることをブログで書いたが、韓国ではヒールである彼女は私の置かれている立場とオーバーラップするのか、日本人選手で唯一がんばれと思う選手であるが、本当に心からオリンピックで金妍児をうちのめしてほしいと願っている。
しかしことボクシングはと言うと興味がない、チャンピオンとかいう人間の名前も顔を知らない、たぶんあってもわからない、さらに言えば私は辰吉以外の日本人は応援しない、正直な話し、経済的に発展途上のボクサーが試合に出てくると、日本人選手をたたきのめしてベルトをとってやれというぐらいの気持ちになるのだが、私は日本のボクサーが好きではない、日本語もまともに話せないチンピラみたいな奴、引退後のことを考えて、お笑いにいじられて喜んでいる奴などを見ると、本当にこいつらプライドがあるのかと疑ってしまうが、テレビに出てくる日本のボクサーはほとんどそういう人間であるからだ。
前に「俺が世界を変える」と豪語していたボクサーがいた。すごい自信たっぷりに、勢いで言うのはわかるが、しかし世界を変えるためにはまず言葉をおぼえなくてはならない、さらにこのボクサーはよくお笑いにいじられていたが、パッキャオと言うフィリピンのボクサーが母国に何をやっているということを知っているのだろうか?はっきり言って自分をうってお笑いにいじられている人間とはスケールがちがう、まあこんなことを言うのはおこがましいが、世界を変えるというのであれば、まず世界と言うものがどういうものかということを知らなくてはならない、そのためにまず言葉をもたなくてはならない。
スポーツ選手であるからこそできることがある、有名なモハメッドアリは反戦のため、そして黒人差別のために戦ったし、パッキャオも母国の貧困と戦っている、今やスポーツ選手と言うのは影響力があるのだから、公に世界と言う言葉を使う時、世の中の情勢と言うものをしっかり踏まえて発言しなくてはならない。それはボクサーだけではないが、バカなスポーツ選手のインタビューを聞いていたら、井の中の蛙大海を知らずだ、オリンピックなどで世界に出て行こうとするならば、もっと世の中の動きをよく見て、知る必要があると思う。
話は少し飛ぶが、それでも私は彼は尊敬できるというボクサーがいる。
初めに名前を出したが、辰吉である、私は必ずしも彼の考え方に賛成するわけではないが、しかし彼は潔いし、しっかりとプライドを持っている、最近のインタビューでも、ろれつこそはまわってはいないが、言っていることはまともだ、ぶれない彼の生き方は本物だと思う。
ただこういう偉大なボクサーが引退後、どう生きるかと言うことで躓くことがあれば、それはボクシング界が恥ずべきことである、恥ずべきこと言うのはファイトさせるだけファイトさせて、あとは責任をとらないと言うことだ、私はスポーツと言うのは一生できるものではないのだから、スポーツ選手にはそれなりの教育と言うかプログラムが必要であると考えている。
実際先進国でスポーツを考える時、スポーツは人生の中のある期間のものであると考える、アメリカではTPPと言う、スポーツ選手が引退しても社会で生きていけるように導いていくプログラムがあるのだが、もし彼がファイトするのも、それしかのこされていないというのなら非常に痛ましいことで、そういう引退後の生活と言うことも考えてプロを育成していく必要があるのではないか、競技のレベルを上げるとか言って、子供のころからばんばん頭をなぐるのもいいが、しかし競技者の将来と言うものをよく考えて、人権と言う基準に立ってスポーツを考える、はっきり言って日本のスポーツ界はこの人権に対する考え方が希薄であると思う。