脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

口がしびれる

2012-05-09 | Weblog
うちは3人家族である。
日曜日は外食が多いのだが、時々近所の回転ずしに行く。
いつも食べた後に気付くのだが料金が回転ずしにしては高いのだ。ひょっとしてぼったくんのと違うんかと思って、この前行った時にチェックしたところ、なななんとうちのせがれの注文しているすしが、赤い皿や金の皿で高いネタのすしではないか、子どもだったらウインナー巻とかあるやろと思ったが、何も考えずにそういう皿を注文し積み上げていく、だいだい色や青の皿ばかりねらって食べている俺の苦労はどうなるんじゃと思ったが、どうやらこれが理由を表すwhyであったようだ。
この話を同じ年頃の子供を持つ会員の人に話したところ、笑って「それはいけませんな、赤い皿を食べたら口がしびれるとか言うのはどうですか、うちは家族が多いからそんなことをしたら大事ですよ」と半分冗談交じりに言っていたが、ひょっとしてこの人、子供の前で「口がしびれたー」なんて芸をしたのかなあと思いつつ、しかしうちの子は今5年なので、そんなことを言ってもわかるので、もっと小さい頃に口がしびれるぞと言っておくべきだった。

巷では子育ての会と言うのがあるらしい。
これはおもに子育てに悩むお母さんたちのためのものであるが、そこは核家族化して子供と一人で向き合うお母さんたちが、集まって自分の悩みをうちあけたり、子育ての方法などを研修する場である。
オリーヴも30代半ばから40代の人たちが多く在籍しているので、そういう人たちが集まれば自然と子供の話になる。子供が野球チーム入った話や思春期になって少しとまどっているなどという話をするのであるが、私はこういう機会が生まれることはたいへんいいことだと思っている。
そういう話ができれば雰囲気もそういう世代の人たちが来やすくなるし、ひょっとしてもしそういうことで悩みをかかえている人が、そこで何かヒントを得て助けられる機会も出てくることもあると思っているからだ。

ここは社会人が集うボクシングクラブである。
だから誰も将来何とかチャンピオンになるなんていうような目標などもっていないし、むしろここではこれをすることでボクシングと言う趣味が、その人たちの生活や仕事に生かされると言うことを目標にしている。
ここに来る高校生のほとんどは受験を控えている子供である。
私は入会にあたって高校生あるいはお母さんに、まずパンチが与える脳の危険性を説明してから、ボクシングを受験に生かすこと、よく勉強とスポーツの両立と言うことを言うが、しかしここではボクシングをすることで、勉強の効率を上げていくような仕方で、競技すればいいということを言っている。
ボクシングと言うのは所詮スポーツである。そしてスポーツは楽しむことが目的であって、その楽しむと言うことができれば、勉強などの息抜きや受験のための体力づくりができる、そういう意味でボクシングをすることで勉強の効率をあげるようにと言っているのだが、それは社会人と仕事そして家庭の関係についても言えることである。

しかし楽しむと言ってもそれで強くなって、俺は何とかチャンピオンだとか、何とか何位だと言うようなくだらない肩書を振りかざして、小さな優越感にひたることではない。
まずこういう競技人口が少ない種目で偉そうなことを言っても意味がない、だいたいそういうことを自慢する奴に限ってコンプレックスのかたまりだと思うが、楽しむと言うのはあくまでそれが趣味だと言うことを徹底させることであるが、そのことを徹底させるためには、しょうむない価値観でかたまって、これが一番などと言う考え方を持たない、雰囲気を出さないことが必要だと思っている。
私から見て、日本のボクシングは武道に近い。厳しい減量して試合に挑むと言うような考え方はまさにそういう武道的なストイックな考え方から来ていると思うのだが、体をしぼるならまだしも体重をへらすことで、競技それ自体が有利になるなどと言う考えはどこから来たのだろうか?
おそらく科学的には何の根拠もない事であろうと思われるが、逆にこういうことを成長期にすることは無謀なことだとわかってやっているのだろうか?ひどい奴は高校生にきつい減量を強いらせるらしいが、こういうことは文部科学省的に大問題だが、わかっているのかわからないが、たいした根拠もないのに成長期に減量などを強いるのは、まさに意味のない精神論を振りかざしているだけで、もし高校生など成長期の子供が1か月で5キロ以上の減量をすると言うならば、それをさせないようにするのが適切であり教育的配慮であると思うのだが、それでも減量もひとつの戦いだとバカなことを言うのだろうか?
おそらくこういう雰囲気と言うか、間違った考え方が支配している限りは、ボクシングは純粋にスポーツとして楽しめない。以前そういう輩たちに対して、教育レヴェルがひくいと言っていた人がいるが、これは全くうなづける、子供のボクシングや無理な減量なんかは常識で考えたらわかることで、こういう奴らに教育的配慮なんていくことは考えられない、そこにあるのは監督や先輩がそういっているからそうだというような師弟関係やへんに結びつきの強い仲間意識であって、一般的な考え方ではない。
おそらく医療関係者はもちろんのこと、子供にボクシングさせるのはあぶないやろと思っている人はたくさんいるし、なぜ減量することが有利になるのかと言う疑問を持った人もたくさんいると思う。
普通一般的にはそういう考え方が多いので、そういう人たちは競技目的でボクシングをしないさせないのであるが、しかしもう少しこのスポーツが一般的に認められたかったら、そういう一般的な常識と言うものをよく理解しなくてはいけないと思うが、こういうことも含めてこちらが常識的な配慮をすることも社会人にとってボクシングを楽しめるひとつの条件だと思う。

合衆国憲法にこういう法がある。
「neither slavely nor involuntary servitude .....shall exist whitin the United state, or any place subject to their jurisdiction.」
奴隷制や自発的な隷属はアメリカ合衆国内およびその法がおよぶいかなる場所も存在してはならない。
特に注目したいのはinvoluntary servitudeという単語で、これは自発的な隷属と訳されているが、しかしこの言葉、強制的あるいは無意識の隷属とも訳せる。
oxfordの辞書でも「without you intending it or being able to control it」とまず出てくるので、この言葉は本人が意識しているかいないかにかかわらずということであるが、私はこういう言葉をつかうということから、奴隷制と言うのは本人がどう思っているのかにかかわらず、それは悪であり、なくすべきものであると言う徹底した態度があらわれているように思えるが、おそらくスポーツの世界でヒエラルキーの中で支配されている人たちもそうだ、はい、はい、はいととにかく返事をしているクラブでは、無意識に隷属させられていないのだろうか?その世界に一度入ってしまえば当たり前かもしれないが、しかし学問的な考え方や常識と言うものに照らし合わせて、こういう考え方や世界は狭いとかこういうことはおかしいと考える必要はあるのではないかと思っている。
















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