脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

今日は3部作

2012-04-02 | Weblog
「ソムリエ修行中」
私の友人のアジア人はソムリエを目指している。
この前も英国だったか、フランスでそのソムリエの試験があって行ってきたと言っていたが、結果は不合格どうやらワインのテイスティングの試験でおとされたらしい。
それにしても味覚ならば西洋人よりも東洋人の方が優れていると聞いたのだが、なんでもその理由は味覚を感じる神経が西洋人よりも東洋人の方が多いらしいそうだが、しかし彼曰くテイスティングの試験がうまくいかないのはもともと自分が優柔不断だからそうで、あれこれとワインの味を悩んでしまい、それが結果として判断力をにぶらせているようなことを言っていた。
私は下戸なのでワインなど飲む機会はないが、しかし外国人の友人はワインが好きで、集まると必ずテーブルにはワインが出る。これはフランス人が言っていたのだが、彼曰く(彼曰くだ)日本人のワインの飲み方はアカンらしい。なぜならワインと言うのは味だけではなく香そのものも味わって飲まなくてはいけないそうで、日本人がレストランなどで食事をしながら、ちびちび飲んでいるような飲み方は、ワインの味を楽しんでいないと言っていた。
何を偉そうにと思ったので、それじゃあどういう飲み方が正しいのだと言うと、おもむろにワイングラスをとってワインを入れ、うどんを吸い込むような感じでゴゴゴーっと吸い込むようなかたちで飲んでいく。
なんといっていいのだろうか、彼の吸い込むようなゴゴゴーッという飲み方は、味わいとテイスティングがうまくマッチしていて、決して行儀がいいとは言えないが、納得されられてしまった。
その後実際に私も真似をしたのだが、しかしワインの味がわからないどころか、酒さえも飲まない人間がそういうことをしたらどうなるか目に見えている。
彼のように吸い込んだのはいいのだが、その吸い込んだワインが器官に入り、ばあっとワインを口からふきだしてしまったが、これは日本人にはまねできない芸当である。
さらに私は彼から教えてもらった飲み方を、話のタネにとこの男に教えてあげたのだが、彼は確かにテイスティングを兼ねた飲み方だ、そう思ったのだろうか、そういうソムリエ修行中の友人たちに何かの会みたいなので実践したそうだが、結果は私と同じ、みごとひかれたらしい。
実際通な人間はそういう飲み方をするのか、しないのかはわからないが、しかし味と香を楽しむということでは理にかなったの見方だと言えるであろう。

「ハワイでの出来事」

友人宅の食事に招かれた私は、食事までの間リビングルームでくつろいでいた。
リビングルームには小学生の低学年ぐらいの子供がいる。
低学年に見えるがひょっとしたらもっと幼いかも、一般的に東洋人は若く見られるのでそう思ったが、しかしテレビを見ていたその子の一言で、さらにその子が低学年だということが分かった。
何を言ったかと言うと。
「ダーディ~」
「ワット」
「性的暴行って何??」
「............」
こういう光景は日本でも親と子供の間でよくある。
普段聞きなれていない性的な言葉を聞いたこどもが、それはなんだと聞くのであるが、そういう言葉に限ってどういうわけか耳に残るのである。
しかし昔は単なる人間の性をあらわす言葉であったが、最近性的虐待など、こういう言葉は性教育だけではなく、社会的な正義に基づいて説明する理由があるからたいへんだが、日本でもアメリカでもこういう時、気まずい空気が流れるのは同じである。

「近代スポーツ」
グローヴァリゼーション化が進みスポーツの見方も変わってきた。
スポーツの近代化とは一体何なのだろうか?これについての見解は後程くわしく書くことにしたいが、それは以前にも言ったようにアカウンタビリティーの問題、昔のようにただ言われたことをやれというのではなく、この練習は何のためにするのかということを説明する義務が教える側にあるということで、それは何も技術的なことに限らず、安全面や健康面についても言える。
もう以前も言ったが未成年のボクシングについても言えることだ。
医学的にも子供の頭蓋骨はやわらかいので、ボクシングなどのコンタクトスポーツを行えば将来的に障害が出るおそれが高いということが決定的になっている今、競技させることは極めて困難なことで、もしさせるのであればそのことを十分に親に説明する義務があると思うのだが、そこで軽くあてているとか、注意してみているというような中学生の不良のようないいわけをする奴がいるが、そういう言葉はうさんくさく、アウトローくさい言葉で、もう少し医学的な根拠をもってこれぐらいなら大丈夫だということを説明すべきである。
さらに安全なのはヘッドギアをしているとかグラヴは大きめのをつかうという奴もいる。
しかしオンスを大きくしたり、ヘッドギアが脳の衝撃をやわらげている根拠は科学的にはなく、こういういいかげんな説明をすること自体常識にかけることである。
今おそらくスポーツ関係の専門書は技術的なことよりもむしろ、健康や体の管理、そしてケガのことについて多くのページをさいている。そう考えると子供になぐりあいをさせたり、減量させるなんてさせるということはとんでもないことであるが、こういうことに対する対応のまずさというのは、近代スポーツ化できていなことかもしれない。

 



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