この前ふとした話から自分は滅多に泣かないというと、ある人がそんなこと想像できないと言った。確かにここ20年ぐらいはジーンとくることはあっても泣いた記憶がなく(しかしそうだからと言って無感動とか冷たい奴ではないが)、泣いた事と言えば向こうに行ったとき、初めてのスパでパンチがあたらず悔し泣きをしたことぐらいで、(実際その事が自分を大きく変えたが)そう簡単には泣いてはならないという気持ちが私の中にある。男が(と言えばフェミニズムに興られるが)涙を流すときそこには大きな理由がある。私もこの世界で悔し泣きをいくどとなく見てきたが、一生懸命全力でぶつかっていく人間の涙は、のちに大きなに変えていく力があるように思える。今悔し泣きにしても、感動にしても安価な涙が多くなったように思える。ちょっとしたバラエティで作り物の話に感動するのは、私なりに考えてばかげたものだと思う。涙は人間が与えられた感情の中でも最も高価なものである。そしてそれは一生懸命生きる人間の心の糧となる賜物であるかも知れない。
goo blog お知らせ
最新記事
最新コメント
- 勘助/MOB 女子ボクシング
- ラッキースター 佐藤/審判は難しい
- 勘助/審判は難しい
- ラッキースター 佐藤/女王様スパ
- 勘助/汝自身を知れ
- 勘助/oyaji club
カレンダー
バックナンバー
ブックマーク
- goo
- 最初はgoo