そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

第五福竜丸最後の生き残りの大石又七さんがなくなっていた

2021-03-21 | 

1954年(昭和29年)3月1日に、ビキニ環礁でのアメリカによる水爆実験「キャッスル作戦」に巻き込まれて、マグロ漁船第五福竜丸が被爆した。3月1日は、”ビキニデー”として記憶されるが、20歳で被爆した最期の生き残りの大石又七さんが、今月7日に亡くなっていたことがわかった。忘れ去られようとするビキニデーの翌週であった。
アメリカの核実験は公表されることなかったので、日本の多くのマグロ漁船が被爆していたことがわかっている。アメリカの資料から500ミリシーベルト域で作業していたであろう日本の漁船は70隻に及ぶ。日本国内では、原爆マグロをガイガーカウンターで測定し廃棄するニュースが流れていた。
第五福竜丸では、機関長の久保山愛吉さんが半年後に亡くなられている。広島長崎に続く第三の被爆者と言われた。その後第五福竜丸の乗員は全員が、何らかのがんで亡くなられている。大石又七さんは十数回手術を受けながら生き残って語り部をされていた。上図みれば周辺の島々にも知らされることなく通常の生活をやっていて、多くの被爆者を出しているが、これもアメリカは認めていない。
当初アメリカは放射能は海水で無害になると主張していた。日本では民間の専門家たちが調査団を組み俊鶻丸に乗船し貴重な調査を行ていた。海洋汚染は歴然とあり、食物連鎖も確認されているあ。
第五福竜丸では積もる灰をあびている。第五福竜丸の乗船員にアメリカは200万ドルを支払って、これで終わりにした。その後の治療やがんの発生な廃棄されていたが、何より周辺の被ばく汚染の事実すべてを、この200万ドルでチャラにした。口止め料である。被爆したと思われる船の漁船員は圧倒的な比率で発がんし亡くなられている。現在でも被爆者たちは、日米間政治的な決着で、被爆を認めていない国への保障を求めている。下図は昨年のものである。
アメリカへの隷属はこの時受け取った200万ドルに始まる。この事実を覆い隠すために始まったのが、原子力の平和利用である。日本では正力松太郎と中曽根康弘がこれに乗って、日本の原子力発電への道が開かれた。アメリカの後押しである。
第五福竜丸の船体の放射能汚染は現れ再利用されていたが、東京の夢の島の隣の埋立地に打ち捨てられているのを再発見され、保存運動が起きて現在は、東京都立第五福竜丸展示館(夢の島公園)に永久展示されている。大石又七さんが亡くなられて、貴重な存在となった。


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