路の途中

35歳からジョギングを始め、今もゴールを目指してさまよい続ける市民ランナーの記録。

平日のラン復活か?

2008年05月31日 05時15分24秒 | Weblog
○平日夕方ランニング
 「仕事が忙しくて走る時間が取れない。」というのは見方を変えればいいわけです。どうしてもやりたいこと、又はやらなくてはならないことは万障繰り合わせてでも必ずやります。
 例えば、ブログで大会完走記をアップすることは眠くても書きます。虫歯が痛かったら仕事を休んででも歯医者に行きます。
 「仕事が忙しくて・・・。」とか、「とても疲れていて・・・。」というのはただの言い訳だということがはっきり解ります。本当はそれがやりたいわけではない。もしくはやらなければ行けないことではないのです。

 前置きが長くなりましたが、野辺山以後ずいぶん休養してダメージ回復に努めてきたのでようやく「走りたい」という気持ちが復活してきました。つまり「忙しくても走る。」です。
 木・金と連続で夕方のホームコースを走りました。
29日の走行距離 5㎞ 月間走行距離 208㎞ 年間走行距離 1301㎞
30日の走行距離 5㎞ 月間走行距離 213㎞ 年間走行距離 1306㎞
(しかし、100㎞完走してるのに月間走行距離が213㎞ってどういう事?)
 夕方のホームコースには、虫が大量発生していて走りづらいです。

今日はこれから、休日早朝出勤をして残務を片づけてきます。

野辺山完走記14(完結編) 野辺山から学んだこと2

2008年05月29日 23時33分11秒 | Weblog
○野辺山から学んだこと2 (今年の野辺山から学んだこと)
 長い長い完走記もいよいよ完結編です。

 昨年は初めての参加ということで、本当にたくさんのことを学ばせて貰いました。特に印象に残っているのは「歩いているのは、戦っていること」ということだった。大会中に歩いている人を見て「情けないなぁ。」と思っていた自分。自分が歩かなくてはならない状態(膝痛)になると「歩いているのはコースと戦っていることなのだ。」という当たり前のことに気がつきました。自分の中の差別意識に気がついて愕然とすると共に、そんなことに気がつかせてくれた野辺山に感謝をしました。

 今年は、①何故野辺山に戻ってきたのか。
 昨年のリベンジということも大きな理由ですが、前日説明会を受けていて気がつきました。いつもは日本全国のどこかでそれぞれが仕事やランニングや家庭生活を楽しんだり戦ったりしている人達が、明日はウルトラを走るという同じ立場のランナーとして一堂に会するというこの特殊な空気。リラックス感と緊張感の混ざったこの雰囲気を味わいたくて来たのではないだろうか。続く前夜祭と合わせて何とも言えない共通の目的を持った集団の一体感なのだ。
②不可能と思えることを可能にする→ゴールに連れて行くのは「自分の心」
 これは坂本さんの言葉。野辺山の100㎞のコースを14時間以内に完走するという目標を達成するのは肉体だけでは出来ない。やり遂げようという意志なのだ!と勝手に解釈した。勿論14時間、ひたすらにそう思ってきたわけではなく何度と無く弱気になったこともあった。でも、最後にはここに戻ってきた。「ゴールに自分を連れて行くのは自分の心。」諦めなければ願いは叶う。(なんかTDLのミッキーマウスのせりふに似てる?)
 ランニングに関することだけでなく、人生の様々な課題に関する黄金のルールのような気がする。
③他のランナーとの交流
 長い旅を共にするランナー達と励まし合いながら走り続ける一体感。こんな楽しみ方はウルトラでしか味わえないと思った。
④完走する喜び
 完走とリタイアでは天と地の差。リタイアでもその人にしか味わえないドラマに会えるのは、それは確かなこと。でも、完走することは素晴らしいことだと完走して思った。
 

走行距離とそば食べ放題

2008年05月28日 23時09分46秒 | Weblog
○走行距離
 久しぶりに普通の記事に戻ります。
 野辺山前後の走行距離をアップしていなかったのでまとめてアップします。

15日の走行距離 5㎞ 月間走行距離 86㎞ 年間走行距離 1179㎞
            何でこんなに少ないんでしょうね。
17日の走行距離 5㎞ 月間走行距離 91㎞ 年間走行距離 1184㎞
 出発前に朝5時から軽いジョグ。
18日の走行距離 100㎞ 月間走行距離 191㎞ 年間走行距離 1284㎞
その後、約1週間ノーランでした。
24日の走行距離 8㎞ 月間走行距離 199㎞ 年間走行距離 1292㎞
 福祉村 4周 1周目キロ6分 2周目 キロ4分半 3・4周目は鈴智さんとキロ5分半ぐらい。
27日の走行距離 4㎞ 月間走行距離 203㎞ 年間走行距離 1296㎞
20Mの往復持久走と軽いジョグ

 野辺山以後は回復に努めています。・・・本当は走る時間が取れません。本日は午前7時から午後8時近くまで勤務。前残業と後残業と合わせて4時間以上。こんな日が何日も続いています。
 今朝は、散歩10分ぐらいしかできませんでした。明日の朝早く起きてジョグできるように早く寝なくては。

○そば食べ放題
 夕ご飯は外食。家から車で5分ぐらいのそば「小諸」。水曜日は1000えんでそば食べ放題のイベント有り。迷わず注文しました。(ふだんでも、せいろそばを注文すると400円増しで食べ放題に!)お代り3人前の計4人前でもう満腹。ちょっと残念だがこの辺でゆるしてやりました。(お代りを待つ間にかみさんのカツ丼や息子のカレー丼をつまみ食いしていたからでしょうか。)
 おそば自体は意外と美味しく近所ではお勧めです。

野辺山完走記13 ゴールから帰宅まで

2008年05月26日 06時22分36秒 | Weblog
○ゴール後
 ゴールの直前には訳もなくあふれそうになる涙。ゴールした時にはやり遂げたという安堵感で一杯。笑顔でゴールすることが出来ました。
 ゴールすると「そこのゲートで写真撮りましょう」とうめさん。「おっと。」メダル貰うのを忘れていた。メダルを一杯持ったおばちゃんに手を伸ばして金メダルを無事に貰うことが出来ました。
 うめさんに預けておいた野辺山ジャンバーを羽織らせて貰い、メダルをかけて記念写真。(ガッツポーズをしたつもりだったんですが、改めてみると雄叫びを上げているように見えます。きっとテンションが上がっていたんですね。)
 その後、温かいおそばを持ってベンチで完食。それでも、制限時間まで5分程残っていたので、「ゴールでランナーを応援してきます」と言って移動。
 今、ゴールを目指している人達は、たぶん最後に抜かしてきた人達。声の限りに応援し続けました。
 昨年は、リタイアした後に100㎞完走してくるランナーに尊敬の念を持って応援していました。完走する側に移っても、完走するランナーに対する尊敬の念は変わりません。更に、共通のというか仲間意識のようなものも目覚めました。
「中央高速渋滞しているから急ぎましょう。」ということで、うめさんの車の後部座席に乗り込み、走る車の中で着替えをしました。離している途中で、42㎞の荷物を受け取っていないことに気がつき、戻って貰いました。
 体育館の中で荷物を受け取り戻ってくる途中、ゴールの横を通ると、まだ15分程しか経っていないのに、辺りは暗くなり撤収作業が進んでいました。時間というものは非常なんだなぁと改めて思いました。

 帰路では、談合坂SAにより、夕ご飯を食べることに。私はかつ煮定食。しっかりと完食しました。丈夫な胃袋に生んでくれた母に感謝しました。

 午前3時に起床し、14時間近く走った事もあり、疲労で車中ではまぶたが重くなり何度も意識がなくなりました。(寝てたと思います。うめさんスミマセンでした。)

 11時過ぎに無事に自宅に送り届けていただきました。
 軽くシャワーを浴び、洗濯物を洗濯機に放り込み、ブログで完走速報をアップしました。一人乾杯のビールは一口しか飲むことが出来ませんでした。12時前にはぐーぐーぐー。翌日は6時頃起床し通常通りの勤務をしました。

 来年私とうめさんと両方とも完走したら誰が運転して帰ってくるのでしょう。やはり、少し心配になりました。


野辺山完走記12 93㎞から97㎞と97㎞からゴール

2008年05月25日 11時00分17秒 | Weblog
○93㎞から97㎞
「何があっても完走する。」
 再び闘志に火がついた。たとえ骨折しても完走しようと心に誓った。吹っ切れてみれば簡単だ。後は今できるパフォーマンスで走るだけなのだ。
 膝は気になるほどは痛くない。何にしてもこの旅は、後7㎞足らずで終わってしまうのだ。腰が落ちたフォームにならないように、姿勢に気をつけ腕を振って走る。体感的にはキロ6分ぐらいのペースのつもりだが、上り坂ということもあり、キロ7分がいいところだ。それでも、「平地なら負けない。」事実、87㎞から97㎞までに10㎞の間は一人として私を抜かすことは出来なかった。
 そうはいっても上り坂。この間たった4㎞だけど心拍数は上がり、汗はしたたり、短距離を走っているような感覚だった。
 95か96㎞地点ではゴールで一人一人にアナウンスを贈る女性アナウンサーの声が遠くに聞こえ始める。(空耳ではありません。マイクの声がここまで聞こえてくるのです。なぜならば・・・。)
 97㎞地点、最後の給水ポイントに行く手前で大きく左に曲がる。一度近づいたゴールだが、距離あわせのために大回りするのだ。最後の給水所でスポーツドリンクを飲み時計を見る。97㎞で13時間30分。残り3㎞で30分。キロ9分で歩いても完走確実だ!

○97㎞から100㎞
 給水を終えた私は走り始めた。歩いてもたぶん時間内完走は出来る。でも、「手は抜かない。」と自分に言い聞かせた。応援してくれ励ましてくれたうめさんのため。「100㎞走ってくるよ」と報告した職場の皆様のため。「父は最後まで頑張ったよ。」と言えるように子ども達のため。そして何より自分のランナーとしての誇りのため。「手は抜かない」
 どこが痛い・・・ということはもうどうでもよい。
 辛い、苦しい・・・そんなことどうでもいい
 自分は自分に出来ること→マイペースで走り通すことに集中した。
 しかし、大回りしているコースはどんどんゴール方面から離れていく。少し不安になる。「距離表示は合っているのか?」「本当は後10㎞残っていました」なんて言われたら立ち直れないぞ。
 ラスト1㎞の表示の辺りで右折する。よし、ゴール方面に向かっているぞ。(当たり前なんですが、極限状態に近い精神状態ですから許して下さい。)
 出発する時に声援して下さった町の方々と同じ人達なのかは解りませんが町の方々が応援してくれる。通りがかりとおぼしき町の方達も、車で通りかかった人達も「あと少しですよ。頑張ってぇ。」と応援してくれる。段差でつまづき転びそうになった目の前のランナーに声をかける「大丈夫ですか?お気を付けて。」「ありがとう。」
 みんなの気持ちが1つになってゴールを目指しているような気がしてくる。
 最後200メートル程の直線だ。こうなると、13時間50分を切りたくなる。体には力が入らないが、出来る限りの精神力で突っ走る。(たぶんキロ6分ぐらい)ゲートが見える。13時間49分台を表示している。「やった!」と駆け抜けたかったのだが・・・。
 一人一人にゴールテープを切らせてくれるというサービス精神のため私の前の走者で手間取り、ゴール待ち。(ほんの数秒ですが)歩いてのゴールとなってしまいました。
 完走時間13時間49分11秒
自分としては出来過ぎ。
 (次回 ゴール後の報告で この完走記も終了か?)

野辺山完走記11 87㎞から90㎞と90㎞から93㎞

2008年05月24日 22時52分34秒 | Weblog
○87㎞から90㎞
 「90㎞ ラスト10㎞で1時間は厳しいから 貯金しましょう。」うめさんは言った。
 「この距離まで来て走れるのはすごい!」ともおだててくれた。
 うめさんのサポートにより、完走の可能性が消えずに望がつながっている。「やらねばならぬ!」という使命感のようなものに変わっていく。
 「平地なら負けない」
 この言葉を何度も繰り返し、キロ6分を超えるペースで走り続け、前方のランナーを一人又、一人とかわしていく。90㎞までの平地と感じられる程の緩やかな下りで更に貯金をしたと思う。
90㎞の通過タイム。→12:30:37
残りの10㎞を89分23秒以内に走れば完走だ。
通常ならば何の問題もない。調子がよければ20㎞ぐらい走れる程の時間だ。でも、午前5時からここまで90㎞の山道を移動してきた。私の体は後10㎞もつのか?
「最初にいっとくけど、90㎞越えてからのだらだら上り。これつらいよ。ここまで来ていい加減にしてくれって思うよ。」うめさんの言葉を思い出す。
 「これか」90キロを超えてから目の前に続いている上り坂を遠くに見ながら走り続けた。

○90㎞から93㎞
 だらだら上りって言うけれどやっぱりきつい。半分近くの人が歩いている。私も「あの電信柱まで歩いたら再び走り始めよう」と歩いたり走ったりの繰り返しになってきた。膝は痛いことは痛いけれどそんなことはもう問題ではなくなってきた。膝は歩かなければならない程は痛くないのに、体に力はまだ残っているはずなのに歩いてしまう自分がいる。何故、走っていないのかよく分らない。もしかしたらこの上り坂に気持ちが負けてしまっていたのかもしれない。ただ、完走できるのか?という不安が一番大きくなってきた区間でもある。そして、腹部に違和感。おお、ここで来るか?というように大きな新陳代謝の欲求が腹部に広がっていく。
 93㎞のエイドだ。トイレはあるのか?見えない。無いのか?どうする?野○○か?給水のコップを手に取ろうとした瞬間、隣接するおんぼろの建物が目に入った。「もしかしたら・・・。」これトイレ?  かな?  というような建物に見えた。入り口のこれまたぼろいドアを力いっぱい引いてみた。「トイレだ!」おお!と救われた気持ちになり中に入る。紙は・・・ない 無い?さすがぼろいからなのか紙が無い。最悪の事態を想像したが、「そうだった」前日にうめさんのスパーだの中で荷物の準備をしていた時、「ティッシュ入れました?」とうめさんがくれたティッシュがウエストポーチに入っているはずだ。「あった」何から何までお見通しなんだな。
 93㎞のエイドに戻りスポーツドリンクで給水。エイドのおじさんは「小走り小走り。完全に歩いたら間に合わないけど小走りならまだ間に合うよ。」と一人一人のランナーに声かけをしてくれている。
スポーツドリンクを飲み干して、「ごちそうさまです。行ってきます。」とお礼を言った自分の胸には「絶対完走してやる!」という闘志の炎が再び燃え始めていた。

野辺山完走記10 83㎞から87㎞

2008年05月24日 18時06分56秒 | Weblog
○83㎞から87㎞
 下り坂での膝の痛みに耐えかねて「完走」を諦めかけようとしていた時に、「うめさん」がやってきた。うめさんは自分の膝痛のためにこの大会の出場を断念し、ゴールで待っていたはずだった。そのうめさんが私のピンチをGTメールで察知して激励に来てくれたのだ。
 「ここは何㎞地点ですか?」逆走してきたのでよく分らないのですね。
 「83㎞ぐらいです。」
 「えーと、残りが17㎞で・・・、キロ8分で何とかなりますよ。」
 キロ8分というのは、普通だったら「そんなゆっくりなペースでは走れません。」という位に遅いペースだ。しかし、競歩のペースはキロ9分ぐらい。つまり、頑張って歩いても完走は出来ないと言うことだ。完走するためには「走る」しかないのだ。覚悟を決めて走り出す。しかし、右膝は悲鳴をあげている。うめさんは私を激励しながら併走してくれる。
「ひでちゃんなら出来るよ!」
下り坂は膝の痛みが更に大きい。でも、こんなに応援してくれるうめさんの期待に応えられるなら「膝が壊れてもいい」とさえ思った。

 「もう少し。この坂を下りきったら河川敷のフラットコース2㎞ぐらいで87㎞の関門だよ。」とコースの見通しを教えてくれる。「もう少し」と言われても長いんだなぁこの痛い下り坂が。たぶんこれだけ痛ければ昨年ならここでリタイアしていただろう。
 フラットな河川敷に出た。フラットならばさっきまでの激痛に比べれば痛くないのも同然だ。でも、小さな橋を越えるためのほんの小さな上り下りでも右膝に激痛が走る。涙が出そうになりながらもこらえ、フラットなコースを走り続ける。
 前方に別のデカフォレスト発見。「抜かしちゃいましょう。デカフォレスト。」とうめさん。「よっしゃぁ」と走る。体感ではキロ5分ペース。(実際はキロ6分を超えているかもしれないけれど)みるみる、デカフォレストの背中は大きくなり一気に抜き去る。
「平地なら負けない。」
 坂道を歩きながらこのポジションをキープしてきたのだ。(野辺山はほとんどが上りか下りの坂道ですからね。)膝の痛みを無視して走れるところに来たら周りの人には負けない。どんどん抜かして87㎞の関門をクリアーした。
87㎞の関門の制限時間は、12時間半。GTメールによると私は90㎞を12時間30分37秒で通過している。つまり、関門は3㎞後方まで下がった。(3㎞後方に迫っているという見方も出来るが、先ほどの関門よりも少しだけ貯金を復活させた。ただし、90㎞の通過タイムから計算されたゴールタイムは14時間7分29秒。制限時間に7分29秒間に合わないという予想なのだ。(勿論この時点では知るよしもない)
 87㎞の着替えポイントで着替えようとすると、「着替える時間はないよ。」とうめさんから。給水しようとすると「歩きながら!」と叱咤。着替えはせず、荷物に忍ばせていた「ウィダーインゼリー エナジー」を補食し残りの13㎞に完走の可能性をかけて走り出した。(制限時間までおよそ1時間50分ぐらい。このへんは正確には記憶していません。)

野辺山完走記9 71㎞から83㎞

2008年05月24日 05時19分49秒 | Weblog
○71㎞から83㎞
 71㎞を9時間30分程で走り、関門は遥か後の45分。膝が元気ならば余裕の旅。しかし、・・・。

 ここで、GTメールのご紹介。
 星の里野辺山ウルトラマラソンでは、主要チェックポイントの通過タイムと到着予想タイムを指定した携帯等にメール送信してくれるサービスがある。それが、GTメール。私はうめさんとかみさんと自分の携帯を指定しておいた。今、更新しているブログの通過タイムは自分の携帯に送られてきたGTメールを見ながら書いている次第である。

 この後このコース最大の難所、「馬越峠」がある。坂本さんや大会関係者の方は「野辺山のコースの醍醐味」というような表現をされるが、大半の選手からすれば「タイムをロスするだけの上り坂」となろう。事実私の回りの選手は98%ぐらいの方が歩いていた。
 「馬越峠」の前では71㎞から78㎞までの約7㎞で1130Mから1620Mまで490M上る。いわゆる7%の上り坂。これが71㎞でやってくるのだから、解っていることとはいえどうしようも出来なかった。痛めている右膝を引きずるようにして、腕を振って歩き続けた。前方に見える、追いつけそうな人を目標にひたすら上り続けた。
 前方にデカフォレスト発見。デカフォレストとは野辺山100㎞をデカ(10回)時間内完走した者に贈られる称号である。今回が14回大会であるのに10回完走ということは・・・大変なことである。
 そのデカフォレストを(何故解るかというとゼッケンの色が特別な色なのである)抜かそうと懸命に腕を振って歩く。しかし、敵もさるもの、簡単には抜かされてくれない。そうこうするうちに更に前方のデカフォレストを発見。こちらの方が失速気味に歩いている。よし、ターゲット変更。失速しているデカフォレストを目標に歩く。(歩きの戦いになってます。)・・・歩かねばならない環境(7%の上り)と実態(長く抱えた膝痛)だが、どんなことにせよ目標を持って取り組まなければ「時間内完走」という大きな目標に近づくことが出来ないと思った。
 長く続く続いた上り坂を歩き終わってほっとすると今度はそれを上回る急な下り坂。私の膝は、下りの方が痛い。既に、歩くだけでもかなりの痛みを感じるようになっていた。フラットな場所になっても走ることが出来ず延々と歩くような感じに感じられた。
 タイム的にはかなりのロス。79㎞のGTメールはないので正確には分らないが79㎞11時間40分の関門を15分前ぐらいに通過したのではないかと思う。この上りで45分程の貯金の30分を使ってしまった。15分ってキロ7分でも関門はもう2㎞程後まで迫っていた。

15:24に受信したGTメールでは、

495 路の途中

10㎞:1:04:18 実
42㎞:5:34:22 予(予定の表示だがたぶん実際のタイムの間違いではないか?)
50㎞:6:06:03 実
71㎞:9:30:41 実
90㎞:12:41:11 予
100㎞:14:19:24 予
となっている。
つまり、71㎞の通過タイムからすると、100㎞のゴールは制限時間の14時間を20分近く上回り完走は出来ない。という予想だ。
勿論この時点で私は携帯を持って走っているわけけではないので知るよしもないが、見通しが暗くなっていることは実感される。
 次は87㎞の着替えポイント12時間30分制限を目指す。
 しかし、緩やかな下り坂ではあるがもう右膝がいうことを聞かない。周りのランナーは緩やかな下り坂になっていることもありここぞと快調なペースで下り下りる。私から見える限り、回りに歩いているランナーはいない。どんどん抜かされていく。絶望感に押しつぶされそうになりながらも腕を振って歩く。すると後から、神奈川さんが快調な足取りで駆け抜けていく。「復活したんですね。頑張って下さい。」と声をかけると「絶対完走しましょうね。」と振り向いて元気な声をかけてくれた。しかし、既に完走するぞ!という気力はなくなりかけていた。緩やかな下りで走ろうと試みては痛みに耐えかねて歩く。歩いても痛い。でも、走ってみては痛みが大きくなることにだんだんと気力が奪われていく。ここで頑張って走れなくなってしまったらそれは勇気ではなく暴挙なのではないだろうか。頑張って鍛えてきたつもりだったが自分の膝はまだ野辺山を完走する力はなかったのではないだろうか。と諦めムードに支配されそうになっていたその時。

「うめさん」が登場した。

えっ!

と思ったが、GTメールのゴール予想タイム14時間19分を見て87㎞地点から上り坂を上って(逆走して)応援に来てくれたのだ。(完走記10に続く)

野辺山完走記8 42㎞から50㎞と50㎞から71㎞

2008年05月23日 21時56分33秒 | Weblog
○42㎞から50㎞
 10時半も回り、この頃になると大分日差しも強くなり暑くなってきた。薄手のシャツを入れておいたのは正解だった。半袖でもいい位だがこの後何が起こるか解らない。松原湖近くのエイドでは水を頭からかける人が増えてきた。
 ここはたった8㎞なのに250メートルも下る。下り坂は膝が痛い。緩やかな場所ではランができるが急なところでは痛くて走れない。
 50㎞のチェックポイントは突然現れた。体的には楽に丁度中間地点に到着。右膝の痛みをのぞけば順調そのものだ。
 
 50㎞の通過タイム→6:06:03(関門 53分57秒前)
 8㎞のランで、しかも下り中心だったのに貯金は1分半程短くなった。そうとは知らずにエイドでは給食のそばの列に並び美味しいそばを味わう。お代りをしたかったが後から来たランナーが並んでいるので遠慮した。代わりに梅干しとおにぎりを食べた。こう書くと、ゆっくり休憩しているように思えるかもしれませんが私は早食いなので両方合わせて屈伸などしても3分とかかっていないでしょう。「食べた後は急にスピードを上げない。」といううめさんの教えを思い出す。守りすぎて競歩での後半スタートとなった。

○50㎞から71㎞
 「ウルトラマラソン コース高低図」を見ると50㎞から65㎞までは緩やかなコースというように見える。50㎞から60㎞までの10㎞で102メートル上がっている。場所によっては結構な上りだ。右膝をだましながら走り続ける。この頃になると走っているランナーは運命共同体のような気持ちになってくる。前回は誰にも話しかけずに35㎞でリタイアしたが周りのランナーに時々話しかけながら走った。初めに話しかけたのは、吉川なまずのTシャツを着た片腕のランナー。「吉川マラソンに出られたんですか?」と話しやすかった。この方は42㎞の手前で追い付き追い越したのだが、42㎞で着替えている時に追い越されたようだ。50㎞過ぎで追い付き並んだ時に先ほどは気がつかなかった傷が顔にあった。「あれ?顔に傷があるんですねぇ。」とのどかに再び話しかけると腕や膝に擦り傷があるのに気がついた。その傷からは血が滴っていた。「下り坂でスピードを出しすぎて転んじゃったんです。」とその方は語ってくれた。「消毒とかはしたんですか?」「エイドで」少し安心はしたがウルトラでけがを抱えて走るのは相当なハンデだ。人ごとではあるが自分のペースで走りきってほしいなぁと思った。
 55㎞付近だろうか数㎞の折り返しコースがある。59㎞の着替えポイントで折り返してきたランナーとすれ違う。自分の回りのランナーと、折り返してきたランナーのスピードやフォームを比べると明らかに違う。この折り返しは結構長いのだと思い知らされる。緩やかではあるが(もうこの頃には緩やかであっても)きつい上り坂に精神的に参りそうになりながらも右膝をかばい急な上りでは歩き、走れるフラットな場所では走ることを繰り返す。それでも59㎞の折り返し地点は何処にあるか解らず近くのランナーに話しかける。「まだ続くんですかねぇ」「私も初めてなので解らないんですよ。ウルトラはよく走られるんですか?」「去年は膝痛で35㎞でリタイアしてます。今年も膝やられてます。」「私は丹後・京都のウルトラでました。景色が素晴らしいので是非出て下さい。」「海沿いの景色が素晴らしいそうですね。」「はい、それに山のアップダウンも・・・。それは野辺山の方が断然厳しいですが。どこから来たのですか。」「埼玉県からです。どちらからですか?」「関西にいたのですが、最近神奈川に転勤になって野辺山が近くになったのです。」・・・ととりとめもない世間話を交わし、この方は、私の中では「神奈川さん」と命名されました。そこまではちょっと無理してペースを合わせていましたが「膝が痛いのでゆっくり行きます。」と歩き始めました。上りでは私が歩いて離されてフラットになると走って追い付きと神奈川さんとは近づいたり離れたりしながら進んでいく。私は59㎞の着替えポイントに荷物を預けていないので給水とストレッチをして再び歩き始める。膝が痛い私には休んでいる余裕はないのだ。
 何となく100㎞の完走のボーダーラインにいるという自覚が出てくる。水泳の大会で最近画面に出てくる通過ラインのようなものが自分のすぐ目の前にあるような気がしてくる。残念だが、すれ違うコースにいるこれから折り返しに向かうランナー達は完走が無理なような気がしていた。
 馬越峠に入る前だっただろうか?神奈川さんが止まっているのが見えた。声をかけることも出来ないような絶望的な姿にも見えた。でも、きっと休息したら走り始めるだろう。私は自分のことで精一杯だった。
 71㎞のチェックポイントに到着。ここは71㎞の部の人のゴールにもなっている。しかし、今思い出そうとしてもほとんど思い出せない。どんな場所で何を食べたのか?来年はしっかりと記憶に留めてきたい。ただ、去年目指していたゴール地点に時間内にたどり着くことが出来、本当の意味で昨年のリベンジを達成することがで来たのだと思った。

71㎞の制限時間は10時間15分
    到着時間は9:30:41(関門 44分19秒前)
後は44分の貯金を使い切る前に100㎞のゴールにたどり着くことが出来るか?の問題になってきた。

野辺山完走記7 35㎞から42㎞

2008年05月23日 06時22分59秒 | Weblog
○35㎞から42㎞
 昨年からのリベンジを果たし、35㎞以降に進み始めた私の前に現れたコースは誰も走ることが出来ないと思われるような上り坂。しかも初のコースなのでどこまで続くのか解らない。(事前にチェックしていない私が悪いのだが)
 上りを歩きながら右の膝に軽い違和感。すぐに上りが終わり下りにはいるのだが、下りを走ると違和感は明らかに痛みに変化している。
「ついに来たか」と軽い絶望感に襲われるがすぐに気持ちを入れ替える。目標は完走。14時間でいいんだ。スピードはいらない。走れるフラットな部分では走り、走れないところ(膝が痛むところでは)早歩きでいこうとファイトプランを変更。ひたすら42㎞の着替えポイントを目指す。
 42㎞の制限時間は6時間30分。時計を見ながら「これは通過できる」と確信。しかし、膝の痛みで歩く部分が出来てきたので、貯金が減っていくことも確か。この後もそうだが、膝の痛みは増えていき、貯金は減っていく。どこの関門まで通過することが出来るだろうか?という不安につながっていく。

 42㎞の通過タイム→5:34:22(関門 55分38秒前)
 今後この関門との戦いになっていく。
 42㎞の着替えポイントは42㎞の部の人のゴール地点にもなっている。ゴールする人、着替える人、着替えずにエイドだけで通過する人の3種類のランナーを係の人が誘導する。私はよく分らずに通過するコースに少し行ってから「これじゃぁ着替えられない」ことに気がついて戻る。
 着替える人のエイドはゴールする人のエイドと一緒になっていて結構充実していた。スポーツドリンクやバナナで補給した。(おにぎりはゴールした人だけのサービスだと勘違いして食べなかった)着替えようの荷物を受け取り歩く。どこで着替えようか悩んだが目の前に「男性用更衣室」というテントがあったので入ってみることに。何人かのランナーが着替えていたが「暑い」・・・まぁいいっか。と着替えようとするも体がうまく動かなくて手間取る。上は薄手の長そでドライ、下はフィット感がいい感じなのでロングのSそのままで行くことにした。手袋も薄手の物に変えた。サロメチールを塗り込むとももの前側と背筋が炎症していることがわかる。膝が痛み始めているのでそこの厚いクッションのある今履いているシューズを履き替えるのかどうか、一瞬迷う。ここは賭に出てアディゼロCSに履き替える。危うくRCチップを付け替えるのを忘れるところだった。(危ない 危ない)
 着替えに手間取ったが、暑いテントを出て再び給水とうめぼし。屈伸柔軟運動をしてコースに戻る。
 走り出してすぐに、42.195㎞(フルマラソン相当地点)の表示。
「あぁ、フルマラソン走ってからまだ60キロ近く走るのか」と愕然としながらも
次のチェックポイント 50㎞ 制限時間 7時間 に向かったのだった。

野辺山完走記6 10㎞から35㎞

2008年05月22日 22時27分55秒 | Weblog
○10㎞から35㎞
 野辺山のコースは5㎞から20㎞までの15㎞で標高が1355mから1908mまで一気に上る。(553m)この上りはまだまだ元気なので焦らずにスローペースで走り続ける。しかし、1908M(コース最高地点)は気のせいか空気が薄いような気もする。傾斜走も合わせてこんなにスローペースなのに脈拍は結構早くなっている。この上りはやはりきついのだろう。エイドステーションがすぐにやってくる。坂本さんの助言通り、早めはやめの補給を心がける。ウエストポーチに入れたカロリーメイトも少しずつ食べる。
 20㎞から25㎞までの5㎞では約400Mも一気に下る。昨年はここの下りで一気に遅れを取り戻そうと調子に乗って走り抜けたため膝をやられた。今年はそのてつを踏まないようにスピードを上げないように注意しながらとことこ下りる。やはり予想通り、他のランナーに抜かれる。あまりにも多くのランナーに抜かれるので少しペースを上げたくなる。しかし、ここで少し上げて後で走れなくなったら(膝を壊したら)悔やみきれないだろうと思い直しゆっくりペースをキープする。急がない、ペースを上げない、無理をしない、人と比べない など自分に言い聞かせ後半まで体力と精神力をキープしようと心がけた。
 25㎞から35㎞は緩やかな上り下り。膝にかすかな違和感を覚えながらも軽快に走り続ける。35㎞のエイドステーション直前の1㎞程は走りたくなくなるような上りだが、そこは無理せず早歩き。無事に35㎞にたどり着いた。
 35㎞のエイドでお汁粉を頂きながら、「去年はここでリタイアしたんだなぁ。今年は無事にここを通過しようとしている。」とこの1年間で成長した自分を感じることが出来て感無量だった。
「さて、行くか!」
 自分にとって初体験の35㎞以降に踏み出した。

野辺山完走記5 スタートから10㎞

2008年05月22日 21時59分06秒 | Weblog
○スタートから10㎞
 スタートして少しすると右に折れる。その辺りには沿道に多くの応援の方がいた。午前5時からレースでこんなにたくさんの方が声をかけてくれるのは感激です。宿泊施設の方なのかもしれませんが関係ない人にまで温かい声援を送ってくれます。
 スタートして初めのうちは結構密集状態。後から私を抜かしていくおじさんが左から私にぶつかっていった。「ウルトラで人にぶつかる程急いでどうするんだ!」と心の中で思ったが、新鮮な空気と山の風景が心を落ち着けてくれました。
 とはいっても、霧というかガスというかで昨年ははっきりと見えた野辺山天文台がほとんど見えない。遠くの八ヶ岳の山々もあまり見えない。「去年はこの先できれいな富士山が見えたけど今年はどうかねぇ。」と話すランナーの声も聞こえてくる。そんな中でも景色のよいところに来るとたくさんの方がデジカメで記念撮影をしていた。「デジカメを身につけて走るなんて重くないのかなぁ。」と思いながらhimeさんのことを思い出す。
 初めはふらっとだったコースもだんだんと5㎞過ぎから上りになってくる。更に進むと未舗装の不整地。小石がごろごろしている。1年ぶりなので石の道の走り方も忘れていた。気がつくとどうやらみんなと走っている場所が違うようだ。皆さん轍のように小石が少なくなっているところを走っている。私は盛り上がった石の上を踏みながら走っていた。(あほか!)気がついた後は轍を走る。それでも、石を踏むと足首をひねりそうになる。後半疲れた状態で同じ状況になったら、持ちこたえきれずに捻挫は確実だろう。
 初めのチェックポイント。10㎞地点にやってきた。
10㎞→1:04:18
 キロ6分半から7分を目標にしていた私にとってはまずまずのペース。頑張らない、ペースを上げない、人と比べない ということを何度も頭の中で繰り返して走り続けた。

野辺山完走記4 前夜祭の後

2008年05月21日 22時49分11秒 | Weblog
・前夜祭が終了し車に戻りパジャマ(!)に着替える。「楽しい車中泊」(だったかな)と言う本に車中泊を快適にする技の1つとして「きちんとパジャマに着替えると疲労感が残りにくい」というようなことが書いてあった。ユニクロで購入したフリースの部屋着だが5月でも気温が低い野辺山では、暖かく重宝した。残念だったのは時折雨がぱらつく空模様。楽しみにしていた満天の星空を楽しむことが出来なかった。

・起床時刻が早かった(午前3時)こともあり寝袋の中であっという間に夢の中。ビールの効果もあってか寝入る前の語り合いのひとときを楽しむ間もなくZZZZZ。8時頃には熟睡していたのではないでしょうか。そして、 「その時」 は刻々と近づいていたのであります。

・「はっ」と目が覚めた。携帯で時刻を確認すると「1:30」(5時間半も寝ている)まだ、起床予定の1時間30分前だ。尿意を覚えたのでトイレに行こうとスライドドアを開けようとした。(うめさんのスパーダはレバーをちょいと下げると電動で開くのだ!)「あれ?開かない」そうか、ロックがかかっているのか。と思いロックを解除したそのとたん
     「ビー ビー ビー ビー 」
 とセキュリティアラームの大音響が満車の真夜中の駐車場に鳴り響いた。私はびびってうめさんに助けを求めようとしたその瞬間うめさんは跳起きてアラームを解除しようとするもなかなかうまくいかなかった。アラームが解除された後も先ほどの大音響の恐怖から「どうすれば、アラームを鳴らさずに外に出られるのか」が解らず2度程トライをして再びの大音響。周囲の車の方々に多大なご迷惑をかけてしまいました。(私が悪いんです。ごめんなさい)
 その後、うまく解決することが出来て無事に用を足すことが出来ました。
 よかったことはトイレに明かりがついていたことです。昨年は電気がついていず、真っ暗だったのでヘッドライトを購入して持ってこようと思っていたくらいです。(結局購入しませんでしたが)朝の3時過ぎ、まだ暗いところでコンタクトレンズを装着するのは大変危険です。(本当に今年は明かりがついていてとても助かりました)
 次に目が覚めたのは、午前3時。予定通りセットしていた携帯のアラームが大音響で車中に響き渡るも2秒後には止めることが出来ました。
(おいおい まだ走らないよ。)
 起床後、朝食のおにぎりを3個食べて、身支度。洗顔・歯みがき・コンタクト。そしてウェアーに着替える。私は朝3回大きな新陳代謝をしないとランニング中にしたくなるのでトイレも大問題。1回目はまだ3時直後だったので楽勝。2回目は4時過ぎ。大のトイレは6人待ちだった。10分程の待ちで成功。思いのほか早くスタートの体育館前に移動。うめさんに記念写真を撮って貰い3回目のトイレに。こちらは5分待ちぐらいでOK。昨年はもっと長蛇の列で、トイレに並んでいてスタートに間に合わなかったことを考えると余裕の10分前。
 開会行事(スタート10分前)では、坂本さんが再度早めの補給を呼びかけていた。夕べの坂本さんの教えをしっかりと胸に刻み込んでスタートを待つ。
 10秒前からのカウントダウンが始まった。「・・・3 2 1 スタート」
 そんなに混ではいなかった。ただ、アナウンス係の女性と坂本さんにハイタッチをしてからスタートラインをくぐる人の列に並んでいたので数十秒はロスしたかも。手袋を取ってハイタッチ。アナウンスの女性はタッチだけではなくぎゅっと手を握ってくれた。変な意味が全くないわけではないが一人一人を応援しようという気持ちが伝わってきた。「よし!頑張るぞーーー!」(男って単純ね)
(ほら。ちゃんとスタートしたでしょう。明日に続く。たぶん。)

野辺山完走記3

2008年05月21日 06時28分22秒 | Weblog
・いよいよ前夜祭になりました。昨年と大きく違っているのは立食形式になっていたことです。昨年までは全ての席が床に座る形だったのですが、今年は前の方だけで後は全て立食。初めは違和感があったけれど始まってしまえば気になりませんでした。
 「いかりんさんは見れば解りますか?」とうめさんに聞くと「電話してみましょう。」となりました。携帯で連絡を取ると比較的近くに仲間のかたといらっしゃいました。いかりんさんは実年齢よりもとても若々しく見えました。残念ながら今回は応援だけでスタートはしないと言うことです。「走った距離は裏切らないと言うけれど、走った距離は裏切るよ。特に40過ぎたら要注意。」とアドバイスを頂きました。それは、3分半のペースで1000メートルインターバルを10本やったら市民ランナーの大半は故障すると思いますよ。まぁ、私には1本が限界ですが。確かに走行距離だけを目標に無理をすることは危険ですね。
 食べ放題の前には偉い方のお話やチアリーダーのダンス・等が昨年通り進行しているようですが、いかりんさんとのお話に夢中になってほとんど見ていませんでした。
 いざ会食が開始されると、食べ物のコーナーはものすごい人だかり。池の鯉にえさを投げ込んだような(なんちゅうたとえや!)状態に食欲大魔神の私でさえたじろぎます。比較的空いているサラダのコーナーに向かい(それでも並びましたが)食欲をだましながら空いてくるのを待ちました。サラダを食べながら同じテーブルの方が注いで下さるビールを2・3杯飲み、持ってきて下さった唐揚げなどをつまんでいました。もう我慢できずにスパゲッテイーの列に並びましたが依然として戦争状態です。比較的大きな紙皿にスパゲッティーの大盛りを2つ貰いました。(片方は自分の分。片方は皆様のために)でも、あっという間に完食してもう一皿大盛りスパゲッティーを頂き空腹は満たされてきました。
 「それにしても開会行事からかれこれ1時間近く経っているけどまだ立ったまま食事を続けられるのはさすがに足腰を鍛えているランナー達だねぇ」といかりんさん。私はそんなことも気がつかずに食べて飲んでいました。(本日4食めでした。)
 そうこうするうちに、お楽しみ抽選会が始まりました。チケットのナンバーで地元の野菜や協賛のスポーツショップの賞品などが当るのです。当選確率は1割程のはずですが今年も当りませんでした。(来年こそは!・・・って気合い入れてもしょうがないか)
 抽選会が終わるころに周りを見回すと、あちらこちらに座り始める人が出てきました。まぁ、飲み放題ということもあり酔いが回ってきていますが。こちらも酔いが回っているのか「あの人達(座っている人達)は完走できないぞ!」といかりんさん。なんというか、そのユーモア感覚まねしたいです。
(完走記3は前夜祭報告になってしまいました。早く走れ~!)でも、まだまだ、走る前の話は続くんですこれが・・・。