・野辺山完走から1日過ぎて、100㎞完走したことが徐々に実感されてきました。また、多くの方からコメントを頂き大変うれしいです。やっぱり、あきらめないいでよかったと思います。
それでは時間系列順に進めさせていただきたいと思います。
・それは、2年以上前にさかのぼります。走友会に入ったばかりの「うめさん」が野辺山100㎞に出場するというのです。「いやぁ、すごい人だと思っていたけれどやっぱりすごい人だ。」と思ったのと「100㎞を走るなんて身近にも変わった人はいるもんだなぁ。」と思ったことを覚えています。
そのうめさんが見事に完走を果たし、「来年はいっしょに走りましょう。」と言うのです。「何いってんですかぁ。」といいながらも何となく興味をそそられました。しかも、遠征なので泊まりがけではないですか。「遠足みたいで楽しそうだな。でも100㎞は無理だよなぁ。」と考えていると「走れるかどうかを心配してたら始まらないから、とりあえず申し込んで完走できるように練習しましょう。」と誘われました。なるほど。その考え方は自分の考え方と同じです。でも、100㎞・・・。
するとパンフレットには35㎞の部と71㎞の部も存在していました。「71㎞なら手が届くかも・・・。」ということで昨年は71㎞の部にエントリーしたのです。(結果は膝痛のため、35㎞でリタイア)
リタイアした時に完走メダルの代わりにの参加賞で「ストラップ」だけ貰いました。よく意味も分らず受け取り、ゴール地点に搬送されるバスの中で放心状態だったことを覚えています。この悔しさを忘れないようにと、そのストラップに携帯を付けて1年間肌身離さずぶら下げていました。「絶対この借りは来年返すぞ!」と携帯を取るたびに1日に何度か思い出しました。
・普通、そうしたら71㎞でのリベンジを目指しそうなところですが何を間違えたのか100㎞にエントリー。その時には「まぁなんとかなるでしょう。」と思う反面「100㎞は無理だよなぁ」と懲りずに思っていました。
・9月に脚を骨折してしまい、約3ヶ月のブランク。11月の「つくば」もDNS。1月の元旦マラソンからレースに復帰しました。(10㎞ですよ。)
3月の「荒川」に向けてフル用に練習していましたがたぶんこれはウルトラの練習にもなっていると信じながら走りました。
その後、やっとウルトラの練習に?いいえ、4月には吉川ハーフがあるのでそれなりのスピード練習をこなしました。ウルトラ対策を始めたのはその1週間後からでした。3週間連続で50㎞級の走り込みが出来たことはその後の自信へとつながりました。平地の100㎞ならば完走できるという自信がつきました。(平地ならね。)4週間目も計画をしていたのですが体調不良のため出来ませんでした。(オーバーワークを神様が防止してくれたのだろうとよい方に考えました。)
・そうこうするうちに日にちは過ぎていき、5月16日(金)・・・出発の前日になりました。今までは、ぼんやりと考えていた野辺山100㎞が急に現実的に自分の前にやってきました。年甲斐もなく胸がどきどきして緊張してきました。(普通の生活をしているとなかなかこういうドキドキ感て有りませんよねぇ。)うれしいような、逃げ出したいような、楽しみのような。
・出発の日の朝。(5月17日)翌日の本番と同じように3時に起床。朝食を採って、5時にジョギング開始。いつも朝25分ぐらいでジョギングしているコースをわざとスローに40分かけて走りました。「野辺山を完走するためにはスピードはいらない、スピードはいらない」と自分に語りかけながら頭の中でコースと走る自分を想像しながら最後の調整ランを行ないました。
・うめさんが迎えに来てくれるのは9時の約束でした。お風呂に入り、朝食を採ってから荷物の準備をしても「楽勝楽勝」と荷物の準備を始めた8時過ぎ「うめさんから携帯に電話です。「ちょっと早いけど今から行っても大丈夫?」きっと何かあったのだろうと思い、「8時半にはなんとかします。」と切り、大急ぎで準備完了。おっとシューズを入れるのを忘れるところだった。
「うめさんて私の自宅を知っているんだったけなぁ?」と思い、携帯片手に家の前で柔軟体操をしているとほぼ時間通りに白いホンダ ステップワゴン スパーダがやってきました。荷物を載せて出発し、「渋滞してるから30分早くしたんですか?」と聞くと「いやぁ、遠足の前みたいにわくわくして早く行きたくなったから。」というお答えでした。
まだ、野辺山についてもいませんが、今日はこの辺で完走記①を終わります。(これは完走記なのか?)
本日(5月19日)の走行距離 0㎞ 職場内はよく歩きました。足を引きずりながらですが。蛇足ですが、本日も普通に勤務・帰宅後夕食作り(野菜のあっさり煮・刺身こんにゃくサラダ風・カジキマグロのフライさっぱりおろし・タマネギのみそ汁・その他残り物)、入浴後洗濯物干しです。
それでは時間系列順に進めさせていただきたいと思います。
・それは、2年以上前にさかのぼります。走友会に入ったばかりの「うめさん」が野辺山100㎞に出場するというのです。「いやぁ、すごい人だと思っていたけれどやっぱりすごい人だ。」と思ったのと「100㎞を走るなんて身近にも変わった人はいるもんだなぁ。」と思ったことを覚えています。
そのうめさんが見事に完走を果たし、「来年はいっしょに走りましょう。」と言うのです。「何いってんですかぁ。」といいながらも何となく興味をそそられました。しかも、遠征なので泊まりがけではないですか。「遠足みたいで楽しそうだな。でも100㎞は無理だよなぁ。」と考えていると「走れるかどうかを心配してたら始まらないから、とりあえず申し込んで完走できるように練習しましょう。」と誘われました。なるほど。その考え方は自分の考え方と同じです。でも、100㎞・・・。
するとパンフレットには35㎞の部と71㎞の部も存在していました。「71㎞なら手が届くかも・・・。」ということで昨年は71㎞の部にエントリーしたのです。(結果は膝痛のため、35㎞でリタイア)
リタイアした時に完走メダルの代わりにの参加賞で「ストラップ」だけ貰いました。よく意味も分らず受け取り、ゴール地点に搬送されるバスの中で放心状態だったことを覚えています。この悔しさを忘れないようにと、そのストラップに携帯を付けて1年間肌身離さずぶら下げていました。「絶対この借りは来年返すぞ!」と携帯を取るたびに1日に何度か思い出しました。
・普通、そうしたら71㎞でのリベンジを目指しそうなところですが何を間違えたのか100㎞にエントリー。その時には「まぁなんとかなるでしょう。」と思う反面「100㎞は無理だよなぁ」と懲りずに思っていました。
・9月に脚を骨折してしまい、約3ヶ月のブランク。11月の「つくば」もDNS。1月の元旦マラソンからレースに復帰しました。(10㎞ですよ。)
3月の「荒川」に向けてフル用に練習していましたがたぶんこれはウルトラの練習にもなっていると信じながら走りました。
その後、やっとウルトラの練習に?いいえ、4月には吉川ハーフがあるのでそれなりのスピード練習をこなしました。ウルトラ対策を始めたのはその1週間後からでした。3週間連続で50㎞級の走り込みが出来たことはその後の自信へとつながりました。平地の100㎞ならば完走できるという自信がつきました。(平地ならね。)4週間目も計画をしていたのですが体調不良のため出来ませんでした。(オーバーワークを神様が防止してくれたのだろうとよい方に考えました。)
・そうこうするうちに日にちは過ぎていき、5月16日(金)・・・出発の前日になりました。今までは、ぼんやりと考えていた野辺山100㎞が急に現実的に自分の前にやってきました。年甲斐もなく胸がどきどきして緊張してきました。(普通の生活をしているとなかなかこういうドキドキ感て有りませんよねぇ。)うれしいような、逃げ出したいような、楽しみのような。
・出発の日の朝。(5月17日)翌日の本番と同じように3時に起床。朝食を採って、5時にジョギング開始。いつも朝25分ぐらいでジョギングしているコースをわざとスローに40分かけて走りました。「野辺山を完走するためにはスピードはいらない、スピードはいらない」と自分に語りかけながら頭の中でコースと走る自分を想像しながら最後の調整ランを行ないました。
・うめさんが迎えに来てくれるのは9時の約束でした。お風呂に入り、朝食を採ってから荷物の準備をしても「楽勝楽勝」と荷物の準備を始めた8時過ぎ「うめさんから携帯に電話です。「ちょっと早いけど今から行っても大丈夫?」きっと何かあったのだろうと思い、「8時半にはなんとかします。」と切り、大急ぎで準備完了。おっとシューズを入れるのを忘れるところだった。
「うめさんて私の自宅を知っているんだったけなぁ?」と思い、携帯片手に家の前で柔軟体操をしているとほぼ時間通りに白いホンダ ステップワゴン スパーダがやってきました。荷物を載せて出発し、「渋滞してるから30分早くしたんですか?」と聞くと「いやぁ、遠足の前みたいにわくわくして早く行きたくなったから。」というお答えでした。
まだ、野辺山についてもいませんが、今日はこの辺で完走記①を終わります。(これは完走記なのか?)
本日(5月19日)の走行距離 0㎞ 職場内はよく歩きました。足を引きずりながらですが。蛇足ですが、本日も普通に勤務・帰宅後夕食作り(野菜のあっさり煮・刺身こんにゃくサラダ風・カジキマグロのフライさっぱりおろし・タマネギのみそ汁・その他残り物)、入浴後洗濯物干しです。