路の途中

35歳からジョギングを始め、今もゴールを目指してさまよい続ける市民ランナーの記録。

野辺山完走記11 87㎞から90㎞と90㎞から93㎞

2008年05月24日 22時52分34秒 | Weblog
○87㎞から90㎞
 「90㎞ ラスト10㎞で1時間は厳しいから 貯金しましょう。」うめさんは言った。
 「この距離まで来て走れるのはすごい!」ともおだててくれた。
 うめさんのサポートにより、完走の可能性が消えずに望がつながっている。「やらねばならぬ!」という使命感のようなものに変わっていく。
 「平地なら負けない」
 この言葉を何度も繰り返し、キロ6分を超えるペースで走り続け、前方のランナーを一人又、一人とかわしていく。90㎞までの平地と感じられる程の緩やかな下りで更に貯金をしたと思う。
90㎞の通過タイム。→12:30:37
残りの10㎞を89分23秒以内に走れば完走だ。
通常ならば何の問題もない。調子がよければ20㎞ぐらい走れる程の時間だ。でも、午前5時からここまで90㎞の山道を移動してきた。私の体は後10㎞もつのか?
「最初にいっとくけど、90㎞越えてからのだらだら上り。これつらいよ。ここまで来ていい加減にしてくれって思うよ。」うめさんの言葉を思い出す。
 「これか」90キロを超えてから目の前に続いている上り坂を遠くに見ながら走り続けた。

○90㎞から93㎞
 だらだら上りって言うけれどやっぱりきつい。半分近くの人が歩いている。私も「あの電信柱まで歩いたら再び走り始めよう」と歩いたり走ったりの繰り返しになってきた。膝は痛いことは痛いけれどそんなことはもう問題ではなくなってきた。膝は歩かなければならない程は痛くないのに、体に力はまだ残っているはずなのに歩いてしまう自分がいる。何故、走っていないのかよく分らない。もしかしたらこの上り坂に気持ちが負けてしまっていたのかもしれない。ただ、完走できるのか?という不安が一番大きくなってきた区間でもある。そして、腹部に違和感。おお、ここで来るか?というように大きな新陳代謝の欲求が腹部に広がっていく。
 93㎞のエイドだ。トイレはあるのか?見えない。無いのか?どうする?野○○か?給水のコップを手に取ろうとした瞬間、隣接するおんぼろの建物が目に入った。「もしかしたら・・・。」これトイレ?  かな?  というような建物に見えた。入り口のこれまたぼろいドアを力いっぱい引いてみた。「トイレだ!」おお!と救われた気持ちになり中に入る。紙は・・・ない 無い?さすがぼろいからなのか紙が無い。最悪の事態を想像したが、「そうだった」前日にうめさんのスパーだの中で荷物の準備をしていた時、「ティッシュ入れました?」とうめさんがくれたティッシュがウエストポーチに入っているはずだ。「あった」何から何までお見通しなんだな。
 93㎞のエイドに戻りスポーツドリンクで給水。エイドのおじさんは「小走り小走り。完全に歩いたら間に合わないけど小走りならまだ間に合うよ。」と一人一人のランナーに声かけをしてくれている。
スポーツドリンクを飲み干して、「ごちそうさまです。行ってきます。」とお礼を言った自分の胸には「絶対完走してやる!」という闘志の炎が再び燃え始めていた。

野辺山完走記10 83㎞から87㎞

2008年05月24日 18時06分56秒 | Weblog
○83㎞から87㎞
 下り坂での膝の痛みに耐えかねて「完走」を諦めかけようとしていた時に、「うめさん」がやってきた。うめさんは自分の膝痛のためにこの大会の出場を断念し、ゴールで待っていたはずだった。そのうめさんが私のピンチをGTメールで察知して激励に来てくれたのだ。
 「ここは何㎞地点ですか?」逆走してきたのでよく分らないのですね。
 「83㎞ぐらいです。」
 「えーと、残りが17㎞で・・・、キロ8分で何とかなりますよ。」
 キロ8分というのは、普通だったら「そんなゆっくりなペースでは走れません。」という位に遅いペースだ。しかし、競歩のペースはキロ9分ぐらい。つまり、頑張って歩いても完走は出来ないと言うことだ。完走するためには「走る」しかないのだ。覚悟を決めて走り出す。しかし、右膝は悲鳴をあげている。うめさんは私を激励しながら併走してくれる。
「ひでちゃんなら出来るよ!」
下り坂は膝の痛みが更に大きい。でも、こんなに応援してくれるうめさんの期待に応えられるなら「膝が壊れてもいい」とさえ思った。

 「もう少し。この坂を下りきったら河川敷のフラットコース2㎞ぐらいで87㎞の関門だよ。」とコースの見通しを教えてくれる。「もう少し」と言われても長いんだなぁこの痛い下り坂が。たぶんこれだけ痛ければ昨年ならここでリタイアしていただろう。
 フラットな河川敷に出た。フラットならばさっきまでの激痛に比べれば痛くないのも同然だ。でも、小さな橋を越えるためのほんの小さな上り下りでも右膝に激痛が走る。涙が出そうになりながらもこらえ、フラットなコースを走り続ける。
 前方に別のデカフォレスト発見。「抜かしちゃいましょう。デカフォレスト。」とうめさん。「よっしゃぁ」と走る。体感ではキロ5分ペース。(実際はキロ6分を超えているかもしれないけれど)みるみる、デカフォレストの背中は大きくなり一気に抜き去る。
「平地なら負けない。」
 坂道を歩きながらこのポジションをキープしてきたのだ。(野辺山はほとんどが上りか下りの坂道ですからね。)膝の痛みを無視して走れるところに来たら周りの人には負けない。どんどん抜かして87㎞の関門をクリアーした。
87㎞の関門の制限時間は、12時間半。GTメールによると私は90㎞を12時間30分37秒で通過している。つまり、関門は3㎞後方まで下がった。(3㎞後方に迫っているという見方も出来るが、先ほどの関門よりも少しだけ貯金を復活させた。ただし、90㎞の通過タイムから計算されたゴールタイムは14時間7分29秒。制限時間に7分29秒間に合わないという予想なのだ。(勿論この時点では知るよしもない)
 87㎞の着替えポイントで着替えようとすると、「着替える時間はないよ。」とうめさんから。給水しようとすると「歩きながら!」と叱咤。着替えはせず、荷物に忍ばせていた「ウィダーインゼリー エナジー」を補食し残りの13㎞に完走の可能性をかけて走り出した。(制限時間までおよそ1時間50分ぐらい。このへんは正確には記憶していません。)

野辺山完走記9 71㎞から83㎞

2008年05月24日 05時19分49秒 | Weblog
○71㎞から83㎞
 71㎞を9時間30分程で走り、関門は遥か後の45分。膝が元気ならば余裕の旅。しかし、・・・。

 ここで、GTメールのご紹介。
 星の里野辺山ウルトラマラソンでは、主要チェックポイントの通過タイムと到着予想タイムを指定した携帯等にメール送信してくれるサービスがある。それが、GTメール。私はうめさんとかみさんと自分の携帯を指定しておいた。今、更新しているブログの通過タイムは自分の携帯に送られてきたGTメールを見ながら書いている次第である。

 この後このコース最大の難所、「馬越峠」がある。坂本さんや大会関係者の方は「野辺山のコースの醍醐味」というような表現をされるが、大半の選手からすれば「タイムをロスするだけの上り坂」となろう。事実私の回りの選手は98%ぐらいの方が歩いていた。
 「馬越峠」の前では71㎞から78㎞までの約7㎞で1130Mから1620Mまで490M上る。いわゆる7%の上り坂。これが71㎞でやってくるのだから、解っていることとはいえどうしようも出来なかった。痛めている右膝を引きずるようにして、腕を振って歩き続けた。前方に見える、追いつけそうな人を目標にひたすら上り続けた。
 前方にデカフォレスト発見。デカフォレストとは野辺山100㎞をデカ(10回)時間内完走した者に贈られる称号である。今回が14回大会であるのに10回完走ということは・・・大変なことである。
 そのデカフォレストを(何故解るかというとゼッケンの色が特別な色なのである)抜かそうと懸命に腕を振って歩く。しかし、敵もさるもの、簡単には抜かされてくれない。そうこうするうちに更に前方のデカフォレストを発見。こちらの方が失速気味に歩いている。よし、ターゲット変更。失速しているデカフォレストを目標に歩く。(歩きの戦いになってます。)・・・歩かねばならない環境(7%の上り)と実態(長く抱えた膝痛)だが、どんなことにせよ目標を持って取り組まなければ「時間内完走」という大きな目標に近づくことが出来ないと思った。
 長く続く続いた上り坂を歩き終わってほっとすると今度はそれを上回る急な下り坂。私の膝は、下りの方が痛い。既に、歩くだけでもかなりの痛みを感じるようになっていた。フラットな場所になっても走ることが出来ず延々と歩くような感じに感じられた。
 タイム的にはかなりのロス。79㎞のGTメールはないので正確には分らないが79㎞11時間40分の関門を15分前ぐらいに通過したのではないかと思う。この上りで45分程の貯金の30分を使ってしまった。15分ってキロ7分でも関門はもう2㎞程後まで迫っていた。

15:24に受信したGTメールでは、

495 路の途中

10㎞:1:04:18 実
42㎞:5:34:22 予(予定の表示だがたぶん実際のタイムの間違いではないか?)
50㎞:6:06:03 実
71㎞:9:30:41 実
90㎞:12:41:11 予
100㎞:14:19:24 予
となっている。
つまり、71㎞の通過タイムからすると、100㎞のゴールは制限時間の14時間を20分近く上回り完走は出来ない。という予想だ。
勿論この時点で私は携帯を持って走っているわけけではないので知るよしもないが、見通しが暗くなっていることは実感される。
 次は87㎞の着替えポイント12時間30分制限を目指す。
 しかし、緩やかな下り坂ではあるがもう右膝がいうことを聞かない。周りのランナーは緩やかな下り坂になっていることもありここぞと快調なペースで下り下りる。私から見える限り、回りに歩いているランナーはいない。どんどん抜かされていく。絶望感に押しつぶされそうになりながらも腕を振って歩く。すると後から、神奈川さんが快調な足取りで駆け抜けていく。「復活したんですね。頑張って下さい。」と声をかけると「絶対完走しましょうね。」と振り向いて元気な声をかけてくれた。しかし、既に完走するぞ!という気力はなくなりかけていた。緩やかな下りで走ろうと試みては痛みに耐えかねて歩く。歩いても痛い。でも、走ってみては痛みが大きくなることにだんだんと気力が奪われていく。ここで頑張って走れなくなってしまったらそれは勇気ではなく暴挙なのではないだろうか。頑張って鍛えてきたつもりだったが自分の膝はまだ野辺山を完走する力はなかったのではないだろうか。と諦めムードに支配されそうになっていたその時。

「うめさん」が登場した。

えっ!

と思ったが、GTメールのゴール予想タイム14時間19分を見て87㎞地点から上り坂を上って(逆走して)応援に来てくれたのだ。(完走記10に続く)