路の途中

35歳からジョギングを始め、今もゴールを目指してさまよい続ける市民ランナーの記録。

野辺山完走記8 42㎞から50㎞と50㎞から71㎞

2008年05月23日 21時56分33秒 | Weblog
○42㎞から50㎞
 10時半も回り、この頃になると大分日差しも強くなり暑くなってきた。薄手のシャツを入れておいたのは正解だった。半袖でもいい位だがこの後何が起こるか解らない。松原湖近くのエイドでは水を頭からかける人が増えてきた。
 ここはたった8㎞なのに250メートルも下る。下り坂は膝が痛い。緩やかな場所ではランができるが急なところでは痛くて走れない。
 50㎞のチェックポイントは突然現れた。体的には楽に丁度中間地点に到着。右膝の痛みをのぞけば順調そのものだ。
 
 50㎞の通過タイム→6:06:03(関門 53分57秒前)
 8㎞のランで、しかも下り中心だったのに貯金は1分半程短くなった。そうとは知らずにエイドでは給食のそばの列に並び美味しいそばを味わう。お代りをしたかったが後から来たランナーが並んでいるので遠慮した。代わりに梅干しとおにぎりを食べた。こう書くと、ゆっくり休憩しているように思えるかもしれませんが私は早食いなので両方合わせて屈伸などしても3分とかかっていないでしょう。「食べた後は急にスピードを上げない。」といううめさんの教えを思い出す。守りすぎて競歩での後半スタートとなった。

○50㎞から71㎞
 「ウルトラマラソン コース高低図」を見ると50㎞から65㎞までは緩やかなコースというように見える。50㎞から60㎞までの10㎞で102メートル上がっている。場所によっては結構な上りだ。右膝をだましながら走り続ける。この頃になると走っているランナーは運命共同体のような気持ちになってくる。前回は誰にも話しかけずに35㎞でリタイアしたが周りのランナーに時々話しかけながら走った。初めに話しかけたのは、吉川なまずのTシャツを着た片腕のランナー。「吉川マラソンに出られたんですか?」と話しやすかった。この方は42㎞の手前で追い付き追い越したのだが、42㎞で着替えている時に追い越されたようだ。50㎞過ぎで追い付き並んだ時に先ほどは気がつかなかった傷が顔にあった。「あれ?顔に傷があるんですねぇ。」とのどかに再び話しかけると腕や膝に擦り傷があるのに気がついた。その傷からは血が滴っていた。「下り坂でスピードを出しすぎて転んじゃったんです。」とその方は語ってくれた。「消毒とかはしたんですか?」「エイドで」少し安心はしたがウルトラでけがを抱えて走るのは相当なハンデだ。人ごとではあるが自分のペースで走りきってほしいなぁと思った。
 55㎞付近だろうか数㎞の折り返しコースがある。59㎞の着替えポイントで折り返してきたランナーとすれ違う。自分の回りのランナーと、折り返してきたランナーのスピードやフォームを比べると明らかに違う。この折り返しは結構長いのだと思い知らされる。緩やかではあるが(もうこの頃には緩やかであっても)きつい上り坂に精神的に参りそうになりながらも右膝をかばい急な上りでは歩き、走れるフラットな場所では走ることを繰り返す。それでも59㎞の折り返し地点は何処にあるか解らず近くのランナーに話しかける。「まだ続くんですかねぇ」「私も初めてなので解らないんですよ。ウルトラはよく走られるんですか?」「去年は膝痛で35㎞でリタイアしてます。今年も膝やられてます。」「私は丹後・京都のウルトラでました。景色が素晴らしいので是非出て下さい。」「海沿いの景色が素晴らしいそうですね。」「はい、それに山のアップダウンも・・・。それは野辺山の方が断然厳しいですが。どこから来たのですか。」「埼玉県からです。どちらからですか?」「関西にいたのですが、最近神奈川に転勤になって野辺山が近くになったのです。」・・・ととりとめもない世間話を交わし、この方は、私の中では「神奈川さん」と命名されました。そこまではちょっと無理してペースを合わせていましたが「膝が痛いのでゆっくり行きます。」と歩き始めました。上りでは私が歩いて離されてフラットになると走って追い付きと神奈川さんとは近づいたり離れたりしながら進んでいく。私は59㎞の着替えポイントに荷物を預けていないので給水とストレッチをして再び歩き始める。膝が痛い私には休んでいる余裕はないのだ。
 何となく100㎞の完走のボーダーラインにいるという自覚が出てくる。水泳の大会で最近画面に出てくる通過ラインのようなものが自分のすぐ目の前にあるような気がしてくる。残念だが、すれ違うコースにいるこれから折り返しに向かうランナー達は完走が無理なような気がしていた。
 馬越峠に入る前だっただろうか?神奈川さんが止まっているのが見えた。声をかけることも出来ないような絶望的な姿にも見えた。でも、きっと休息したら走り始めるだろう。私は自分のことで精一杯だった。
 71㎞のチェックポイントに到着。ここは71㎞の部の人のゴールにもなっている。しかし、今思い出そうとしてもほとんど思い出せない。どんな場所で何を食べたのか?来年はしっかりと記憶に留めてきたい。ただ、去年目指していたゴール地点に時間内にたどり着くことが出来、本当の意味で昨年のリベンジを達成することがで来たのだと思った。

71㎞の制限時間は10時間15分
    到着時間は9:30:41(関門 44分19秒前)
後は44分の貯金を使い切る前に100㎞のゴールにたどり着くことが出来るか?の問題になってきた。

野辺山完走記7 35㎞から42㎞

2008年05月23日 06時22分59秒 | Weblog
○35㎞から42㎞
 昨年からのリベンジを果たし、35㎞以降に進み始めた私の前に現れたコースは誰も走ることが出来ないと思われるような上り坂。しかも初のコースなのでどこまで続くのか解らない。(事前にチェックしていない私が悪いのだが)
 上りを歩きながら右の膝に軽い違和感。すぐに上りが終わり下りにはいるのだが、下りを走ると違和感は明らかに痛みに変化している。
「ついに来たか」と軽い絶望感に襲われるがすぐに気持ちを入れ替える。目標は完走。14時間でいいんだ。スピードはいらない。走れるフラットな部分では走り、走れないところ(膝が痛むところでは)早歩きでいこうとファイトプランを変更。ひたすら42㎞の着替えポイントを目指す。
 42㎞の制限時間は6時間30分。時計を見ながら「これは通過できる」と確信。しかし、膝の痛みで歩く部分が出来てきたので、貯金が減っていくことも確か。この後もそうだが、膝の痛みは増えていき、貯金は減っていく。どこの関門まで通過することが出来るだろうか?という不安につながっていく。

 42㎞の通過タイム→5:34:22(関門 55分38秒前)
 今後この関門との戦いになっていく。
 42㎞の着替えポイントは42㎞の部の人のゴール地点にもなっている。ゴールする人、着替える人、着替えずにエイドだけで通過する人の3種類のランナーを係の人が誘導する。私はよく分らずに通過するコースに少し行ってから「これじゃぁ着替えられない」ことに気がついて戻る。
 着替える人のエイドはゴールする人のエイドと一緒になっていて結構充実していた。スポーツドリンクやバナナで補給した。(おにぎりはゴールした人だけのサービスだと勘違いして食べなかった)着替えようの荷物を受け取り歩く。どこで着替えようか悩んだが目の前に「男性用更衣室」というテントがあったので入ってみることに。何人かのランナーが着替えていたが「暑い」・・・まぁいいっか。と着替えようとするも体がうまく動かなくて手間取る。上は薄手の長そでドライ、下はフィット感がいい感じなのでロングのSそのままで行くことにした。手袋も薄手の物に変えた。サロメチールを塗り込むとももの前側と背筋が炎症していることがわかる。膝が痛み始めているのでそこの厚いクッションのある今履いているシューズを履き替えるのかどうか、一瞬迷う。ここは賭に出てアディゼロCSに履き替える。危うくRCチップを付け替えるのを忘れるところだった。(危ない 危ない)
 着替えに手間取ったが、暑いテントを出て再び給水とうめぼし。屈伸柔軟運動をしてコースに戻る。
 走り出してすぐに、42.195㎞(フルマラソン相当地点)の表示。
「あぁ、フルマラソン走ってからまだ60キロ近く走るのか」と愕然としながらも
次のチェックポイント 50㎞ 制限時間 7時間 に向かったのだった。