お宿&かふぇ 布屋 《主人のひとりごと》

120年経った京町家を改修した民宿『布屋』

電車男”新潟”へ その1

2011年10月26日 20時24分55秒 | 旅先で
今年も、うちの奥さんの恒例の仲良し旅行が先日実施されました。毎度留守番の僕があまりにもブツクサ言うので今年は何処へでも出かけてもよいと、お許しが出ました。そこで久しぶりに一人旅に出ます。実は、昔は日本中を走っていた「急行列車」もJR化後、どんどん消えてゆき、現在生き残っているのは2本だけ。青森~札幌間の「はまなす」と大阪~新潟間の「きたぐに」(どちらも寝台列車)だけというありさまです。そこで今回はこのうちの1本「きたぐに」で新潟まで出かけて来ました。一人旅も久しぶりですが夜行列車に乗るのはなんと20年ぶりくらいです。あまりの嬉しさに京都駅には1時間前に到着。でも発車は24時03分という深夜のため、ホームには売店すら開いていない。

京都駅0番ホームは土曜の夜というのにひっそりしています。早めに改札口から入ったもののホームの何処にも売店が開いてなく一旦事情を言って外へ出て駅内の売店でビールを買い求めます。昔は(かなり前)夜行列車の発車前まで、つまり深夜まで売店が開いていたのに・・。

定刻に「きたぐに」はホームに現れます。車齢40年のこの583系寝台電車には深い思い出があります。今から35年前、当時学生の頃北海道へ度々行ってた時に上野から青森まで走っていたのがこの電車です。当時は最新鋭の特急「はつかり」等に使われていて貧乏学生が時折利用できた憧れの電車でした。時を経て今では定期列車として、この「きたぐに」のみに使用されています。列車は前のほうから「3段式B寝台車」+「A寝台車」+「グリーン車」+「自由席車」という10両編成です。今回の新潟へはB寝台下段を利用します。

懐かしい3段寝台の車内に顔がほころびます。カーテンをあけると今夜のベッドが・・。

上、中、下とこの狭い車内に寝台が並んでいます。今時こんな列車で旅をする人はもうほとんど無いようでJRになってブルートレインと呼んでいた特急寝台列車も残すは上野~札幌「北斗星」と上野~青森の「あけぼの」大阪~青森の「日本海」くらいであとはみな近代的な車両になりました。夜行バスがこんなに便利に快適に日本中を走ってるなかで運賃+急行券+寝台券で新潟まで¥15750は高価です。が、列車の音に身を寄せて缶ビールを飲みながら通り過ぎる車窓や通り過ぎる深夜の駅の灯りを眺めていると一人旅の醍醐味を味わえます。いつしか夢の中へ。早朝「7番上段のお客様間もなく直江津ですよ」と上の乗客を起こしに来てくれる車掌さんの声で目が覚めます。車窓はいつしかうっすらと朝を迎えた北陸の景色。長岡あたりで車内を見にゆきます。寝台車の乗車率は土曜日ですが40%くらいで後ろの

グリーン車は乗客1人!この583系の特徴である天井が高いのがよく解ります。そして最後4両が自由席です。

ここも乗客はまばら。昔はこの4人掛け向かい合わせに座って上野から青森へ向かう列車に揺られていたのを思い出します。何時間かかってたんだろう。若かったからできたんでしょうね。ユニクロのCMでアンジェラ・アキが「上野発の夜行列車降りた時から・・」なんて唄ってますが、実際経験している人は、果たして今どれくらいいるんでしょうね。当時特急に乗れなかかった僕たちは急行「八甲田」や「十和田」をよく利用していました。なんて感慨にふけっていたら「間もなく新潟です」と車内放送が入ります。余談ですが放送に入る前にチャイムがなりますがこれが当時のままの「汽笛一斉・・」のメロディでジーンとくるのは僕だけでしょうか・・・
そして新潟駅6番ホームに到着です。

つづく。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿