半透明記録

もやもや日記

『ばら色の家』

2008年05月26日 | 読書日記―エレンブルグ
イリヤー・エレンブルグ 米川正夫訳
(『ロシヤ短篇集・米川正夫訳』 河出書房新社)


《あらすじ》
ニコロ・ペストフ横町の前三等官フグセーボフのばら色の家には、年老いたモデスト・ニキーフォロヴィチ=フグセーボフとその娘エヴラーリヤが暮らしていた。外からはありふれて見えるこの家の内部ではしかし奇妙な生活が営まれていた。
ロシアには革命があった。だが、エヴラーリヤはその事実を父である元将軍フグセーボフに知られないように、細心の注意を払っていたのである。


《この一文》
“モスクワ、なんという奇怪千万な町だろう、これこそまったく本当と思えないような町だ! 今までにどれだけ統計や、調査や、計算を並べたてたかしれない。けれど、モスクワの馬鹿らしさかげんは、まだ表に現したものがない。  ”



エレンブルグの短篇。いつごろに書かれたものなのか、原題は何と言うのか、どの短篇集に収められていたのか、ということはちょっと分かりませんでした。年譜を調べても載っていないし。
普段はこういうことを調べたりするような私ではないのですが、今回ばかりはちょっと気になったのです。なぜならば、どうもこれまでに私が読んできたエレンブルグ作品とは何か感触が異なる。作者を知らないで読んだら、きっとエレンブルグの作品だと気が付かなかったかもしれません。

真面目すぎる。

いえ、この人はいつも真面目なのです。ただ、私を夢中にさせるあの爆発的なユーモアが、この作品にはほとんど見られません。イリヤになにがあったのか心配になります。しかしもちろん、面白くなかったというわけでは決してありません。息も付かせぬ迫力と疾走感のある文体は、やはりこの人のものなのです。

ある親子の物語。病気で寝たきりの元将軍はながらく外出しておらず誰も訪れるものさえいないので、ロシアに革命があったことを知りません。娘は、父のことを思いやって、必死でその事実を隠し、ロシアはいまだ偉大な皇帝に治められているらしく大昔の新聞記事を取り出しては読んで聞かせるのでした。しかし、時代は確実に動いており、いつまでも嘘を突き通すのはますます困難になり……。

とにかく痛ましい。そして恐ろしく悲しい結末。
人間が、あらゆる状況に生まれでてくるのは、生まれるなり人種や階級やその他もろもろの他と我を区別し差別を生じさせるものを持たされるのは、いったい何のためだろう。こうやって際限なく争うためだろうか。
そんなことをいつも考えてしまいます。

つい悲しくなってしまったけれど、この短篇はもっと深く読むことができそうです。どうにか自分のものにしたい。




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