半透明記録

もやもや日記

『トラストDE ヨーロッパ滅亡史』

2006年10月24日 | 読書日記―エレンブルグ
イリヤ・エレンブルグ 小笠原豊樹・三木卓訳(河出書房新社)


《あらすじ》
モナコ王子の放心によってこの世に送り出された男エンス・ボート。もしアフリカへ行っていたならば、ダチョウの卵集めやライオン狩りをしただろう冒険家の彼は、しかし老いさらばえたヨーロッパでは何もすることがなかった。やがてアメリカへと渡った彼は3人のアメリカ人富豪とともに《トラストDE》(Trust for the Destruction of Europe)を結成する。この組織の目的は、ヨーロッパ撲滅。
単なる空想小説ではなく、歴史の必然性と著者のヨーロッパ生活の体験に基づいた物語。


《この一文》
” 三億五千万以上の人間が住んでいた一大陸を滅ぼすための十二年という歳月は、かなり長いものだった。だが、その歳月もエンス・ボートの心の中の偉大な愛を滅ぼしてしまうことはできなかった。もしわれわれの著作が一部の立派な学者先生に読まれずに終る恐れさえなければ、われわれは『ヨーロッパ滅亡史』という副題を抹消して、事件の真の本質によりふさわしい別の題に改めたであろう。すなわち『不滅の愛の物語』と。  ”



また凄いものと出会ってしまいました。私の「不滅の物語」のリストに追加決定です。とにかく、激しい。猛烈な勢いで、ヨーロッパは滅んでいきました。恐るべき物語です。この衝撃は、クストリッツァ監督の映画『アンダーグラウンド』(超傑作。人類の宝)を思い起こさせるものがあります。つまり、喜劇と悲劇の甚だしいギャップ。爆発的エネルギー。なんてことだ。

主人公のエンス・ボートは、モナコ王子がオランダを訪れた際、転がったチーズを追いかける女の後を追いかけて、その先の4分間の放心のために、この世に生み出されることになった天才です。彼は、父親から博打の才能を受けつぎ、職を転々としながらも、ついには一財産を築きます。しかし、それをあっさり放棄してアメリカへ渡った彼は、新しい事業に乗り出すのでした。《トラストDE》。それは表向きは《デトロイト建設トラスト》とされているが、その奥ではエンスが赤と青の鉛筆を振っており、その動きに従って、ヨーロッパ各地に広がる《DE》の頭文字を持つあらゆる業種の会社が、ヨーロッパを滅亡させるべく働いているのでした。

一言で言って、物語の多くの部分はユーモアに満ちていて笑えます。しかし、それだけに一層悲劇的でもあります。とにかく哀れです。たまらなく悲しい。エンスはたしかにヨーロッパ撲滅のために働きますが、直接的に攻撃を仕掛けたわけではありません。結局のところ、ヨーロッパの国々は自分達の持つものによってお互いに滅ぼし合ったのです。それが恐ろしい。彼らが滅ぼし合ったそのやり方も、あまりにリアルで恐ろしい。全然笑えません。

この物語は1920年代から1940年までを舞台としているのですが、いま、私達がヨーロッパの滅亡を体験しないまま2000年代に突入したからと言って、「そんなことは起こらなかったじゃないか」と言って安穏としてはいられません。当時の作者の危機感と絶望が、いまでもなお新しさを失わず、押し寄せてくるようです。滅亡は、ささいなことがきっかけで起こるのではないだろうか、はじまってしまったらもはや誰にも止められないのではないだろうか、それはいつでもどこでも起こりうるのではないだろうか--。実に恐ろしい物語でした。

前世紀の始めに生きた人々のなかには、命がけでものを考えた人が多かったのだろうと思います。人類がどこへ向かうのかという問題に対して、個人の考えが影響力を持ち得た、あるいは持ち得ると考えられていた時代だったのでしょうか。そこで生み出されたものは、あまりに熱い。現代の我々は、そういう苛烈な時代に戻ることはできないでしょうし、戻りたくないと願う以上は、その時代の人と同じような必死さでものを考えることもできないかもしれません。だからこそ、先人が遺してくれたものには敬意を表さねばなりますまい。私はせめてそれをじっくりと吟味するくらいのことはしなければならないのです。


怒濤の物語にも関わらず途中でウトウトしてしまった私(夜だったので)の手からこの本を抜き取って、先に読了したK氏は、私以上に衝撃を受けていました。「ほいきた、ヨーロッパ!」があまりにショックだったらしいです(読めばわかりますが、たしかに衝撃的)。そして「かつてないほどに恐ろしい物語」であると評していました。私は他にも恐ろしかった物語は記憶にありますが(アストゥリアスの『大統領閣下』とかバルガス・リョサの『世界終末戦争』とか。でもまあ、ちょっとそれとは恐ろしさの種類が違う気もしますので)、おおむね同感であります。

そのK氏と、エンスを駆り立てたのは結局は何だったのかについて話し合ってみました。ヨーロッパに対する激しい愛と憎しみに引き裂かれながらも相手を滅ぼさずにいられなかったエンス。おそらく筆者エレンブルグの分身であるエンスは、とにもかくにも滅ぼしてみたかったんだろうというところで、われわれの意見は一致をみたのでした。


衝撃の一冊。必読です。

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2 コメント

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傑作、ですね (kazuou)
2006-10-24 12:26:15
この作品、たしかにすごい作品かも。

SF史の本などで、よく言及されていたので、興味はあったのですが、どうせつまらない純文学風の作品だろう、と思って手を出さずにいました。早川の〈世界SF全集〉では、チャペックと同時収録になっていたので、チャペックのついでに読んだわけですが、『山椒魚戦争』にも劣らない出来ですね。

世界があっけらかんと滅びてしまう展開にまず度肝を抜かれます。しかもそれをスラップスティックといってもいいほどのユーモアの語り口でつつんだところが、またすごい。

岩波文庫あたりで復刊してもいい作品だと思います。
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あっさり (ntmym)
2006-10-24 17:44:26
kazuouさん、こんにちは!



ほんとにアッサリと滅んじゃうんですよね。私もびっくりしました。喜劇も悲劇もあまりに淡々と描かれているので、かえって衝撃を強く受けてしまいましたよ。いやー、すごい。



私も、古本を探していて、『山椒魚戦争』と一緒に収録されているのも見たのですが、この2作品をセットにするというのもすごいと思いましたよ。

通して読んだら、絶対へこみそう…; まあ、私はどちらも好きなんですけど、やっぱ疲れるだろうなあ。でも良い取り合わせですね。



分量はたいしてないので、たしかに文庫で出てもいいですよね~。もっと手に入りやすくしておくべき作品だと思います。
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