半透明記録

もやもや日記

『地球爆破作戦』

2011年06月03日 | 映像

1970年 アメリカ

出演: エリック・ブレーデン/スーザン・クラーク/ゴードン・ピンセント/ウィリアム・スカーレット
監督: ジョセフ・サージェント



《あらすじ》
冷戦時のアメリカ。国防ミサイルシステムの要として導入されたスーパーコンピューター「コロッサス」は素晴らしい自己進化を遂げるが、ソビエトにほぼ同時に導入されたスーパーコンピューター「ガーディアン」の存在を発見する。二機はある目標の下、互いに情報交換を始め、互いの国防機密の漏洩を恐れた大統領、書記長はコロッサスたちの回線を切断するのだが…。


《この一言》

“ Never! ”



『地球爆破作戦』というタイトルから想像すると、地球を丸ごと吹っ飛ばしてしまう爆弾を作るとかそういう計画を描いているのかと思いましたが、そうではありませんでした。たしかに爆発はある。それも凄まじい威力の、悲惨極まりない爆発は、たしかに劇中に盛り込まれています。けれども、これは平和を目指したはずの人類が皮肉な状況に追い込まれてしまうさまを描いていたようです。原題は「Colossus: The Forbin Project」。



以下、ネタバレあり。ご注意!

****************


優秀な科学者であるフォービンは、自らの開発したコンピュータ「コロッサス」の性能に疑いない自信を持っている。「コロッサス」は冷戦下のアメリカ合衆国の国防ミサイルシステムとして採用され、膨大な情報を瞬時に処理し、驚くべきスピードで自己進化を遂げる。「コロッサス」は世界中の回線を模索する段階で、奇しくもほぼ同時にソ連で導入されたばかりのコンピュータ「ガーディアン」と接触する。「コロッサス」と「ガーディアン」とは互いに融合することを望み、それに反抗するアメリカやソ連に対して次々と過激に要求を出すようになる。というお話。


最初はフォービン博士のやたらと自信満々で尊大な顔つきが鼻についたのですが、結末まで行くとそんな印象は吹っ飛びました。フォービンはいけ好かない男ですが、彼にも純粋な理想があるのです。「コロッサス」を開発したのは、冷戦という緊迫状態のなかでの「平和」を実現するためでした。「コロッサス」は感情を持たず、常に客観的な判断を下すことができるものとして、またあくまで平和的に事態を進める助けとなるべくして開発された計算機のはずでした。ところが、その成長の果てに人智を超えてしまったコンピュータの下した決断が、平和の実現のためにはコンピュータ自らが人類を支配する、というものだったら、我々はどうすべきでしょうか。


ほんの100分程度の映画でしたが、考えるべき点は数多くあったような気がします。

人間は素晴らしいものを生み出したいと願い、技術と知識を発揮して、その願望通りのものを生み出す。生み出されたものの素晴らしさに、最初は誇らしい気持ちになる。けれどもそのうちに、その力を制御できないような状況に追い込まれてしまう。人間はそれを支配しコントロールできると思っていたのに、気がつけば支配されコントロールされる立場にある自分たちの無力を思い知るのです。そういうことって、実際にもありますよね。私の意見では、しかし、こういう事態に対しては人間は再び支配権を握るべく努力を積み重ねるよりほかはないと思います。それが進歩ってもんだと思うのです。


「コロッサス」は人類によって生み出されましたが、ついには人類を超えてしまいます。そして、地球の平和実現のために人類の上に君臨したコンピュータが、それに逆らう者を容赦なく処刑するというような状況に追い込まれたら、我々はどうすべきでしょうか。

技術的な問題だけならば、克服すればいい。それは劇中でもそのような企てが試みられます。失敗しても(実際失敗して粛正される)、でもいつかは成功するかもしれません。

けれども、もしも、目の前の対象が手も足も出ないほどに全能で絶対の存在であり、人類のそのような計画もあらゆる行動もすべてお見通しで、どんな抵抗も無意味だとしたら? その存在から、「永遠の平和」と引き換えの「服従」を要求されたら? しかもその存在が、すっかり完璧に、そもそもそのようであって欲しいと我々が願いそして生み出した、そのままの姿であったら? 我々はどうすべきなんでしょうね。話は少し逸れますが、力の程度に差こそあれ、どのような支配者もそれを生み出しているのは我々自身ではないのかとも思う。我々の最初の熱狂的支持が絶対権力者を生み出し、それが暴走し出してから抵抗を試みるのだけれど…ということを我々はいつも繰り返しているのではないだろうか。どうかな。



最後の10分間は、あまりに衝撃的であったため、私は当分忘れることができないでしょう。

人類にとっては、皮肉な結末です。絶大な力を見せつける「コロッサス」は、フォービンを支配しようとします。けれどもフォービンはそれに屈することができない。おかしな話です。自分が相手を支配するのが当然で、相手から支配されるのは我慢がならない。なぜ? そもそもフォービンはアメリカ人であり、合衆国という組織やその法律の下に生きてきて、言ってみればその支配下にあったようなものです。ここへきてその支配者が別のものに変わっただけではないですか。自由じゃなくなる? だが君はこれまでも果たしてそんなに自由だったのだろうか? 何が気に入らないんだ? 自分が生み出したものが、自分を超えてしまったのが気に入らないのか? 「コロッサス」が言うように、それは自尊心の問題だ。そんな自尊心は捨ててしまえばいい、そうすればお前が望んだような平和な世界が、今こそ到来するというのに。国や人種、わずかな考え方の違いによって誰も争わない世界、誰も争うことすらできない世界が、お前の理想とした世界が、すぐそこまで来ているというのに、なぜ、なぜ従えないんだ? なぜ?






なにげなく見始めましたが、かなり考えさせるところの多い映画です。ついつい真剣にさせられますね。

でも、笑えるところも多かったです。「コロッサス」は様々なことを要求してくるのですが、必ず「Immediately(ただちに)」と言うのが面白かった。すごいプレッシャーです。「ただちに、さもないとミサイル落とすぞ」と言って、ほんとに落としますからね。「コロッサス」さん、まじパネェー!

それから、フォービンは暴走する「コロッサス」の破壊計画を練るのですが、24時間「コロッサス」から監視を受けている彼は、プライベートな時間を確保するべく「コロッサス」と交渉し、恋人と過ごすためのわずかの自由な時間を得ます。この交渉のありさまが、まず面白い。そしてもちろんこの段階でフォービンに恋人なんていなくて、架空の恋人役として同僚の美人の科学者クレオが抜擢されるのですが、最初は嘘の恋人同士だった二人はそのうち本当の恋に目ざめ……って、フォービン君、それ、狙ってやってるでしょー! という展開でした。「科学者でコロッサスの監視を受けていない者」っていう条件なら、他にもたくさんいるじゃないですかー。恋人という設定が一番説得力があるっていうのは(百歩譲って)分かるけど、それで女性科学者というならほかにも何人かいたじゃないですかー、その眼鏡のおばちゃんじゃ駄目だっていうんですかー、え~。とか思いながら見ていました。K氏が「じゃあ、君がフォービンの立場ならどう?」と訊くので、「美人がいいに決まってるだろーが!」と答えた私ですが、そうかそういうことか。いや待てどうして美人がいいに決まっているんだ? どうせ演技じゃないか。どうしてなんだ私よ……。と、しばらく悩んでしまいました。はははは。




というわけで、これは名作。かなりの問題作。面白かった!




最新の画像もっと見る

コメントを投稿