半透明記録

もやもや日記

『ラテンアメリカ怪談集』

2009年09月02日 | 読書日記ーラテンアメリカ


鼓直編(河出文庫)


《収録作品》
*「火の雨」…レオポルド・ルゴネス
*「彼方で」…オラシオ・キローガ
*「円環の廃墟」…ホルヘ・ルイス・ボルヘス
*「リダ・サルの鏡」…M・A・アストゥリアス
*「ポルフィリア・ベルナルの日記」…シルビナ・オカンポ
*「吸血鬼」…マヌエル・ムヒカ=ライネス
*「魔法の書」…エンリケ・アンデルソン=インベル
*「断頭遊戯」…ホセ・レサマ=リマ
*「奪われた屋敷」 …フリオ・コルタサル
*「波と暮らして」…オクタビオ・パス
*「大空の陰謀」…アドルフォ・ビオイ=カサレス
*「ミスター・テイラー」… アウグスト・モンテローソ
*「騎兵大佐」…エクトル・アドルフォ・ムレーナ
*「トラクトカツィネ」…カルロス・フェンテス
*「ジャカランダ」…フリオ・ラモン・リベイロ


《この一文》
“男は、夢を構成するものだが脈絡がなく、すばやく過ぎていくだけの素材を鋳型に入れるのは、人間のなしうるもっとも困難な仕事であることを悟った。
  ――「円環の廃墟」…ホルヘ・ルイス・ボルヘス ”

“「すべての書物がそういうものではないのか?」言語は、それ自体としては存在しない。存在するのは、それを話す者たちである。書物についても同じ。何者かが読み始めるまでは、それは記号のカオスでしかない。読み手こそが、こんがらがった文字に生命を与えるのだ。
  ――「魔法の書」…エンリケ・アンデルソン=インベル ”



復活の足がかりとして何から始めるべきかとしばし考えましたが、私はラテンアメリカ文学から始めることにしました。かつて、物語を読む楽しさを初めて私に教えてくれたラテンアメリカの物語。そう言えば、最近はあまり読んでいなかったのでした。

というわけで、この『ラテンアメリカ怪談集』。読むのは3度目ですが、例によって私は大方の内容をきれいさっぱりと忘れてしまっていました。これまでも面白く読んだはずですが、今回も面白く読みました。特に収穫だったのは、今まではどうしてもその面白さが分からなかったボルヘスが、初めて面白く感じたこと。それから、アンデルソン=インベルとムヒカ=ライネスに関しては、今回ようやく作者自身への興味が沸きました。

ここに収められた短篇はいずれも怪談ということで集められた作品ですが、いわゆる怪談らしいおどろおどろしい雰囲気があるのかと言えば、そうとも言い切れません。背筋がぞっとなるようなお話もあれば、息の詰まるようなもの、奇妙であり軽妙でもあるもの、幻想的なもの、不可思議なものもあります。恐ろしい物語というよりは、不思議なお話が多いでしょうか。まあ、ジャンル分けはともかくとして、面白いことには違いありません。

私が今回特に面白かったのは、ボルヘス「円環の廃墟」、ムヒカ=ライネス「吸血鬼」、アンデルソン=インベル「魔法の書」、パス「波と暮らして」、ビオイ=カサレス「大空の陰謀」です。


ボルヘスの「円環の廃墟」は、読むだけならもう何度も読んでいるのですが、面白いと思ったのは今回が初めてです。これまではどうしても意味が分からなかった。いや、今回もやっぱり意味は分からなかったのですが、それでも何か面白かった。これが夢見る男の物語で、彼もまた誰かに夢に見られている存在である、というようなお話であるらしいことが、今回ようやく理解出来ました。そうだったのかー。まだ色々とはっきりしないけれど、物語を構成するイメージの美しさや自由さについて、少しは感じ取れたのではないかと思います。私はボルヘスとは合わないと長らく思っていたけれども、もしかするとそれほどではなかったのかもしれません。いつかはもっと楽しめるかもしれないという希望が湧いてきました。


ムヒカ=ライネスという作家については、これまでにもいくつかの短篇を読んできたはずなのですが、私の脳裏からは華麗に流れ出てしまっていました。どうしてこの人の面白さに今まで気づかずにいられたのでしょうか。まったく理解出来ません。
「吸血鬼」は、タイトルの通り吸血鬼にまつわる物語です。ザッポ十五世フォン・オルブス老男爵は、中世の雰囲気を色濃く残すヴュルツブルク城と悪魔の毛房の通路と呼ばれる老朽化した屋敷を所有しているが、経済状況の悪化に苦しんでいた。そこへ、吸血鬼が登場する映画を制作しようとイギリスの映画会社の経営者が、作家と俳優を連れてやってくる。異常な風貌の老男爵を一目見たイギリス人たちは、男爵を吸血鬼役に据え、この荒れ果てた古城を舞台に映画を作ったなら、大ヒット間違いなしと大喜びするのだが……というお話。
これはかなり面白かったです。ムヒカ=ライネスは少年時代をヨーロッパで過ごしたそうですが、そのせいかあまりラテンアメリカ色が濃くなくて読みやすかったです。不気味な中にも軽妙なユーモアといったものが感じられて、かなり楽しめました。あんまり面白かったので、私はさっそくこの人の別の本、『七悪魔の旅』を図書館へ予約しておきました。というか、『七悪魔の旅』ってこの人の作品だったのか。前から読もうとは思っていたのですが、誰のだかよく分かっていませんでした。良かった。これで解決。


アンデルソン=インベルの「魔法の書」は、今回もっとも印象的なお話でした。
ある古代史の教師が古本屋の古書の山の中から、ある奇妙な本を掘り当てる。その本は、大きくて分厚いが、奇妙なほどに軽く、傷ひとつ付かないつるつるした紙で出来ている。そしてそのページを開くと、アルファベットの不規則な羅列が延々と続き、一見するとまったく意味を成していないようなのだが、本の最初から読むと魔法のように文字が意味を持って組み直され、驚いたことにそれは「さまよえるユダヤ人」の生涯の記録であった。彼は夢中になって文字を追うのだが少しでも気を逸らすとたちまち文章は意味を失って、文字はふたたび無意味な羅列に戻ってしまい……というお話。
これはもう猛烈に面白かったです。実は、私はこれを読む前まではすっかり内容を忘れていましたが、読み始めるとたちまち前回の記憶が蘇ったので、物語については真新しさはそれほど感じないだろうと思っていましたが、それは違っていました。ここへきて初めてこの物語は、私にとって意味を持ったものとなっていたのです。
私はちょうど本を読むとはどういうことかについて考えていたところだったので、このタイミングでどうして私がこの本を選んだのかが即座に理解出来ました。「魔法の書」を読むためだったのですね。

魔力を持つ書物とそれを必死になって読もうとする男の姿を通して、書いているものと書かれているものとの関係、書くことと読むことの関係、そういうことについて改めて考えさせられます。

“瞼が痛みで、しかし同時に悦びで震えていた。どれくらい読みつづけていたのか? 二日か? それとも三日か? たいした時間ではない。さらに読みつづけることができるならば、喜んで魂を悪魔に売り渡しただろう、ファウストのように。生よりも書物のほうが大事な、さかしまのファウスト。”

どっきりさせられます。これはヤバイ。面白過ぎる。


パスの「波と暮らして」は、別のラテンアメリカ短篇集にも収められているし、有名な作品なので私は何度も読んだことがありますが、やはり記憶は曖昧でした。本当に私は一体どういう頭をしているのでしょうか。忘れ去るために読んでいるとしか思えないほどの忘れっぷりです。信じられません。
それはともかく、「波と暮らして」は、冒頭からかなり面白い。<ぼく>が海を去ろうとすると、ひとつのほっそりして軽そうな波が、胸の中に飛び込んできて、それから<ぼく>と波との奇妙な生活が始まり…というお話。
こんなに面白い話だったのか……。どうして忘れてたんだろう。愛の始まりの輝かしさと、愛の終わりの寒々しさを描いた作品。うーむ、何とも言えない味わいです。私はかなり好きな感じです。それなのに、どうして忘れていたんだろう……。


ビオイ=カサレスの「大空の陰謀」はSF風味の作品です。この世界と平行に存在する別の世界へ迷い込むというお話。ミステリアスで、普通に面白かったです。


今回取り上げなかったその他の作品も、どれも面白いものばかりです。ですが正直に告白すると、リベイロの「ジャカランダ」だけは良く分からなかった…。どういうこと? 何を言っているの?? という感じでかなり困惑。だがそれがいいのかもしれません。

ラテンアメリカ文学には、純粋な読書の喜びを感じさせてくれる力強いエネルギーがあります。私はここしばらくはラテンアメリカ文学から遠ざかっていたので、これを機に集中的に短篇集などを読み返してみたり、未読のもの(←山積み;)にも挑戦しようかと思っています。





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