半透明記録

もやもや日記

沈黙は癖になる

2011年09月27日 | もやもや日記







黙っている方が楽なので、うかうかしていると、あれこれと思い浮かべたことを全部どこかへ押し流してしまったりします。流れてしまっては、もう取り返すことはできません。しまった。だいぶ流れていってしまった。




たとえば書く文章の長さというのは、私にとっては集中力をはかるひとつの目安になります。長ければ良いというものでもありませんが、少なくとも集中していることくらいは自覚できるのです。文章を書く時は、長く書こうと思って書いたりはしませんが、集中していれば結果として長くなる。最近は長い文章を書けません。集中力がありません。皆無です。困った。どうしようか。


つい最近にも、すごく面白かったり興奮したことがあったのに、それを掴み損ねてしまった。ああ、もったいない、もったいない。何が私を阻んでいるんだろうか。どうして私はそのもっと奥へと進めなくなってしまったのだろうか。私にも少しだけあったはずの芯をどこへやってしまったのか。見失っちまったぜ。



4、5カ月くらい前に、夢の中で、読みかけの本を閉じました。私のあの夢は、目ざめた直後には良い夢となる予感があったのに、今になって振り返ると、不吉な停滞を予兆していたようにしか思えません。私は読みかけのあの本を、その著者の目の前で閉じてしまった。あれは裏切りだったのかもしれない。あれが裏切りだったのかもしれない。

私は裏切った。それでもう、選んでもらえなくなったのではないのか。





というわけで、何か書こうと思っても、心底どうでもいい日常のことについてか、予感だ予兆だといったオカルトちっくな駄文にしかならないので、私は少々悩んでいます。こんなことで悩めるなんて幸せだと自分でも思いますが、まあ悩んでいるのは本当です。どうでもいいことほど悩める。真顔で悩んでしまう。




沈黙が癖になりそう。黙っていれば、やり過ごせそう。押し流せるだけ押し流してしまっても、それはそれでいいような気もする。流れるだけが世の中です。さよならだけが人生です。

けれども、掴み損ねたという焦りまで沈黙の中に押し流してしまったら、私はいよいよ駄目になる。私はそもそも沈黙した人間である。沈黙は私によく馴染む。馴染み過ぎてなにももたらさないから、何かを得たいと思った時、私はそこここでそれを表す言葉を探し歩いてきたはずだった。そうだ、探さなければ。私はどんな言葉を探していたのだっけ? 何を知りたいと思っていた? 思い出せないことが私を沈黙させようとするので、それを思い出せないということを書いて、私は沈黙を破ろうと思いついた。良い思いつきになるかな? まだ分からんね。


黙っているのは止める。そう決めたので、私は黙りません。でも話すことはまだうまくできないので、せめて書くことにします。どんなくだらないことでも書いていれば、そのうち私も軌道を修正するでしょう。論理や脈絡のなさを怖れずに、なりふり構わず、どうでもいいことについて長々と書いてみよう。そのうち何かを思い出すかもしれないから。




文章の良いところは、私はそれを書きたいように書くことができる上に、読み手にはそれを「別に読まなくてもいい」ように委ねられるところですね。それゆえに、私は話すよりも書く方を好みます。書くことは、より沈黙に近い。それでいて、沈黙とはかけ離れている。騒々しく膨大に書き立てても、細々と細切れに書き連ねても、読まれなければ、私は沈黙しているに等しい。文字というのは、実に素晴らしい発明だなあ。
話し言葉も、聞かれなければただ過ぎ去るのみですが、書いた言葉は、文字が残される限りは読まれる可能性があります。私がすっかり完全に沈黙してしまった後にも、私の書いた言葉は騒々しくどうでもいいことについて語り続けることでしょう。


時と場所を選ばず無闇に沈黙してしまうのは私の悪い癖ですが、その内側の騒々しさを取り出す作業に戻らなくては。ごちゃごちゃと散らかし過ぎて、なにがなんだか分からなくなってしまっていたんだな。うるさすぎて黙ってしまう私の感情を、静かな文字に置き換えたい。あ、これはなんだか美しいみたい。


黙っててもいいから語り続けろ。逃した魚は大きくて美しかったんだぞ。美しいものを留めておきたかったのではなかったのか。

そうだった。
そうだった……!


そして、ひっそりと沈黙している本の山を振り返ったら、私は求めているものをちょっと思い出しそうです。開いた途端に、魔術のように溢れ出てくるあの賑やかさを、豊かさを、本当らしさを、私は。
もう少しで思い出せそう。沈黙に耳を傾けろ。あの人たちの語りたかった言葉は沈黙のうちに所蔵され、それが時にはまさしく私の探していた言葉であっただろう。落ち着いて、もう一度始めから。沈黙を、掴み取れ。






結局、要領を得ない文章になりました。ここまで読んでしまいましたか? それはどうもすみません。でも、どうでもいいことについて書くのは楽しいんです。どうでもいいことについて書いても、それを誰も読まなくてもいい自由が与えられているんだと思うと、私の気は楽です。でも、読んでしまいましたか? それはどうもすみません。どうかお許しを。文章のもうひとつ素晴らしいところは、どうでもよければすぐに忘れてしまえる、ということです。どうでもいいところは忘れてしまってください。沈黙の彼方へ押し流してしまってください。


沈黙は癖になります。善くも悪くも。うまく付き合いたいものですね。








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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
沈黙も (akiko)
2011-09-28 10:12:50
たまにはいいのかもしれないと思います。私はくだらないことしか話すネタがなくて、自分でもくだらない、たわいのない話だ、話さなくてもよい話だと思いつつ、話をしていることが最近はとても多いです。
でも沈黙すると、存在が薄れそうなのが怖くて、沈黙することすらできません。むずかしいものです。

私のブログは沈黙していることが多いですけどね(笑)
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不思議なことに (ntmym)
2011-09-28 13:14:37
akikoさん、お~っす!

他愛のないことばかりをあんまり話したくない、というのには私も同感なんだけど、不思議なことに、私はakikoさんがどうでもいいことを話すのを聞きたくてたまらなかったりもするんだなあ。不思議だなあ!

というのも、君にはたいしたことのない話題でも、私にはとても面白かったりするからですね。そういうことですね。でもきっと逆もあるね?

ともかく、私は君の話にウンウンと相槌でも打ちたいよ。涼しくなって人恋しくなってるのかしら(^_^;)

私のブログを、代りにウルサクしておきます☆
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お茶したいな (akiko)
2011-09-30 10:25:21
「うんうん、そうねー」というntmymさんの相槌聞きながら、思いついたことをポロポロと話す時間、ゆったりまったりしていて好きです。そう、なんとも言えない無言の時間も楽しかった。あれが時間の無駄使いでなく、君にとっても楽しい時間になるなら嬉しいなぁ。
最近、年をとったせいか、秋が一番好きな季節になりました。若いころは夏、20代は春が好きでした。そのうち冬が好きになる日が来るのかなぁ…。
ドーナツ食べながら話したいなぁ・・・
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ドーナツ (ntmym)
2011-09-30 12:45:45
akikoさん、おっす!

ドーナツ、いいねー。
秋になると甘いものが食べたくなりますね~
クッキーとか、ドーナツとか!

冬と言えば、寒すぎるのは嫌ですが、コートにマフラーを巻いて首をすくめて歩くのは、結構いいですよね。風もなく雪も降ってないという前提ですが!(吹雪は勘弁)

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