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『トゥルーデおばさん』

2012年06月02日 | 読書日記ー漫画


諸星大二郎(ソノラマコミックス)



《内容》
「グリム童話」を諸星流にアレンジしたブラック・メルヘン作品集。待望の文庫化!
「トゥルーデおばさん」
「赤ずきん」
「ブレーメンの楽隊」
「いばら姫」
「Gの日記」
「ラプンツェル」
「夏の庭と冬の庭」
「鉄のハインリヒ または蛙の王様」の8編を収録。

《この一文》
“ここ…夢?
 それともあたし
 もう目を覚ましてるの? ”
  ――「ラプンツェル」より




諸星大二郎によるグリム童話のアレンジ。……怖い! 何が怖いって、絵が!! なにこれ、なんなの、この得体の知れないモノは? いや実に諸星大二郎的な世界ですね。実際、「何だかよく分からない何か」を描かせたら、この人の右に出る人はいないのではないかと思います。不気味で恐ろしくとらえどころのないモノどもが、この作品にもたくさん描かれていますが、それでもやはりどこか愛嬌があるのが諸星風味というところでしょうか。

さて、全部で8つの物語。どれも馴染みのある物語ですが(「トゥルーデおばさん」だけは分からなかったですけど)、いずれも諸星大二郎によって新しくなっていました。先の読めなさ加減が凄いですね。「Gの日記」では、主人公の女の子が誰なのか、最後まで分からなかったですよ。私は特に「Gの日記」と「ラプンツェル」が気に入りました。

「Gの日記」は、8つの中では一番ドラマチックだったかもしれません。謎めいた屋敷に暮らす少女。どうしてここにいるのだか、どうしても思い出せない。広い家の中には、少女がいつも食事の世話をしている地下室の子供(これが非常に恐ろしく描かれている…)、眠っているときは目を開けて起きているときは目を閉じるおばあさん、いつも背を向けてひたすら曲芸の練習をつづける男の子。少しずつ謎が明らかになって結末へ向かっていくところは圧巻です。少女の最後の言葉も強烈でした。これは名作。

「ラプンツェル」は、塔の中に閉じ込められた髪の長いお姫さまのお話ですよね。これも、演出次第ではこんなに恐ろしげな物語になるのかと驚きました。こ、怖いっすよ! 謎のずた袋のようなものが、天井からいくつもぶら下がっているとか、人形の首とか、あれもこれも不気味で恐ろしい。けれども、全体的にみればこの「ラプンツェル」はかなり爽快な物語でしたね。明るく美しい結末には心が洗われるようでした。これは素晴らしい。

それから、「夏の庭と冬の庭」も良かったです。これは「美女と野獣」を元にしていますが、いろいろ突っ込みどころが多くて楽しかったです。美女がおもむろに携帯でメールをチェックするとかね、あとあの苦々しい結末…! ディズニー版の『美女と野獣』が大好きな私としては、ひどい、あんなの見たくなかった! まあでも面白かったな。


この『トゥルーデおばさん』は、諸星好きのkajiさんからお借りしました。それぞれのお話の扉絵が素晴しくて、まじまじと眺めたくなるようです。物語はどれも不気味ではありますが恐ろしすぎることはないので、手もとに一冊あると安心かもしれません。私も持っておこうかと思います。何度も読み返したくなる作品集でした!







『空の色ににている』

2012年05月10日 | 読書日記ー漫画

内田善美(集英社)



《あらすじ》
高校一年生で陸上部員の蒼生人(たみと)が図書館へ本を返しに行くと、図書係のひとつ上級の女生徒が貸出カードを見て意味ありげな笑みを浮かべたのに気がつく。その女生徒・浅葱(あさぎ)と親しくなった蒼生人は彼女に魅かれるが、浅葱には冬城(ふゆき)という3年生の恋人がいるらしい。人を寄せ付けない雰囲気を持つ冬城の借りているアトリエに、蒼生人は浅葱とともに出入りするようになり…




《この一文》

“そうさ そうさ
 とどのつまりは そうなんだ

 それでも僕はからまわりと知りながら
 何なのだろう 何なのだろうって
 考えてしまうんだ

 僕をとりまくすべてのものが
 僕などにおもいをとどめることなく
 ゆき過ぎてゆくけれど

 それでも僕は
 むくわれないと知りながら
 いろんなものを想い
 愛さずにはいられないんだ ”






先日【京都国際マンガミュージアム】で内田善美作品を4つ読んできました。そのなかでも私はこの『空の色ににている』に、言いようのない衝撃を受けました。何度も読み返したいのに、現在入手がとても困難であるのが残念。残念…残念すぎる……



さて、『空の色ににている』という作品はどのような作品であるかを一言で説明するのは難しいです。先日やはり激しい衝撃を受けた『星の時計のLiddell』と同じように、非常に美しく精緻な画面が大きな魅力であることは言うまでもありません。しかし、もちろんそれが魅力のすべてではないのです。

上に引用した部分は、主人公の男子高校生・蒼生人(たみと)が飼っていた猫が自らの死期を悟ったのか家から出て行ってしまったことについて考えている場面です。

たとえば、私にはこの一文や他の場面でのたくさんの文章が、少しの抵抗感もなくするすると心の深くまで染み通ってくるように感じるのです。この人の考えていることや言おうとしていること、目指しているものが私にも分かるような気がする。それだけでなく、私もそんなことを考えたかったし言いたかったし、目指したいと思っているんだ。そう思えることに私は激しく打たれるのかもしれません。
感動的な作品というのはいくらでもありますし、私もやはりそういう作品に触れればそのたびに盛大に感激するわけですが、内田作品は単に感動的であるというわけではないのです。そこで描かれているドラマは必ずしもドラマチックではなく、むしろ淡々と何気ない描写に終始していますが、しかし絶えず強く私に問いかけてくる。始めから終わりまで問いかけ続ける。その問いかけに、私の心はどうしようもなく震えてしまうのでした。

そうだ。これは問い続ける人の物語でした。蒼生人はなんだろう、なんなのだろうと問い続けながら、彼のそばを過ぎて行くだけのものを想い、愛そうとします。これはひとつの理想です。あまりに美しく透明な理想です。なにかが溢れてくるような気持ちになりますね。

あー、でも、一度しか読んでいないので、到底読みこなすことはできませんでした。考察を試みてみたものの、これが限界である上に、あまりに不完全なものにしかならなかった。読み返したい。何度も読み返したいよう!



とりあえずまだ読みが足りないという自覚はあるにせよ、私はここ1カ月ほどの間にいくつかの内田善美作品を読んでみて、特に『星の時計の~』『空の色ににている』の2作品は、私がこれまでに読んできたどんな漫画作品とも似ていないということに気がつきました。選ばれているテーマについてもそうですが、物語の展開の仕方と言うか、全編を覆い尽くしている空気そのものが、随分と特殊に感じます。

そう。これまで読んだどの漫画にも似ていません。むしろ近いと感じるのは、小説でしょうか。私が好んで読んできた小説の世界に近いです。漫画と小説で、そこで描かれていることにどのくらいの差があるのかを区別したり、その差を数値的に説明することはできそうにありませんし、まして優劣をつけるようなつもりもありませんが、単に感覚でものを言うならば、『空の色ににている』はまるで小説を読んでいるような感じがしました。しかし紛れもなく漫画であることもたしかです。なんだろうな、この感じは。時々やたらと長い台詞が挿入されたりしているからかしら。でもそれだけでもないような。

いずれにせよ、その文字と絵を追うと、一息にその深いところにまで連れて行かれるような、『空の色ににている』はそういう作品でした。そのわりに深く理解することを阻まれている己の能力不足が恨まれますが…。



それにしても、こんな作品も存在しうるという漫画の奥深さには感心します。素晴しいなあ! 漫画ってやっぱり面白いですね♪








『星の時計のLiddell』

2012年04月22日 | 読書日記ー漫画

 



内田善美(集英社)



《あらすじ》
ウラジーミルの友人ヒューは、何度も同じ夢を見る。それはヴィクトリアン・ハウスの屋根裏で目覚める夢で、彼はその夢に何かがひそんでいるというのだが…。


《この一文》
“ 俺はね 何者でもない そのことがね けっこう気に入ってる
 詩人でもない 画家でもない 音楽家でもない
 たとえばさ そういうことがけっこう気に入っている ”






私は偶然を信じない。いや、私には偶然を知覚できない。というのも、それが起こったり、それと出会った時には、それらはもはや偶然ではなく、なるべくしてそうなったという必然であるから。それらは偶然ではなく運命や宿命と呼ばれるものだと、私にはそのようにしか感じられないからだ。つまり私は「偶然の出会い」を信じない。

そうして運命が時々私を呼ぶ。そんなことが、ついこのあいだも起こった。

ある晴れた土曜日の朝、私は一通のメッセージを受けとった。旧友からで、近くまで来るつもりだから会おうという内容だった。その朝は特別な朝で、ちょうど私は10年近く探し求めていた1冊の古書が私の手に届くような値段で売られているのをようやく初めて見つけて、慌てて注文したところだった。それだけでも十分に幸運だったのだが、この日の幸運はさらに続いた。

なるべく手短に述べると、土曜日に会った友人から内田善美の『星の時計のLiddell』という全3巻の漫画の話を聞いたのだが、それはまさに私がかつて熱心に探したものの手に入れられないままでいた本だったのだ。彼女の口から語られるその物語の内容は、やはり期待していたとおりに魅力的なもので、聞いているだけで心が躍った。彼女は、彼女にとってとても特別なものとなったというそれを、二組持っているから片方を私に譲ってくれるという。信じられないような話だったが、本当になった。

私は驚いたままで後日彼女からその本を受けとったのだが、宿命がやってきたということは既に分かっていた。

宿命の物語とは、その物語のなかに自分ごとすっかり入り込んでしまえる物語、物語が自分の一部になるのではなくて自分がその一部となってしまえる物語、はじめから自分がそこに含まれていたとわかる物語であると私は考えている。以前私は、私にとっての宿命の物語である『類推の山』を彼女にすすめたことがある。彼女はそのことを今でも覚えていてくれて、彼女にとって特別な物語となった『星の時計のLiddell』を「お返しに」と私にくれた。そしてそれが、私がひそかにずっと探していたものであったとしたら、これを運命と言わずに何と言おう。こうして私の歩いてきた道筋に、この本は必然としてやってきたのであった。夢と現実とが結びつくこの美しい瞬間のことを、私は宿命と呼ぶことにする。私に美しいものをもたらしてくれた、彼女に心からの感謝を。


『星の時計のLiddell』、結論から言うと、これはたやすく私の新しい宿命の物語となった。あまりにも望んでいた通りで、あまりにも望んでいた以上で、私はこの物語の前に語る言葉を持たない。私はこの物語によって凌駕され、ただすべてを忘れ、すべてを失ってそこに立っていた。私はそこで何も持たなくてよかった。

夢と、現実と、かなしみと、うつくしさと。

夢の、現実の、かなしみの、うつくしさの、………が。

この物語について私はこれ以上に説明するための言葉を持ち得ないし、それで構わないと思う。私が生きている限り、私はこの物語の一部であり、このさき私から語られる言葉の端々にこの物語の姿がちらちらと見えるようになるだろう。語ろうとして語り切れないでいた言葉が、目を開けたままで見られる夢、目を開けるために見る夢が、より完全に近い形でここにあらわれているのを知るために、私はここへ呼ばれたのだ。

いま、どうにか一言だけ思うことを言えるとすれば、そうだな。この目にも心にも溢れるほどに美しい物語が、もしも本当に私を呼んでくれたのだとしたら、私はせめてそのために少しでも美しいものになりたい。ほんの少しだけでも美しいものでありたい。
そしてこの美しい物語の中にいた間、すべてを忘れすべてを失っていたあの間、私はたしかにほんの少しだけ美しかった。と、確信している。最後の頁を閉じたあとも、たくさんの輝きが私の目に焼き付いていた。焼き付いた分だけ、私は物語の部分となり、それがそうであるように美しくあったはずだ。




いつも見上げている星々の、ひとつの名前が分かった。
『星の時計のLiddell』。予感と希望の夢の物語。






『外天楼』

2012年01月15日 | 読書日記ー漫画

石黒正数(講談社)



《あらすじ》
外天楼(げてんろう)と呼ばれる建物にまつわるヘンな人々。エロ本を探す少年がいて、宇宙刑事がいて、ロボットがいて、殺人事件が起こって……?
謎を秘めた姉弟を追い、刑事・桜場冴子は自分勝手な捜査を開始する。“謎”推理が解き明かすのは、外天楼に隠された驚愕の真実……!?
奇妙にねじれて、愉快に切ない――石黒正数が描く不思議系ミステリ!!






『それでも町は廻っている』の石黒さんの漫画。

読む前にパラパラとページをめくってみたら、なんだかシリアスそうな内容だなあとちょっと躊躇われたのですが、読んでみると思いのほかコメディだったのでキャハキャハ笑いながら安心して読み進めていったら、最後の最後ではやっぱりズドーンと気の滅入るようなシリアス展開となり、いやー、あなどれない一冊でしたね。

しかし考えてみると、それが石黒さんの作風なんでしょうか。『それ町』でも、おとぼけギャグ回があるかと思えば、ゾッとするような怪奇風味もあり、おとぼけに見せかけた残虐ミステリなんかも描かれていましたしね。それから急にSFだったりとか。

この『外天楼』も同じような感じで、すべての物語は繋がっているのですが、お話によって雰囲気がガラリと変わります。少年時代のたわいない思い出のひとこまから始まって、宇宙刑事ミステリ、ロボットSF、密室トリックと物語は続いていき、後半はそれらを踏まえて、高名な人工生命学者が殺される事件を巡るSFサスペンスになだれこんでいきます。先に進むに従って、お話のトーンは暗くなっていきましたね。

私が気に入ったのは、第4話「面倒な館」。まるで『それ町』の歩鳥のようにミステリオタクな女刑事が登場します。「外天楼」で男の死体が発見され、密室殺人事件として捜査が開始されるのですが、かなり強引なトリックが用意されていて笑えました。これは愉快でした。しかし、そのあとでまさかあんなことになるなんてなあ……



これほどに質感の違うそれぞれの物語を、最後でうまく結びつけてしまっているところは見事です。私としては、最後はできるならもっと明るく終わってほしかったですが、うん、面白かったです。






『ポーの一族』

2011年11月28日 | 読書日記ー漫画

萩尾望都(小学館文庫)




《あらすじ》
青い霧に閉ざされたバラ咲く村にバンパネラの一族が住んでいる。血とバラのエッセンス、そして愛する人間をひそかに仲間に加えながら、彼らは永遠の時を生きるのだ。その一族にエドガーとメリーベルという兄妹がいた。19世紀のある日、2人はアランという名の少年に出会う……。時を超えて語り継がれるバンパネラたちの美しき伝説。少女まんが史上に燦然と輝く歴史的超名作。


《この一文》
“それはそれは昔のこと…
 グレンスミスは不死の一族が住む バラの咲くポーの村を見つけました
 それは人間の世界の時の流れからははずれた谷間の村で
 争いもなく 貧しさもなく 絶望もなく
 深い一族の愛をもって村人は生きつづけているのでした

 (中略)

 ああ ずっと一生そんなバラの咲く村で暮らせたら……
 どんなに……

 「生きて行くってことはとてもむずかしいから
  ただ日を追えばいいのだけれど
  時にはとてもつらいから

  弱い人たちは
  とくに弱い人たちは
  
  かなうことのない夢を見るんですよ」 ”

   ――「グレンスミスの日記」より(文庫版第1巻)



かなうことのない夢を。
争いもなく、貧しさもなく、絶望もなく。そんな夢なら私も見続けている。やはりかなわない夢なんだろうか。そうだろう、きっとそうだろう。けれども弱い私には、どうしてもこんな夢が必要なのです。私は世界の成り行きを見つづけたい。いつか人々が争いも貧しさも絶望もないところへ辿り着けるのかどうかが知りたい。永遠に生きられたなら、永遠に生きる力を得られるなら、たとえ生物としての温もりをすべて捨てなくてはならなくても、たとえ無限に続く孤独な旅になるとしても、私はそのチャンスに飛びつくかもしれない。そんな機会は私にはやってこないと知っているけれども。夢を見つづけられれば、つまり私はまだ生きていけるということだ。ただ、夢さえ見られれば。


「グレンスミスの日記」と「はるかな国の花や小鳥」に、今回はとくに心を打たれました。どちらも夢の世界を想い続けた人のお話です。この分量に、これほどの内容を詰め込むことのできるとは、本当に驚異的ですね。


というわけで、萩尾望都先生の構成力と画力が凄過ぎて、私はついつい持っているだけ全部のエピソードを一息に読んでしまいました。文庫版の第3巻だけはまだ持っていないので、早々に買っておきます。私は10代のうちにこの『ポーの一族』を読まなかったことを後悔しているのです。うかつだった。不覚だった……!! はやくこの身の糧としなくては。心の奥深くにこの美しい種子を埋め込まなくては。


今さら私が言うまでもない、超傑作漫画です。物語とはこうあるべきという見本のような作品。いつ読んでも新しく、そして美しい。









『25時のバカンス 市川春子作品集II』

2011年11月23日 | 読書日記ー漫画

市川春子(講談社アフタヌーンKC)



《内容》
『25時のバカンス』(前後編):深海生物圏研究室に勤務する西乙女は、久しぶりに弟の甲太郎と再会する。深夜の海辺にて彼女が弟に見せたのは、貝に浸食された自分の姿だった。

『パンドラにて』:土星の衛星に立地する「パンドラ女学院」。物言わぬ奇妙な新入生・ロロに気に入られたナナは、幼き日の記憶を思い起こす。

『月の葬式』:勉強も親の期待もわかってしまう天才高校生。試験の日に乗る電車を「間違えた」彼は、雪深い北の果てで、ひとりの「王子」と出会う。


《この一文》

“ 孤独は生まれてから塵に帰るまでの苦い贅沢品です ”
  ――『25時のバカンス』より







『虫と歌』に続く市川春子さんの作品集2冊目。相変わらずの静けさ、不可思議さ、繊細さ、美しさ。ため息が出ますね。この作品集には3つの物語が収められていますが、いずれも素晴らしいものでした。この人の世界は静けさと不思議さに満ちていて美しい。


3つのうちでも「25時のバカンス」が、私には一番面白かったです。これは『虫と歌』に収録されていた「日下兄妹」と同系統のお話ということができましょうか。きょうだい間の愛情、一方が自らの身体を分解したり再構築することで、もう一方の傷ついた肉体の一部を修復するものとして一体化するというような。市川さんの作品には「きょうだい」という関係性がしばしば描かれるようですが、なかでも「日下兄妹」「25時のバカンス」は私がものすごく心を動かされるタイプのお話です。



もしも、あの人の身体の一部になってしまうことができたら、それはどんなに素敵なことだろう。もう寂しくないだろうね。しかもそれが、あの人から痛みや苦しみを取り除くものであったら、それはどんなにか。


生きるということは、ひたすらに失っていくことだと私は考えてきましたが、失うというのは本当はどういうことなんだろう。この不可思議な世界で、私は記憶や感情、肉体も少しずつ失っていかなければならないけれども、そうやって失い続けたとしてもすっかり失ってしまうなんてことはできるのかな。失う、失われるというのは、いったいどういうことだろう。もう私のものではなくなるということ? しかし、私から失われていくものどもは、そもそも私のものだったことなんてあったのだろうか。私のものだと思っていたものが実はそうでなかった場合、それを失ったと思うのは間違いかもしれない。私はそれを失ったのではない。ただ、それは私を通り過ぎていったというだけだ。

失うにしろ失われるにしろ、どのみち遠ざかるこの寂しさについてはどうしようもない。寂しい。寂しいから、もしもあの人の欠けを埋めるものとしてあの人の内部に私に由来する何かを植え付けることができればいいのに。そうしたら、今より少しは安心できるのに。けれどもきっとどうしてもそうはならないので、私はいつまでも寂しいだろう。寂しさにもやはり何か意味があるのだろうか。寂しさを贅沢品だと思える日が、いつかは来るだろうか。そうだといい。寂しさに違う意味を与えたい、いつかは。


「25時のバカンス」という物語は、私の喪失への恐怖を少しだけ和らげてくれたかもしれません。乙女さんのように美しい貝殻の身体が欲しいなあ。













『岸辺の唄』

2011年10月20日 | 読書日記ー漫画

今市子(ホーム社漫画文庫)



《あらすじ》
「あとふた月もすれば、人は全て息絶えるでしょう」
水のない町に下された哀しい予言。皆を救うには水乞いの儀式を行わなければならない…。こうしてエンとスリジャの旅がはじまった。今、はるかな翠湖を目指して――。





今市子さんの連作短篇集。kajiさんからお借りしました(^_^)
こちらの作品はホラーな『百鬼夜行抄』とは違って、ファンタジーでしたね。面白かったです!


舞台は大陸風のどこかで、時代は分かりません。人間は、鬼人と呼ばれる存在とともに町に暮らしています。鬼人は人間を襲うこともあれば、また人間と区別のつかない外見をして人間として暮らしている者もある。お告げや呪術がそれなりに力を持っている世界。

6つの物語が収録されていましたが、それぞれが少しずつ繋がっていて、登場人物や世界観がきっちりと設定されているのが感じられます。幻想的で物悲しく、味わいのあるお話ばかり。


私が最も気に入ったのは、「西から来た箱」。

いつも水不足に苦しんでいる山奥の小さな村、南方から買われてやってきた少女キナはそこで逞しく成長し、牛飼いとなる。ある時、大きくて重い、真っ黒な箱を翠湖まで運ぶという依頼を受けるのだが、「中を見てはいけない」と言われていた箱の中身をうっかり見てしまい……というお話。

これは特に面白かった!
長い道のりを箱を運んでいく途中、黒い箱の中に、キナの夢が流れ込んで…というところなどは、とてもロマンチックです。美しい物語です。夢のお話は素敵ですね。



こういう漫画を読むのは久しぶりだったので、ちょっと新鮮でした。たまにはファンタジーもいいな。


今市子さんの漫画は、『百鬼夜行抄』の文庫版を6巻まで読んだところでしたが、続きの7巻から単行本の19巻までも読んだので、それについてはまた後日!






『ドリフターズ』

2011年10月16日 | 読書日記ー漫画

平野耕太(少年画報社)




《あらすじ》
各々の時代、其れ其れの戦場から呼び集められた戦士たち...関ケ原より島津豊久、本能寺より織田信長、源平の都より那須与一。
現在では無い何時か、現実では無い何処か、エルフの里に集いし日の本の侍たち。新たな国奪りの物語が始まる!!





やっと出た2巻!
1年は長かったわ~~。


さて、平野耕太さんの『ドリフターズ』第2巻が発売になりました。この人の漫画は、ストーリーも面白いんですけれど、それ以前にひとコマひとコマの迫力や、台詞のインパクトが強烈で、とにかくカッコイイのです。美学と美意識と美形を詰め合わせたような作風は、前作『HELLSING』の時も凄かったですが、今回も続いていますね。まあ、とにかくメチャクチャにカッコイイ。


カッコイイという以外に言うことはないのかと思いましたが、今のところは、とにかくカッコイイという以外にないですね。私は、与一さんとか十月機関の面々の描かれたコマをひたすら眺めています。うう、かっけーな! 私は普段は美少年キャラにはあまり興味を示さない方なのですが、この人の描く美少年にはなにか異常な色気があるので、ついつい目が吸い付いてしまう。美少年だけでなくて、女性や男性、じいさんに至るまでが格好良いんですけどね。いちいちすんげーかっこいいのです。たまらないぜ。

でも、一応内容についてちょっと書いてみると、主人公は島津豊久さん。お仲間に織田信長さんと那須与一さんがおられます。彼らは元の世界で死にかかっているところで、不思議な通路に迷い込み、気がついた時には奇妙な異世界へと移ってきてしまったのです。その世界で彼らは「漂流者(ドリフ)」と呼ばれ、同じように人間の世界から迷い込んできたがドリフとは性質を異にする「廃棄物」とされる人々と対立することになって、うんぬん。まあ、そんな感じです。たくさんの歴史的人物が出てきますが、それぞれに魅力的で、面白いですよ。どうなるんでしょうね、これから。気になるわあ。



次の第3巻は、やっぱり1年後くらいに発売になるのかなあ? はあ、待ち遠しい。





『純潔のマリア』

2011年10月08日 | 読書日記ー漫画

石川雅之(アフタヌーンKC 講談社)



《あらすじ》
時代は百年戦争の真最中、終わりのない戦いのなかにあるフランスとイングランド。フランスの小さな村を護る魔女マリアは淫魔であるフクロウを遣わし、戦いに介入する。しかしその目的は戦争を終結させ、人々に平和をもたらすためだった。


《この一文》
“そんな力を持っているのに
 見て見ぬフリして自分の幸せなんて考えたくない! ”



第1巻が出てから、ずいぶん待たされて、昨日ようやく第2巻が発売になりました。おせーよ! 待ちくたびれたよ! しかし、待った甲斐あって、第2巻はますます面白い展開となっていました。石川雅之さんの『もやしもん』の方は全然進まないですが、こちらは盛り上がっていますね。


さて、この『純潔のマリア』ですが、ものすごく私好みの物語です。主人公のマリアは魔女ですが、見た目はほんの少女であり、夜な夜な淫魔を使役しているのに、本人は実は処女である。争いを好まず、近くの村人をさまざまな危機から守ってやり、荒っぽい言動とは裏腹にかなり純情で心の優しい人物です。

マリアには強力な魔女の力が備わっているので、その力をもって人々の愚かな争いをやめさせるべく奮闘するのですが、その暴れっぷりによって天界から目をつけられてしまいます。人間界への介入を認めず、人々が争うならばその通りにさせようとする天界からの使者・大天使ミカエルに囚われたマリアは、ある宣告を受けます。

マリアは「その純潔を失ったとき、魔女としての力も失う」。

大天使により力を制限された彼女は望みを果せるのか。己の幸福と世界の幸福とを天秤に計るよう命じられたマリアは、どちらを選ぶのか。どちらかを選ぶのだろうか?

というお話。まだ2巻ですが、読み応えがありますね。面白い。あと、フクロウやハトが出てきますが、石川雅之さんによる鳥のデフォルメっぷりは相変わらず素晴らしく、大福のようで可愛いです。



もし、自分に力があって、それによってほんのわずかでも世の中を良くすることができるんじゃないかと思ったら、その力を使うことはいいことなのか悪いことなのか。全てを解決できるほどの力でなければ、最初から使うべきではないのだろうか、あるいはそれでも抵抗すべきなんだろうか。人間の願いや祈りは、暴力と破壊の前にうなだれるよりほかはないのだろうか。

マリアがどこへ向かうのか、今後が気になります。


はやく次の巻が出てほしい! でもきっと1年は待たされるんだろうなぁ…!




『それでも町は廻っている』

2011年09月28日 | 読書日記ー漫画


石黒正数(少年画報社)

《あらすじ》
ここは下町・丸子商店街! この、一見フツーの通りに存在するメイド喫茶「シーサイド」。重厚な服が何げに似合うバアサンと女子高生探偵に憧れる天然少女・嵐山歩鳥が繰り広げるメイドカフェじゃない、メイド喫茶コメディー。


《この一文》
“「犯人じゃなかった。巣に帰れ」”





アニメ化もされた『それ町』。アニメの方は、私は1話分だけ観たことがありますが、原作の方は、最新刊の9巻まで一息に読んでみました。面白いよ!


喫茶と言えば、メイド。いまや定番中の定番設定です。
しかし、アニメ版を観た時には私は、喫茶シーサイドのメイドさんの中に、老女が混じっているので、いったいどういうことなんだろう?? と激しく疑問を感じていたのですが、原作を読んで謎は解けました。なるほど、メイド萌え狙いの物語では全然なかったぜ。いや、1話だけ観たエピソードからも、萌え要素はまったく感じられないコメディーだとは分かっていましたがね。まあ、ともかく、漫画の方は猛烈に面白かったです。アニメもなかなかいいらしいので、そのうち全部観てみることにします。



さて、物語は、丸子商店街という下町の小さな商店街を舞台にしており、主人公の歩鳥(ほとり)を中心に、毎回さまざまな事件が巻き起こります。扱われる題材もさまざまで、しみじみとした思い出話もあれば、推理ものもあり、青春のひとこまも描かれれば、ちょっと不思議なSF短篇まであります。物語の幅の広さと、キャラクターの魅力が素晴らしく、私は特に前半の4巻あたりまでは大爆笑して走り読みしました。

第7話の「宇宙冒険ロマン」(第1巻所収)は、かなりツボッた。木星に探査船が送り込まれ、乗組員のスティーヴとジョージは船内から荒涼とした木星の表面を観測しています。すると、モニターの前に人型のなにかがトコトコやってきて……というお話。木星探査のクルーが置かれた状況と、嵐山家の子供たちの遊びの光景がリンクした、ロマンあふれる良く出来た1篇です。とにかく木星人が可愛くて、悶絶いたしました。

それから、第30話「メイド探偵大活躍」(第4巻所収)にも大爆笑でした。ひー、ひー! 笑い死ぬ!!
推理小説が大好きな歩鳥。ある日喫茶シーサイドにどこか見覚えのある不審な男性客がやってきて……というお話です。歩鳥の天敵は、町を熱心に巡回するお巡りさんで、そのお巡りさんとはことあるごとに対立しているのですが、お店に来た客を指名手配犯だと怪しむ歩鳥は、いよいよ宿敵警官と手を組み、電話番号やメールアドレスまで交換するのです。しかし、その顛末は…笑えます。あー、これは面白かったな。うんうん。


そして、表題と同じ第13、14話「それでも町は廻っている(前後編)」(第2巻所収)は、アニメ版ではこれが最終話となっていたそうですが、このお話がおそらくこの作品全体の核となる事柄を描いているのかもしれません。タイトルの通りの物語です。
たとえば、自分がこの町からいなくなってしまっても、町はそれでも廻り続ける。そのことに歩鳥は気がつくのでした。作品を通して時々歩鳥の口から語られる彼女の願いは、「いつまでもこのままで、町のみんなが一緒に楽しく」。そうした美しい願いを抱きつつも、歩鳥も町の人々も少しずつ変わりながら、別離と終わりに近づきながら、それでも町は廻っていくのでしょう。

新しい第8、9巻あたりまでくると、初期の軽快さや能天気さは少々控え目になり、「確実に変わっている」雰囲気があちらこちらで描かれるので、私は寂しくなる。もしかしたら、この物語も終わりが近いのだろうか……うっ。物語の終わりは必ずしも別れではない。分かっているのだけれど、堪え難いな、実に。いや、まだ続くさ。



主人公の歩鳥は言うまでもなく、喫茶シーサイドの店主である磯端ウキさん(歩鳥が幼い頃から懐いているバアサン)、クラスメイトでバイト仲間のタッツン(辰野さん)、孤独な金髪美少女の紺(こん)先輩、嵐山家で飼われているタヌキ…じゃなくて犬のジョセフィーヌ(狸にしか見えないけど、犬であるらしい)、商店街のおじさん3人組、などなど、魅力ある登場人物が多いです。

私は、『それ町』に終わってほしくないですね。何でもない日常のなかに奇妙で愉快で不思議な非日常を見つけながら、歩鳥と同じように、いつまでもこのままで、みんなが一緒に楽しく……。はあ。

とりあえず、次の10巻を楽しみに待つことにするか!